そこそこA氏のお話。(前編)
そこそこA氏は、そこそこの大学を卒業し、そこそこ頑張って就職し、そこそこの会社で、そこそこのやりがいを感じながらそこそこの夢を持って仕事をしました。
そこそこの結婚相手もできて、そこそこのマンションでそこそこの暮らしも始めました。
そこそこのタイミングで結婚をし、そこそこのタイミングで子供が産まれ、産休をとりました。
そこそこではない育児は大変でしたが、
旦那もそこそこ手伝ってくれたので、
「頑張れば、認めてくれる人がいる!」
「頑張れば夢も育児も両立できる!絶対あきらめない!」
キャリアーウーマンとして覚醒したA氏。
そうなんです。意志もそこそこ持っていたA氏は、人生で一番頑張りました。
産休と育休後、そこそこのタイミングで復帰したA氏は、今度はそこそこではない全力で仕事をし、全力で家事と育児をしました。
すると、そこそこの給料が入ってきて、そこそこ仕事も育児も両立できるような気がしました。
しかし、そこそこだった仕事と風向きは、
時短と共にそこそこではなくなり、そこそこ肩身の狭い思いをしましたが、それでもA氏は全力で頑張ります。
そこそこ不当な人事異動でも、そこそこおかしい仕事配分でも、そこそこ帰りづらい雰囲気でもそこそこ不当な昇進でもA氏はまた頑張ります。
すると「そこそこA氏」は、いつの間にか「全力A氏」になっていましたが、社会は「そこそこのまま」で止まっていることに気づき始めます。
「おかしい」
「私が何か悪いことをしたわけでもないのに・・・」
「どうして毎日がこんなに大変で、こんなに怒っているんだろう」
「どうしてこんなに時間が足りなくて、どうしてこんなにつらいんだろう」
「全力A氏」は、全力で考えましたが、その答えを見つけることはできませんでした。
そしてそこそこの旦那から返ってくるのは、「そこそこの返事」だけ。
全力A氏は最後の希望を託して、全力のタイミングで二人目を妊娠します。
。。。
そして6年間全力でぶつけてきたA氏は、
子供が小学校に入ったとき、
そこそこの夢をあきらめました。
それからそこそこのバイトを探し、
そこそこの生活をし、
そこそこ家事をこなします。
そこそこだった旦那はそこそこの管理職となり、そこそこ帰りも遅くなり、ついにそこそこではなくなりましたが、そこそこA氏は気にしませんでした。いや気になりませんでした。
そこそこではない、かわいい子供たちがいましたから。
そこそこの学校に進学した子供たちが自分で物事が決めれるようになったとき。
そこそこA氏はそこそこではない、幸せな人生について考えるようになりました。
「どこで間違っていたんだろう」
「どうして私の人生はそこそこの人生になったんだろう」
でも、そこそこのテレビ番組でも、そこそこの近所付き合いでも、そこそこの旦那からもその答えを見つけることはできませんでした。
・・・
「そこそこA氏の話は・・・後編に続く」
82年生まれ キム・ジヨン 人生の重さについて
…。ああ。
電車の中で言葉を失った私は、
ただ流れる風景を見ることしかできずにいました。
生きることの重さが…
性別だけで変わってくるという事実と、その事実に向き合ったことも、いや気づくことも出来なかった自分への嫌悪感が風景のように次々と自分を襲い掛かってきます。
理不尽な社会と、
見て見ぬ振りをする過去の自分と、
傷つきながら生きてきた彼女たち。
当たり前ではないことが、
当たり前のように思ってた時代と
その時代のせいにしている自分への幻滅が
走馬灯のように思い出を書き換えていく。
…。あ。…。あ
深くて短い、
言葉にならない重いため息。
我慢するしかなかった、いや選択肢すら与えられなかった多くの女性の人生が、
昔も今も、そしてこれからも続くことの重さ…。
それは私の母の重さでもあり、
妻の重さでもあり、
そして2歳になったばかりの娘の重さでもあることを、私は知ろうともしなかった。
私は傍観者であり、共犯者。
これからもずっと知らずに生きていったかもしれない…という恐ろしさと、期待すらされない諦めから来る彼女の虚しさを目の前にして、私は混乱しています。
一度も生理を経験したことのない男がそれが何十年も続くことの意味を。
妊娠と出産の不安と、仕事と自分の人生への不安を。
そして多くの彼女が当たりまえのように諦めるしかなかった現実と、男という思考の暴力に私はどれだけ真剣に向き合ってきただろうか。
泣き崩れている彼女の話を、
どれだけ真剣に聞いていたのか。
それが私と未来への不安であることも知らずに、ただ女性だけの感情かのように思い込んで適当に慰めたりはしていなかっただろうか。
言葉だけの夢とその場しのぎのジョークで笑い飛ばしていた私を彼女はどんな思いでみていただろうか。
…。あ。
★★★
今日、新しい人生をスタートした妻の生き生きとした姿には、
10年前の彼女でも、2児の母でもない、もう一人の彼女がいました。
居場所をみつけ、頑張っている姿に嬉しさとほんの少し寂しさを感じる夫です。
“It’s OK for me” 男らしくない自分の受け入れ方
あなたは「男らしい男」?
週末子供の遊び相手をしただけで、えらそうな顔をする男。
帰りが遅いのは会社のせい。自分は浮気もギャンブルもしない真面目な父親だと言わんばかりの男。
夜遅くまで働くことが育児家事をしない免罪符だと思い込んでいる男。
子供が生まれたら犠牲は必要。ただそれは自分ではない。暗黙のプレッシャーで妻に専業主婦を強要する男。
子供の隣で平気でタバコを吸う男。
力仕事と運転だけがパパの立派な役割だと勘違いしている男。
5秒だけでもいいです。
自分はどれぐらい当てはまるんでしょうか。
あなたの間違った「男らしさ」によって、
家族は笑顔になっていますか?
それをあなたは幸せだと思っていますか?
“It’s OK for me”
「格好悪くてもいい」
「男らしくなくてもいい」
「繊細で面倒くさいって言われてもいい」
「男らしい」という呪縛から自分を解放することで、「男らしくない自分」ではなく、「それでもいいんだ」というありのままの自分の姿に気づき始めます。
ネパール写真家のインタビュー「男らしさに対するネガティブな固定観念」の一部分を紹介します。
引用:A new photo series from photographer Jessica Amity shows that masculinity exists on a spectrum
サイト:https://www.huffpost.com/entry/men-reject-toxic-masculinity_l_5c6efc4ce4b0e37a1ed618ee
「UNISEX」「TOXIC Masculinity(男らしさの弊害)」・・・
男女平等と育児シェアは当たり前。
不要な固定観念で自分を苦しめる必要などない。
世界では、フェミニズムの拡大と性別ではない柔軟な役割分担への認識が広がりつつあります。
「私はそれなりに家事を手伝っている夫」とイクメンぶりを訴える前に、一度視野を世界に向けてみるのはいかがでしょうか。
Netherlands, Caspar
“It’s OK for me to be insecure,”
「私は、不安な気持ちでもいい」
私は常に男性として自信にあふれ、支配的でないといけないと思っていた。
決して不安と恥を感じてはいけない。この男らしいというプレッシャーで、自分の不安をどうしたらいいのか分からなかった。
私は自分の弱さを受け入れることで、不安を理解し、コントロールできるようになった。
Lucas, France
“It’s OK for me to be classified as a sensitive guy.”
「私は、繊細な男として分類されてもいい」
男は、繊細な感情を感じるとそれを無意識的に隠そうとする。まるでプライドを守るかのように。隠さずありのままの姿を見せることができることにプライドを感じるべきだと思う。
Dan, U.S.A.
“It’s OK for me to be passive.”
「私は、手動的に行動してもいい」
私は対立を好まないが、対立することになるといつもタフに対処しないといけないというプレッシャーと促しを感じる。
だれか私に喧嘩を売ってきても私が男性だからという理由だけで戦うべきだと思われたくない。
"It's OK for me to acknowledge that when we talk about ‘violence against women,’ we are talking about violence that is being perpetrated by men. "
「私は、男らしさの問題点を指摘する男であってもいい」
男中心のシステムを変える。その際に男が負うべき責任について話していい。
女性への暴力を話すとき、それが男によるものであることを認めてもいい。
Bastien, France
“It’s OK for me to be open-minded toward the relationships of men and women. Men and women can lead their lives on equal terms."
「私は、男女の関係で心を開いてもいい。男と女は、自分たちの人生を同じ条件で送ることができる」
あなたにとって
“It’s OK for me”は?
それは、合理化や言い訳ではなく、完璧ではない自分を認めて受け入れることかもしれません。
男らしくなくても人生は十分楽しい。
いや、男らしくない人生の方が、より自由でより豊かで価値のあるものに溢れている気がします。
…
今日も何とか逃げ場を必死に探す、自己否定に弱い、30半ばのおっさんの話でした。
おしまい。
子育ては自分を治癒する最後のチャンスかもしれません。
「自伝的記憶」とは、自己の生活に関わる記憶のことですが、幼児期は幼児期の中で終わるのではありません。幼児期での経験は記憶としていろいろの形で貯蔵され、幼児期から老年期に至るまで長い間に必要に応じて想起され引き出されます。それは、その時の「今の自分」を位置付ける形で新たに再構成されてゆきます。このことは、一生を通して、自分の中で「幼児期」そのものが成長し続けていく過程に他なりません。
– 岡本 夏木 (幼児期 :子どもは世界をどうつかむか) –
・・・自分の中で「幼児期」そのものが成長し続けていく過程に他ならない・・・
前回記事の最後にも触れましたが、子育てをしていると不思議だなと感じる瞬間があります。
上手く説明できませんが、子供の姿に自分の幼児期を重ねることが・・・たまにあります。たとえば、長男のパズルに思いっきり付き合おうとするとき、ふと昔親と遊んでもらえなった自分を重ねたり、子供のイヤイヤ連発に「それなら置いていくからね!」って冷たく言い放すときもそうです。
「あ・・・。昔同じこと言われたな・・・」って。
でも、記憶というのは面白いことに「否定的な出来事や思い出」は色鮮やかに・・・4Kレベルの鮮明さで残ってしまいます。
それで、親に否定された幼児期の自分が常に無意識の中で存在し、類似体験がある度に悲しい記憶と感情を引き起こしてしまう。それはまるでウイルスから自分を守るくしゃみ(?)のようなもので、ときには自己防衛的(傷つかないように)な役割を果たします。
もう二度と同じ感情は味わいたくない!という自分を守るための必死の行動。
でも、子育てをしていると、時々自分の幼児期にある無意識と同じシーンに遭遇することがあります。そのとき不思議にも記憶は30何年の時間を一瞬で越え、暗い感情と共に当時のシーンが綺麗に頭をよぎります。
「あ。そういえば、だめ!一言で相手もしてくれなかったよな・・・」って。
「・・・すごい!パパも一緒にやっていい?」
「いいよ!じゃ、これやってね。」
幼児期での経験は・・・その時の「今の自分」を位置付ける形で新たに再構成されてゆきます。このことは、一生を通して、自分の中で「幼児期」そのものが成長し続けていく過程に他なりません。
パズルを片手にいつの間にか、
自分の中の暗い感情が少し弱っていることに気づきます。
何気ない日常に。
やさしい言葉がけに。
救われる(治癒)のはもしかしたら、
自分(30年前の子供)なのかも知れません。
幼児期―子どもは世界をどうつかむか (岩波新書 新赤版 949)
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スティーブ・ジョブズとベニシアの言葉。
何もかもやりたくないとき、誰かに頼りたいとき。
そして変化で、不安で潰されそうなとき。
言葉は、いつもよりも特別な意味を持つことがあります。
ここに、二人の言葉があります。
私は毎朝鏡に向かって、「もし今日が人生最後の日ならば、今日するつもりでいたことをやるだろうか?」と自問してきました。そして「ノー」という答えが何日も続くようならば、何かを変えるべき時が来たと気づくのです。
幸せは、その人の目の中にある。
彼の有名なスティーブ・ジョブズと、
ハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスの言葉です。
それぞれ置かれた環境も地位も違っていて単に比較することはできませんが、どちらの言葉にも、人生に対する強い信念もしくは捉え方を感じることができます。
スティーブ・ジョブズは、私がまさに今見ている画面のように、人生の無駄を無くし、毎日をベストな日にするための日々を。
一方、ベニシア・スタンリー・スミスは、自分の思い次第に幸せになれる日々を語っています。
・・・毎日を人生最後の日だと思って生きていれば、いつかその思いが正しいとわかる日がやってくる。
ジョブスが17歳に出会ったこの言葉が、おそらくその根源にあったかもしれません。
世の人は、毎日自分にベストを尽くして完璧を求めアップルとiphoneを作り上げたスティーブ・ジョブズの言葉として認識し素晴らしい、正に人生の名言だと思うかもしれません。仕方ありません。言葉はそういうものですから。彼の死後出版された「スティーブ・ジョブス」という自伝が大ヒットしたことでもその影響力が分かります。
余談ですが、最も売れた伝記を著した実績のあるウォルター・アイザックソンにジョブズ本人が直接執筆をお願いしたという事実もまさにあの言葉通り。
でも、なぜか最近、私はジョブズの言葉に疲れを感じてしまいます。
それは若くない(自分の判断)がゆえに感じるやる気の無さによるものなのか、
強い信念を持たずに適当に生きてきた自分が否定されることへの拒否反応なのか、
それとも、ただ単に彼の人生に対する失望感からくるものか分かりませんが、
毎日ベストを尽くして素晴らしい製品を作り上げることって恐らく人類にとっては素晴らしいことかもしれません。日本の田舎に住んでいる私さえ毎日iPhone画面を見ていますから、その影響力は凡人の私は想像もできないものでしょう。
でも、便利で速くて全てが繋がっている生活によって、
私は不便だけと楽しい、遅いけど確実な、繋がっていないけど信じ合える生活を失いました。
一時期、私はこのiPhoneさえあれば全てが解決されると信じていました。
メールとネット検索、そして全ての情報をポケットに収まる小さいデバイスで解決できる。
iPhoneを手に入れてから、私は「知らないものへの不安」も「無知な自分をさらけ出すリスク」も、「世間知らずと言われること」もなくなりました。
・・・逆に、知らないものは徹底的に探して結論を提案する性格で周りから時々褒めてもらうことも。それによってさらにアップグレード性能を求め、その繰り返しを続ける。
「より速く、より新しく、より多機能に」
・・・アップル社のホームページのキャッチコピーのような言葉がそのまま私を代弁していました。
素晴らしいデバイスが人生の無駄(時間も)を無くすと信じて10年。さて、
私の「人生の無駄」は、本当になくなったでしょうか。
私の人生はより効率でベストな人生になったのでしょうか。
野菜栽培の方法を検索してはその中から育てやすい野菜の苗だけを買うこと。
家事をできるだけ家電に任せて残りの時間にコーヒーを飲むこと。
おもちゃレビューの中からデメリットを考慮し、後悔しないおもちゃを買うこと。
見たことのないものをワン・クリックで次の日に発送してもらうこと。
アレクサに大きな声で「シンカリオンを再生して」って叫ぶこと。
・・・私の人生は、本当に良くなったと言えるのでしょうか。
土を触って試行錯誤して辿り着いた経験も、子供と一緒に家の掃除をすることも、
子供と一緒に衝動買いで失敗したおもちゃも、ゆっくり何かを待つことも、
そしてテレビではなく子供と会話することは、決して「人生の無駄」ではありませんでした。
得るものがあれば、失うものもある。
・・・人生の中で必ずと言って良いほど、対面する言葉。
得るものがあるからといって必ず失うものがあるとは思っていませんが、私は得ることだけに集中し、その代わりに失う可能性のある「価値のあるアナログ」に気づくことができませんでした。
・・・小さいスマホの画面をみることで、子供の素敵な笑顔をみることができないという「もったいないこと」を・・・
無駄な時間の中にある隠れている人生の意味を・・・。
少し長いですが、ジョブズは晩年こんな言葉を残しています。
(略)・・・他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。
しかし、いま思えば仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、お金と富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。
病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。
私がずっとプライドを持っていたこと、認められることや富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
・・・(略)・・・
今やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。
神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。
私があの世に持っていける物は、愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。人生には限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。全てはあなたの心の中にある、全てはあなたの手の中にある。
・・・(略)・・・
死の間際に悟る人生の意味。
自分だけの世界で全てを勝ち取った人生を送ってから、晩年ベッドの上での僅かな時間で悟った人生の意味って・・・。それっぽい言葉すら、私には自己満足の言い訳にしか思えませんでした。
その影で長い時間辛い思いをしてきた家族と仲間と・・・晩年の自分。あの言葉はもし彼が生きていたら、世に出てきたでしょうか。
今も新しい人生の目標を掲げてひたすらそれを求め続けていたかもしれません。
・・・そして思う、ベニシアの言葉。
インドへ行く前、私が求めていた幸せを庭にたとえて話してくれた人がいました。「その庭は外の世界にあるのではなく、あなた自身の内側にある」と。心の声を聞くということを、心の中に庭をつくるという言い方で私に教えてくれました。
生涯を通じてどんないい事や悪い事があったか、また何をやり遂げたかで人生を評価する人が多いけれど、
わたしは日々の生活がどれだけ満たされ幸せであったかで、人生を評価したいと思います。
- Venetia Stanley-Smith(ベニシア・スタンリー・スミス) -
人生の答えは、有名な人の名言ではなく、
あなた自身の内側にあるかもしれません。
赦せないお父さん。
「あなたらしい考え方だね〜。すごい!」
「何をやっているの?おもしろそうだね。」
「それを聞いてお父さんも嬉しいよ。」
「できるようになったんだ。すごい。パパにも教えて」
…思わず涙が出ました。
あの本には...
私が昔から聞きたかった...言葉が、
全て書いてありました。
いつも背中を見つめ我慢していた、
諦めていた言葉と愛情。
「僕はすごいんだ。何でもできるんだ。
だから大丈夫!」
いつの間にか自分に言い聞かせていた言葉。
本当は...
もっと...
声をかけてもらいたかったんだな
もっと今の私をみてほしかったんな。
大きくて巨大な世の中に、
太刀打ちできない圧倒的な父親の影に、
いつも一歩下がっては諦める毎日。
「お父さんって大変だ。大人は忙しいんだ」
そう。大人は世界を全て背負っているように思えました。だから、仕方ないんだと。
それから絶対父親のような人間にはなるまいと決める中学生の幼い目には、明るい未来より過去への、そして親への怒りがいつも漂っていました。
怒りは自分も知らないコンプレックスとなり、それはやがって自分そのものになっていました。
もしもう一度その時に戻れるなら、
私は幼い自分に何というんだろう。
「…赦してくれない?」
「どうして!?悪いのはあの人なのに...!」
「... 赦すのは、彼じゃなくて私」
「怒りで悲しい目をしている自分を赦してくれる?」
「... ...」
いつもの夕方7時。
「ただいま。」
「すごい!パズル一人でできたんだ!」
「パパにも教えて!」
パパでありながら、子供である、
「子育て」って不思議な経験です。
家電好き親父のジレンマ・・・とつぶやき。
家電好き親父のジレンマ・・・とつぶやき。
私はよく「家電好き」って言われます。
私を知っているまわりの人は、家電購入の際に私に意見を聞くことも多く、購入後も操作方法などで質問を受けたりします。
確かに私は新しいガジェットに関する情報をチェックするのが好きで、革新的な機能があるものに遭遇してしまうと、「その機能を勝手に自分の生活に適用させては妄想を増やし、やっぱりこれは必要だ」という結論を間接的に自己誘発させる側面が強い人間です。
ですので、常に一緒に生活するしかない妻は、ある意味、その最大の「被害者」でもあり、「恩恵者」でもあるのです。
たとえば、アマゾンエコーという「AIスピーカー(+リモコンコントローラー)」。
「家族に子供にもっと音楽を・・・」というミッション(自分が課した)からスタートしたアクションは…その後生活全般に大きな影響を与えています。
普通の人にとって、音声でエアコンをオン・オフしたり、天気予報や日程を機械音で聞くというのはあまり意味のないことかもしれません。そういうのって今の時代、リモコンで操作したり、スマホを見ればいいのです。もっと原始的なやり方では、雑誌でもずっとテレビをつけておけば分かる内容がほとんどです。
「FIRE TV STICK 4K」というデバイスも同じです。
プライム会員無料動画を音声検索しなくても安価でテレビで見る手段はいくらでもあります。
少しゆとりのある生活なら、じっくりソファに座ってみたい番組をリモコンで選べば良いという話です。
周りからは「ハイテク」「最先端家電」「IOT化」などいろいろ言われることが多いですが、その根本には、「不便さ=時間の無駄=人生の無駄」と「自分勝手な趣味と一方的な解決(何でも機械を使いたがる)方法」という潜在意識が大きく関わっています。
そんな私にとって、家電を使った日常の自動化・時短化は、
究極的には「人生の無駄」を無くし、それにより得られた時間を「より価値の高いことに使うこと」を意味します。
たとえば、まだ完成してはないですが、「AWAIR」という空気質モニターをIFTTTと連動して室内の二酸化炭素が高くなったら、換気システムを強に変更し、濃度を下げては戻す。この一連の作業が私を一切介さず、センサーとソフトによって確実により正確に行われる。また、気になる明日の天気情報は、スマホをみなくても帰宅後アマゾンエコーでアレクサが元気な声で教えてくれる。これならスマホを見なくても済むし、その時間に子供の面倒を見ることもできます。
食事や家事中、子供が叫んだらアレクサに好きな動画をプライムで再生するように口頭で命令すれば、 食器洗いで泡だらけの手を急いで拭いてテレビリモコンまで走る必要もありませんし、それによりバタバタしてイラっとする必要も場面も少なくなります。という効率と無駄がなくなるという理論です。
そんな私ですが、
最近「人生の目標は効率だけではない」という言葉に感じるところも多くなりました。
「より価値の高いことに使うこと」を目指しているはずなのに、そのあまった時間に「それらのデバイスを管理したり、より魅力的で新しいデバイスの検索に時間を費やしている」のです。
そろそろ、「スティーブ・ジョブス」が妄想で作り上げた「狭いデバイスの世界」から抜け出さないといけないかもしれません。
彼の死後、世界が変わってスマホ時間を気にするようになったのはある意味人類にとって良い方向かもしれません。
そして何より、つい最近患った「神経性難聴」という病気。
片方の耳鳴りがずっと止まらず、子供の高周波数の叫びに苦労(鼓膜がちぎれそうな感じ)しながら、3週間もの薬生活をおくりました。
医師からは「ストレスを溜めないように・・・」と言われたものの、
結局その最大の犯人が自分であることは言われなくても分かっていました。
・・・「人生の無駄」・・・
病気のおかげなのか。38歳という年のせいなのか。
「人生にはある程度の無駄は必要かもしれません」・・・
無駄は無駄と感じる瞬間、無駄になる気がする・・・そんなことでまたストレスが増えていく2児の親父です。
おしまい。
子育て世代の悲鳴。助けて!いや。分かってくれるだけでいいという切実な現状。
子育て世代の悲鳴。
助けて!いや。分かってくれるだけでいいという切実な現状。
「働く女性の数は年々増加しており、 平成 29 年の女性雇用者数1は 2,590 万人に達している。 また、 同年の雇用者総数に占める女性の割合も 44.5%と過去最高の数値となっている。子どもを育てながら働く女性も増えてきているが、一方で、仕事と育児の両立に悩む女性も多くいる。第一子出生前後の妻の就業変化状況を見ると、約5割の女性が出産・育児を機に退職をしており、その約4分の1の女性が退職理由として「仕事を続けたかったが、仕事と育児の両立の難しさでやめた。 」と回答している」
*引用 仕事と育児の両立支援に係る総合的研究会報告書(2018.3)より*
昨今の日本の育児システムは、子育て世代において「厳しい」という言葉では表現しきれないほどの大変さがある。特に、共働きで収入が決まっていて + 各両親からの援助が受けられない世代の苦労は、常に一般人の常識範囲を超えている。
たとえば、時短勤務(保育園送迎のための仕方ない選択)で急いで延長時間ぎりぎり(周りは殆ど残業中)に迎えにいく。末っ子は布オムツにウンチをしながら泣き崩れ、長男は不機嫌で保育園いやいやを叫ぶ。不機嫌な二人を車に半強制的に乗せてその泣き声を聞きながら時々お菓子の要求に対応しながら何とか帰宅する。帰宅後、自動反射的に「お腹すいた!ご飯!」って叫ぶ子供に理性を失わない程度で返事しながら、急いで夕ご飯の用意に取り掛かる。もちろん夕ご飯の献立は、前日までには考えておく必要があり、足りない食材はお迎えの前に買い物をしておくのは当たり前だ。
それからパパの帰宅。いやいや!MAXの二人を相手しながら保育園の洗濯物を確認し部分洗濯(オムツの選別及び手洗い)後に洗濯機に投げ込み電源をON。同時に家の片付けと夕食のテーブルセッティングに取り掛かる。食事を取る能力が明らかに欠けている2歳と4歳の食事補助をしながら自分の食事を済ませる(何を食べたか思い出せない)。コップの水をこぼし、納豆や魚などをテーブルに投げるのはもちろんで、時にはハイチェアから落ちて大泣きする。まぁ、座ってくれるだけでマシな場合も多い。
このような状況で、「子供の声にセンシティブに反応し、目を合わせて丁寧にコミュニケーションを取る」というNHK的な子育て指針がどれだけ現実離れしているかが分かるはずだ。
共働きの帰宅後2時間は、
まさに戦場そのもの。
ざっくり帰宅後やることを並べると、
- 夕食の準備
- 皿洗い
- 子供二人のお風呂
- 歯磨き(1日1回のみ:保育園ではやっていません:親の選択肢なし)
- 洗濯の室内干しセット
- 明日の保育園準備
・・・つまり帰宅後約2時間(子供が寝るまでの時間)で全てクリアしないといけない。
もちろんその中には、親のお風呂やお茶タイムなどは入っていない。
「何をそこまで・・・少し気持ちに余裕を持った方がいいんじゃない。そのほうがいらいらも減るし、物事もスムーズにできる。バタバタ・大変なのは結局親の態度によるものだ」という人もいるだろうけど、上記項目をクリアしないままお茶なんか飲めないし、毎日食事を抜きにし、お風呂を子供の意思を尊重しては3日連続風呂無しもざらだ。家事代行は1時間当たり2,000円相場。きついときは親にお願いしたくても19時以降ならその選択肢もないし、来てもらっても即戦力どころか逆に気を使うことになる。
何とか上記項目を無事にクリアし、子供をベッドまで連れて行くと親は二人とも体力限界に達する。上手く寝付かない末っ子は最後までイライラが続き、それを体全体で親にぶつけてくる。10曲以上の子守唄を歌ってやっと疲れ果てて就寝。親の方が先にレム睡眠に入ってしまうのだ。もちろん寝ている間に家事は何も進んでいないのは言うまでもない。
じゃ、親はいつ休めるのか。
休む時間は贅沢なのか。
親にもっとゆとりある生活を!
「夜中途中で目を覚まし、残っている家事を終わらせると休む時間はできる」が、それはあくまで理論的な話だ。
家事は不思議にも次から次へと出てくるもので、上記項目は子供に関連する必要最低限の家事に過ぎない。在庫切れの日用品や宅配食材の注文、必要な家電についての話や子供の普段の生活に関するもしくは行事に関するスケジュール調整・・・友達との週末遊び場のリサーチと各種買い物のスケジュール(できる限りAMAZON注文を優先)など、限られている時間の中で親がやっておかないといけないことは山積みだ。
「働き方改革実行計画」(平成 29 年3月 28 日 働き方改革実現会議決定) において、「女性の就業が進む中で、依然として育児・介護の負担が女性に偏っている現状や男性が希望しても実際には育児休業の取得等が進まない実態を踏まえ、 男性の育児参加を徹底的に促進するためあらゆる政策を動員する。このため、育児休業の取得時期・期間や取得しづらい職場の雰囲気の改善など、ニーズを踏まえた育児休業制度の在り方について、総合的な見直しの検討に着手し、実行していく。」とされている。
これを踏まえ、育児休業制度の在り方をはじめ、ニーズを踏まえた両立支援策について総合的な見直しのため、検討を行うこととする。*引用 仕事と育児の両立支援に係る総合的研究会報告書(2018.3)より*
「働き方改革実行計画」・・・まるで殺人事件の解決のために臨時設置された捜査班の看板を思い浮かぶのは気のせいだろうか。
首相がうちに来て家事を代わりにやった後、その大変さを体験した上で、私の上司に直接その大変さを説明して育児に関する協力をお願いするならば、変わる可能性はほんの少しあるかもしれないが、これじゃただの卓上空論に過ぎない。
「促進」「改善」「在り方」「検討」・・・この言葉を書いた人のうち、定時に家に帰ってちゃんと家事と育児をする人はどれぐらいいるんだろう。あり方を検討し制度を改善して行動を促進するって何十年前からずっとテレビで言っている言葉ではないか。何が変わったのか。そこに育児という言葉が追加されただけに過ぎない。
なお、国の実際の指針をそのまま引用してみた。
男性の育休取得?以外実際に役に立つ内容はないに乏しい。会社に蔓延する帰りづらい雰囲気をどうやって国が改善できるのか。
「総合的な見直しの検討」って結局「考えてみる」のと何が違うのか。男性の育児休暇取得=子育てしやすい環境という証拠だと思っているのか。
保育士の月5千円と7年以上で7万円加算はどれぐらい現実的なのか・・・
一般人の私の頭では何が改善されるのかさっぱり分からない。
たとえば、以下の項目が書いていれば、話は違う。
- 料理時短の家電「ホットクック」を子育て家庭に無料提供
- ルンバなど時短家電購入の際に使えるクーポンの発給
- 月4時間家事代行サービス無料利用
- 月1日平日に親に休暇取得を義務化
- 育児休暇や定時帰宅による人事被害を第3機関が監視
- 37.5℃発熱で保育園コールをかかり付けの病院と連携(現状選択肢なし)
- 保育園業務を自動化(保育日記の手書きや各種イベントの簡素化)
二人だけでなんとかやりくりするために投資した家電を合わせると30万を軽く超える。
- ルンバ:6万
- ブラーバー:3.5万
- 食洗機:20万
- ホットクック:4.3万
- コードレス掃除機:1.5万
- アマゾンエコーとグーグルホーム:1.6万
- 家電リモコン:0.6万
これがあるからこそ、ぎりぎり精神的にも体力的にも耐えれている部分が大きいが、この出費は子育てにより収入が減少するしかない今の日本で暮らす普通の子育て世代には負担の大きい金額だ。
「子は宝」:確かにそうだが、宝の管理にもやっぱりお金は必要である。
国が本気で子育て支援を考えているなら、まず委員会を現役の子育て世代から抜擢しないといけないと思う。
そもそも選ばれても保育園迎えと子供の熱で参加できない現実が変わらない限り無理だろうけど。
「転職は慎重に」…
そう。「子作りは慎重に」...
大げさだというかもしれないが、
下手すると子供を引き換えに自分の人生(時間)を失うかもしれない。
嘘だと思うなら、なってみれば分かる。
(どっかで聞いたフレーズばかり...)
共働きの「パパ」はこんなことをやっています!
こんにちは。
今回はなんとなく子育て家族のパパとしての話を・・・
共働き・シングルパパ・2世帯など家庭環境はみんなそれぞれで、どれが正解というのは絶対ないと思います。
もしあるとしたら、共通する苦労やストレスと精神的消耗・・・に対する認識と危機感かと。そこに人との比較が入ってしまうと家族愛が壊れていく気がします。
日本での子育ての大変さ
日本は先進国といわれているものの、それはあくまで経済とものづくり世界の話。
残業当たり前・休みじゃない休み・子育て家族への無関心・無配慮・男性中心の職場などなど。ツッコミ始めるとキリがありません。普通の家族を持って普通の生活を送ることがだんだん難しくなった気がします。
保育園対応のための時短勤務が昇進に影響を及ぼし、キャリアを断絶させる。定時退社を犯罪扱いするようなシステムで親は心身ともにクタクタに。
子育ては禁断の扉
話が少しそれましたが、パパとしての生活は独身や二人だけの世界とはまるで違う世界の扉を開いてしまったって感じです。しかも、その扉は一度開いてしまうと元には戻れない禁断の扉ということを、開く前の自分は決して知る術も何も持っていませんでした。
その時になって、映画のワンシーンみたいに走馬灯のように駆け巡るのです。自分の周りにいた親たちの大変さが(電車の中で、レストランの中で、イヤフォン越しの耳障りとバタバタ...)
まぁ、それを知ってたら扉は開けないでしょうね。素手でオムツ処理をしながら気づくのです。知らないから開けてしまうかなと。
そろそろ本題に・・・w
今回家族の中のパパという役割を並べてみました。少し長いですが、自分の家と比べて頂ければ嬉しいです!
- 掃除・洗濯・食器洗い(ルンバ・ブラーバ・食洗機など機械に頼りまくっています)
- お金の管理(家計簿は無理。月間・年間プランで収入支払いを管理+投資や各種ポイントなども管理)
- 子供ケア(遊び相手・お風呂(その後の着せ替えも含めて)・寝かしつけ・歯磨き・着せ替えなどその他いろいろ)
- 生活必須品の注文到着(再配達手続・問い合わせ・クレームなど)までの管理)+備品管理
- 家電製品の管理+生活に便利な家電の調査説明購入+管理全て
- 各種手配(書類申請・確定申告(2名分)・スマホや料金制度の合理化かチェック変更など)
- Kindleや普段使うスマホなどの充電(妻のスマホは次の朝100%になるようにしています)及びデータ管理・アップデート・役に立つ情報チェック提案(妻)・ダウンロード(すぐ閲覧できるよう)
- 家族の写真撮影・現象(キタムラなどを利用)・アルバム作り・データ管理(hdd管理)・カメラ管理
- 保育園の準備・仕事(アイロン)の準備
- お風呂の掃除・換気システムや洗濯機の掃除
- ゴミ収集及び処理(宅配ダンボール・不用品の処理手配など)
- ネットや無線関連手続き及び手配やクレーム対応全て
- その他家やものに関わる問題解決など
長い文章失礼しました。生活感ばればれですね。ざっくりですが、大体こんな感じで日々やっています。目立つものがあまりありませんw
家電が好きということもあり、どうしてもそっち係のことが多いです・・・
こうしてみると、やりたいことばかりやっているかなとも。
「コスパ最強。子育て必須品!」
「時短・共働きに必要な家電・グッズベスト」
「家計・無駄使いを防ぐ・副業かせぎ」など。
満員電車でもトイレでもどこでも。
時間があるたびに情報収集と各種手配に精一杯。家に帰っては子供の面倒と掃除や仕事保育園の準備などの家事三昧。
共働きであることは、妻も同じであって常にお互いの状況を把握し助け合っていますが、毎日必ずって言ってもいいほどパニックは訪れますw
今まで自分の中では生活コントロールには自信を持っていましたが、下の子が1歳をこえた時期からこのバランスは激しく崩れましたw
今日はこれ以上書いたら、ただの不満話になりそうでこのへんで終わらせたいと思います。
・・・次回はそんな中で何とか私の支えとなっている家電について書いてみたいと思いますw
最後までありがとうございました^^
(続編) 無印良品の家 窓の家 2年と9ヶ月後、実際のレビュー
無印良品の家の話が全然少ない!騙された!
こんにちは。
その間いろいろ(主に育児と、育児による病気)ありまして久しぶりの更新になりました。強力な抗生剤のおかげで気力を取り戻しておりますので、これからも宜しくお願い致します。
皆様からの鋭いご指摘を頂き、今回はちょっと真面目に家のレビューを書いてみました。これから無印良品の家をご検討中の方、ちょっと気になるけど実際どこがどう違うの?高いだけじゃないの?ってナナメ目線の方にも、少しでも参考にしてもらえば嬉しいです。
まず、前回の記事はこちらです。ご参考までに。
内容は薄いですが、lcpam.hatenablog.com
2016年春完成ですので、窓の家での生活は正確には2年9ヶ月目になります。
中身の乏しい(?)前回を反省し!今回は住んでみて分かった無印良品の家について本気で書いてみました!(抗生剤が効いている間に!)
「家を買う」ということ
「家を買う」ということは、
「マートでものを選んでレジを通す」
「土地を買ってそこに家を建てる」というような簡単な話ではありませんでした。
そこには、一つしかない土地とハウスメーカーの特徴を全て考慮しないといけないという…とてつもなく膨大な選択の連続が待っていました。
大事なのは家に対する家族のこだわり
家族と暮らしの変化により、多くの方が子供を思いっきり遊ばせたい、周りの目を気にしたくないという強いアプローチもしくはモチベーションから家探しを始めます。
私たちも同じでした。
「高い家賃払っているのに、子供の遊びにも苦情が気になる」
「収納も家事同線も古く、頑張って改善しても限界を感じる」
「熱すぎ・寒すぎ…毎日の洗濯(オムツなど)でカビだらけ…」
ものが多いせいか、それとも暮らしが下手なのか。本当にいろいろ悩みました。
本当に必要なものまで捨てたり、収納を統一させたり、植物をおいてみたりと。
でも、どうしてもぶつかってしまう同線と、すぐカビだらけになるカーテン。
窓を開けるとすぐさま家の中がすごい湿度(帰宅時15%→洗濯後99%;)に!
子供が生まれ、育児の苦難が益々現実化するにつれ・・・
もう限界かもという瞬間が私にもついにやってきました。
もういやだ!! わが家を建てるぞ!
意気投合した二人の目の前に、ど~んとお金と価値観の選択が迫ります。
それで私たちは、限られた資金と時間をフル活動するためには、揺れない判断力と価値観の話し合いが重要だと感じました。はやり仲良く(これが意外と難しいですが;)二人でよく話し合い「我が家はこうしたい」という内容を確認するのが大切です。その揺れない判断基準さえあれば、家探しはかなり楽になるかもしれません。
私たちは・・・以下5つという結論になりました。
柱のない開放感あふれる吹き抜けで暮らしたい。
お洒落で大きな窓で室内と玄関を明るくしたい。
家どこでも家族が会話ができるようにしたい。
家族の年齢に合わせて間仕切りを変えたい。
全てのデザインをシンプルなデザインにしたい。
しかし、 私達にはシンプルなお願いでしたが、これを解決してくれるメーカーはかなり限られていました。
お洒落で大きな窓で室内と玄関を明るくしたい。
家どこでも家族が会話ができるようにしたい。
結論
⇒(窓)デザイン性と性能両方を併せ持つlixil製窓。
⇒(会話)吹き抜けと一室空間
極力柱を無くし、開放感あふれる吹き抜けで暮らしたい。
家族の年齢に合わせて間仕切りを変えたい。
結論⇒SE工法
そして、
全てのデザインを飽きのこないシンプルなデザインにしたい。
結論⇒無印良品の家
幸い、私が求めるものの殆どが無印良品の家の中にありました。
というか付き合ってくれるのは無印良品の家しかないような…。
細かい内容よりも無印良品の家(窓の家)デザインの一面を実際の写真で添付してみました。
幅木(壁と床のつなぎ目)の形
クロスの張り方(壁天井一枚型:天井幅木なし)
基本照明や床材・ドアノブの選定デザイン
(施工例からのイメージです。近いうちに綺麗に取り直します;;)
そして、何よりも
窓のデザイン
景色を切り取る。眺めの邪魔をしない。そのために、一般的に良く使う引違い窓をできるだけ排除しました。開ける必要のないところは景色を切り取るfix窓を採用。
無印良品の家のデザイン
いざ完成してみると、白を基調とするシンプルなデザインは私達のイメージをはるかに超える統一性、いや恐ろしいほどのまとまり感がありました。
そこでやっと「なるほど、無印良品はこういう家を作りたかったんだ」と頷くのです。
もし工務店にお願いし、無印良品のデザイン基準で家を建てたらどうでしょう。
恐らく割り高になるうえに、完成度はかなり落ちるのではないでしょうか。
無駄に主張することなく、全てが静かにバランスを取っている
それがこの窓の家を建てて2年9ヶ月で感じた感想です。
・・・
最後に
一見無印良品の家って価格も安くなく、過剰にシンプルさと完成度にこだわってるように見えます。正直、決して万人受けするような家ではありません。
住み主の価値観とメーカーの価値観が合ってこそ、その満足感が得られる。
勿論入居後、細かい同線やコンセントの位置など、こうすればよかったかなというところは存在します。しかし、無印良品の家ではない他のメーカーにすればよかったなと感じることは今もこれからもないような気がします。
・・・その安心感こそが、これから私達の「家に対する愛着」に繋がるだろうなと思うようになったのも、もしかしたらこの2年と9ヶ月という時間のおかげかも知れません。
最後までお読み頂きまして有難うございました。
では、次回もお楽しみに。
子供の写真を撮りながら思うこと。
「保育園、いきたくない!!」
雨の日。ほぼ全裸の息子の叫びで始まるいつもの平日。
淡々と体操服を着せながらこまめに時計をチェック。
妻も1歳の娘と格闘中で息子の叫びに付き合う余裕などありません。
「そうだね。パパも仕事行きたくないな…。」
息子への言葉が、そのまま自分に跳ね返ってくる悲しさ。
…対応と対応とまた対応。
やっと一人になって振り返えてみると
残るのは果てしない疲労感と何枚の写真…。
最初は少しでもいい写真を残したい…
短いこの瞬間を少しでもきれいに残したい…
という思いで始めた写真とアルバム作り。
とにかくいい写真が撮りたい!
大切な瞬間を残したい!という気持ちだけで、
撮り続けた1年と2万枚の写真。
…今見えるのは、鮮やかな子供の表情と日常。
そしてそれをファインダーで覗く寂しい自分の背中。
夜中一通り家事を終わらせて始まる写真選びとアルバム作り。
自己満足なのか、家族サービスなのか、時々わからない時がある。
「うまくなったじゃん。結構いい写真も多いし、これ趣味にしたら?」
妻の一言に素直に「うん!」って返事ができない。
…
今この瞬間を少し離れてファインダーで覗くことと、
一緒にその瞬間を感じることの違いは…
僕の予想よりもずっと大きかったようです。
「いつか、この写真がきっと喜ばれる時が来る!」
「苦労して作ったこのアルバムは、きっと人生の宝物になる!」
そういう思いだけではどうしても趣味にはできないようです。
… 2万枚の中で、見てほしかったのは、ファインダー先にいる自分だったかもしれません。
僕が鼻毛カッターを買った理由。
今回は妻に相談もぜす、HANAGE(視覚的な嫌悪感を考慮し、英語標記にしてみました)カッターを買った経緯について書いてみました。
<ご案内>
衛生・清潔の問題により関連イメージの使用は極力減らしました。文章のみになりますが、ご了承下さい。
<ご注意>
1 ランチ中に偶然スマホを開いた方、
2 人生カテゴリーだと勘違いして
クリックしてしまった方、
下へのスライドはおやめ下さい。
・・・話の発端は、約6年前に遡ります。
今とは違う国・違う職場で深夜までバリバリ働いてた時期がありました。
また、終電ぎりぎりまで書類と戦っていた私を労う優しい上司がいました。
彼は管理職ですが、通常業務もこなし、なおかつ平和な家庭を維持(基本離婚寸前の上司が多い)しながら、常に冷静で穏やかな雰囲気を感じさせる・・・不思議な人でした。
社内実質NO.5?のチーム長が一番信頼を置く大手化学エンジニア出身のエリート。一度も嫌味を言われたことのない完璧な人格。彼は、20代後半入社した私を最後まで支えてくれたかけがえのない恩人でもあります。
・・・こんな上司もいるのか。
この会社も捨てたもんじゃない!
ストレス癌と闘い(?)ながらも心の支えになってくれた彼のおかげで、僕は5年以上仕事を続けることができました。未だに感謝という気持ちで一杯です。
そんな完璧な彼(以下:Y次長)には、
唯一気になるところがありました。
それは、「鼻毛」・・・
きつくて倒れそうになるとき、
理不尽な理由で他の上司に散々言われてメルトダウン寸前のとき、
Y次長はいつも屋上でくだらない僕の愚痴を聞いては優しくこう言うのです。
「〇〇君のせいじゃない。明らかにシステムと誤解の問題だ。自分が確認してみる。」という優しいフォローの上に・・・方向性を失って散乱する鼻毛・・・
1、2、3、4・・・
本来なら、有難い気持ちで一杯なはずなのに・・・
そこには、
・・・80%の感情しか感じれない自分が…
・・・感謝と違和感を同時に感じる複雑な自分がいました。
皮肉にも本来なら優しい上司のフォローとして覚えるはずの人生の一コマが・・・
今は自分や他人の鼻毛を見るたびにあのときの屋上を思い出してしまうのです。
もし自分の鼻毛が出ていることに気付かず女性と話をしていたら?・・・
もし後輩にアドバイスしているとき、自分の口と鼻毛が一緒に動いてたら?
・・・もしかしたら、自分の鼻毛が誰かにとって人生のトラウマになるかもしれない。
・・・さらに、それよりも悲しいことは、
理由も分からないまま、二度と話かけられないまま人生が終わってしまうかもしれないということ。
・・・飛躍しすぎ! ←やっぱり、どうみてもトラウマですね。
トラウマから約6年。。。
・・・事件は突然訪れました。
いつものようにスタバで妻とアメリカノを飲んでいたら、
「あれ、鼻毛出てるよ。」
「・・・ ・・・あ、(小パニック)・・・
気にしてたつもりなんだけどね。(急いで視野を手でカット)」
←戸惑いがばれないよう冷静な姿勢を装うが、そのリアクションが逆に不自然であることに自ら気づいてしまう戸惑い。
女子はまつ毛。
男子ははな毛。というと大げさでしょうか。
(性差別な意図は全くございません)
6年前のトラウマ+今回の戸惑いがトリガーとなり、
今回ついにハナゲカッターを購入する運びとなりました。
・・・何かが終わった感じがしませんが;;
因みに、購入したカッターはパナソニック製で、AMAZON(買い物は基本AMAZON一択)で681円。
*パナソニックホームページより
エチケットカッター ER-GN10 | フェイスケア | メンズグルーミング | Panasonic
いつものように
妻に事前確認することも考えましたが、
「えっ?鼻毛カッター買うの?」
・・・どうしても頭の中でこのセリフに対して対抗できず、職場の狭いトイレでお急ぎ便を慎重に頼むパパです。
:::メール受信振動:::
「今日到着予定:パナソニック エチケット(正式名称・・・さすが!)カッター」
「あ、何か楽しみ…。」
681円で人生のトラウマが少し和らぐなら・・・安い買い物だ!
とまだトイレで独り言をいうオジサンです。
最後まで読んでいただいて有難うございました。
おしまい。
(後編)イクメンのメンタルは…の巻 完結編!
今から書く内容が前編に繋がるかどうか微妙ですが...
前編はこちら。
最近やたらと「次回に続く」が多すぎていい加減ちゃんと書いたら?!という後ろめたさを感じ…深夜まで眠れない日々が続いておりまして、恐る恐るキーボードを叩いています。
<前編から抜粋>
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もう一度10年前の彼女に会いたい。
そう思うのは、もしかしたら頼りにされていたその時の自分を…
自信にあふれていた自分を…もう一度見たかったからかもしれません。
****
いかにも弱々しいイクメンのメンタル...
ちょっとしたことで落ち込み、感情を剥き出しにする頼りない、そんなパパをみて子供は何を学ぶんでしょうか。
その答えを求めて
本をあさったり、趣味を探したり、育児に没頭したり、家計節約を考えたり、家事をしたりしてもなかなか見つかりません。
悩む時間が長くなればなるほど、感情は複雑になりシンプルな思考ができなくなります。
気になる言葉はもっと気になりはじめ、関係のない過去のことと合体(?)をし始めます。
このままじゃいかん!!という必死な思いで、傷つく覚悟で不満を漏らすと、
「あ、そうだったの。ごめんね。」
とあっさり受け入れてくれる彼女いや奥さんがいました。
…ここで:イクメンのメンタルは誰にケアしてもらえるのか。に戻ります。
開始早々結論になりますが、イクメンは奥さんがいるからこそ存在するものだと思います。イクメンはただ育児や家事をこなすだけでなく、奥さんへの思いやりも含めてイクメンではないか。
このイクメンの奥さんへの思いやりこそが、イクメンのメンタルケアに大事な役割を果たしているかもしれません。
私が結婚8年目になってやっと気づいたこと。
一見矛盾しているようですが、それは…
奥さんへの思いやりを続けていくこと=
奥さんから感謝されること=自分を受け入れてくれること=イクメンのメンタルケアに繋がるのです。
たとえば、育児や夫婦間のストレスを溜め込んでいるものの、それを言葉にしないまますれ違う日々が続くとしましょう。
ちょっとしたことで、敏感に反応し「自分はこんなに頑張っているのに・・・」とついピリピリ緊張感溢れる状態になりやすいです。
子供がいない場合なら少し頑張ればお互い話し合う時間を作れたかも知れませんが、ご存知のように育児は戦場そのもの... そんな時間、そんな余裕など深夜1時ぐらいじゃないと作れませんよね。1時に奥さんはもう既に戦死状態...
もしもお互い冷え切っている状態で、片方の一方的な「話をしよう」というアプローチもなかなか怖いものです。
もし体調が悪かったり、その気にならなくて断ると、「自分は仲直りしようと思ってこんなに頑張っているのに・・・なんで・・・自分だけ考えるだろう」とまた勝手に妄想を走らせるかもしれません。
そうなんです!!
このストレスの溜め込み+妄想はイクメンのメンタルをぐちゃぐちゃにするのです。
でも、そこでもう一度思い出してほしいのです。
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もう一度10年前の彼女に会いたい自分を・・・
そう思うのは、もしかしたら頼りにされていたその時の自分を…
自信にあふれていた自分を…もう一度見たい理由を...
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・・・10年前の自分を…もう一度振り返ると、
そこには「彼女ともっと一緒にいたい。彼女をもっと笑わせたい。綺麗な景色を見せたい。感動する姿が見たい」と切実に思う自分がいました。
それを1つずつ叶えていく幸せ...
確かにその時の人生(時間)はいつもよりも輝いていました。
その時、気づくのです。
その自信の理由と、
答えはいつもすぐそばにいるということを...
長い年月をかけてやっと気づく馬鹿な男です。
... 大好きだよ(自分へのメンタルケア)!
「知ってるよ。」
... 今日も受け入れてくれている奥さんです。
... それからも日常は続く。
(後記)...「好き」の濫用に若干惹かれ気味の自分もいました。--;;;
今日の教訓: ちゃんと信号をみてから渡りましょう...タイミングってやっぱり大事…
(前編)イクメンのメンタルは、一体誰にケアしてもらえるのか?の巻。
イクメン・クライシス
先ず、話に入る前に・・・
*産後クライシスとは、
産後クライシスとは、出産後から2 - 3年ほどの間に、夫婦仲が悪化するという現象を指し、2012年にNHKが提唱した用語である。Wikipedia
その最大原因は、夫(の非協力な態度)にあるんだそうです。
こんばんは。
今日はイクメンのメンタルの行方について、一人で勝手に盛り上げていきたいと思います;
まず自分の状況から紹介しますと、
家事暦・・・約10年。
育児暦・・・3年7ヶ月。
家事速度も育児に必要な筋肉も
フリー時代に比べて約2倍になりました。
会社なら課長クラスといってもいい経歴ですが、家庭ではそうはいきません。
「大変。なんとかして〜」
「今日はちょっと甘えたい日なの」
「おねがい!今日は何もしたくないの」…
自分を頼りにしていたか弱かった彼女。
「しょうがないな~」と満面の笑みで苦労を買ってしまうバカ男。
しかし!気がつけば!
結婚と出産と育児を経て益々的確な判断と行動力を見せてくれる彼女。
そんな彼女は、まるでメタルスライムをいとも簡単に一撃で倒してしまい、
*普通ほとんどにげてしまうのですが...
いつの間にかレベル3からいきなりレベル30になってしまったみたいな強靭な姿になっていました。
おお!! これぞ母親なのか!!
もしかしたら最強の職業は勇者ではなく、母親かもと考えてしまうほど攻撃力・瞬発力・魔力・知性…全てにおいて弱点が見当たりません。
それに比べて僕は、
自分の中の地味な敵をひたすら倒し続ける毎日。
同じマップを一日中回ってもレベルアップは僅か2になるかどうかの過酷な現実。
育児は、やっと敵を倒し瀕死状態で旅館(INN)に向っている途中!
ポーション(注:元気ドリンクのようなもの)なしで、さらに強い敵に遭遇してしまうそんな毎日です。(いまいち伝わりませんね…)
話が少し趣味側に逸れすぎましたが、
結局、男のメンタルはそう簡単にレベルアップできないということです。
それどころか、今となっては根拠のない自信に溢れていた20代のメンタルを維持することだけでもすごい!と思うようになりました。
恥ずかしい話ですが、
入籍したからといって…すぐ旦那になれたわけでも
子供が生まれたからといって…すぐ父親になれたわけでもありません。
それって大丈夫??
大人として責任も自覚もないの?
…と言われたら、またいつものように黙り込むしかありません。
口下手な僕は、感情そのままの言葉を吐いてしまってはまた後悔。
その言葉を発する前に戻すために…どれだけ苦労したか…。
…どうしてこんなに弱い男になってしまったのか。
…その根拠のない自信は一体どこへ行ってしまったのか…。
困惑している間に彼女は次のステージに向かい…
子供は新しいクラスになり、末っ子はイヤイヤ期が始まりました。
おい!こんなことしている場合じゃないよ!
父親だろう!?イクメンだろう!?
子育ても収納も勉強しなきゃいけないのがいっぱいなんだよ!
… … はあ・・・はあ・・・
…
「大変。なんとかして〜」
「今日はちょっと甘えたい日なの」
「おねがい!今日は何もしたくないの」…
よみがえる言葉。無意識に口の中に回る言葉。
もう一度10年前の彼女に会いたい。
そう思うのは、もしかしたら頼りにされていたその時の自分を…
自信にあふれていた自分を…もう一度見たかったからかもしれません。
…
次回に続く。
(写真) 日常と写真。
... 日常は、
永遠にそこにあると
思い込んでしまうもの。
... 家族は、
その日常が永遠であると
思い込んでしまうもの。
そして
... 写真は、
その思い込みを叶えてくれるもの。