韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

さあ、およぐぞ。

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「さあ、およぐぞ。」
くじらは、青い 青い
空の なかを、
げんき いっぱい
すすんで いきました。

うみの ほうへ、
むらの ほうへ、
まちの ほうへ。

…何年ぶりだろうね…
君のことを思い出すのは…

まだ肌寒い土曜日の夕方、
薄暗い小さなレストランで、
緊張していた僕の結婚式を…
窓側の奥で生まれたばかりの赤ん坊を、
あやしながら眺めていた君のことを…

赤と紫で綺麗なハンボクと髪の毛で、
静かに座っていた君の最後の表情を…

何年ぶりだろうね…

どうしてもっと早く教えてくれなかったの!
言葉を選ぶ母に怒っていた…
あの日のことを思い出すのは…

何年ぶりだろうね…

もしというのはないだろうけど、
もし…君が今も生きていれば…

育児のことについて、
親としての人生について、
旦那さんへの不満について、
そしてあの頃の思い出について…

きっとふざけ合いながら、
話し合っていただろうね…

同じ年に生まれたこと以外、
性別も、親も、環境も…
何一つ同じではなかったのに…

多くの甥や姪たちを優しく、
引っ張る姉と兄として…
互いを支え合っていたことを…

どうして僕は…
今になって…その全てを、
昨日のことのように…
思い出しているだろうね…

そう…もし君が生きていれば…
二人で、はしゃぐ子供たちの背中を
眺め、きっとあのときのことを、
笑いながら話していたんだろうね…


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昨日への「死」がある時、
その時…本当の「生」が現れると…
誰かが言っていたんだけど…

僕は、花開く死を眺めることに…
歳と共に変わり続けるその花の姿に…
耐えきれずに逃げたりしないで、
思い浮かぶ感情、その全てをただ...
ありのまま…眺めるその中にこそ…
生というものがあるのだと…
少し自慢げに...話していたんだろうね。

何年ぶりだろうね…
そして…どうしてだろうね…

息子が読んでくれた、
あのくじらぐもの話に…
ずっと忘れていた君のことを
思い浮かぶのは...

でも…
今日はいいよね?
今日は少し感傷的になっても…
今日は少し涙を流しても…
...いいよね?

きっと…君は…
あの青い空の中を、
元気いっぱい…
すすんでいるだろうから…

「さあ、およぐぞ。」
くじらは、青い 青い
空の なかを、
げんき いっぱい
すすんで いきました。

うみの ほうへ、
むらの ほうへ、
まちの ほうへ...

みんなは うたを
うたいました。

そらは、どこまでも
どこまでも 続きます…


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♬いくつもの |寺尾沙穂

 

lcpam.hatenablog.com

 

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(出版案内) 本を…アナログの本を出版しました。

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本を…
アナログの本を出版しました。

その時々の思いつきで、
書いてきたブログ記事を…

人生・日常・瞑想・育児、
四つのテーマに並び替え…

確かな質感が感じられる、
コーヒーや雨…湿気などに敏感な…
紙質の本の中にまとめてみました(笑)

どこか…もの足りない表紙が、
刺激とは程遠い地味な編集が…
でたらめな日本語文法と、
いつもの訳分からない書き方と相まって…

今どき珍しい、アマチュア感満載の
仕上がりになりましたが…

この度、何とか…
アナログの本を出版しましたので、
ご案内までに。

クリシュナムルティから学ぶ人生と育児
(Kindle ダイレクト・パブリッシング)

 

📚 今のどころ、韓国語版の予定はございません(笑)

偶然…そう、いつも偶然。

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偶然...

遮るものは何一つ無い
昼前の落ち着いた空を、
いつもの公園で...
偶然...見上げる。

そこには…
何度も首を回さないと...

その輪郭すら掴めない、
パノラマのような景色が...

はしゃぎまわる子供、
舞い上がる砂埃、
通り過がりの人や犬、
静かに落ちる枯れ葉、
子供を見守る親の背中...

ありふれて...つい...
見落としてしまう、
何気ない日常の上に...

アンバランスな対比と
圧倒的なスケールで
果てしなく広がる。

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それはまるで...
天国か何かを眺めるような、
誰も考え出すことのできない、
壮麗で夢幻的な何かのように..

自分を見ろなど何も言わず、
ただ...本来あるべきところで...
地上のあらゆるものに向かって
ただ...広がっていた。

それは...
ただそこにあるという言葉以外…
全て無意味だと、いや...
人の言葉というちっぽけな器では
到底説明できない何かなのだと...
そう言わんばかりに...

それを眺めるものに...
言葉を超えた何かで心を揺さぶり、
次々と問題を見つけ出す思考を、
果てしのないお喋りの独り言を、
今日も永遠と動き回る思考を...
一瞬にして全て取り払うのである。
...
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よりきれいに…

よりリアルに...

最先端のテレビやカメラ、
高画像のプロジェクター...
人間が発明し、進化させてきた
どんなテクノロジーでも...

の前に広がるあの景色を...
再現することは決してできないだろう。

夜空に広がる無数の光が、
それぞれ異なる輝きと色で
散りばめられた星空の美しさは、
絶え間なく変わり続ける、
奇跡のようなリアリティーは…
決して作り出すことはできないだろう。

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あの雲や星...数え切れない命、

自然がもたらすあの美と秩序を...
片っ端から破壊しつつある私たち人間が…

小さいテレビや何かの中で、
その美しさに唾を飲み込み、驚嘆し、
その大切さと必要性に涙を流しているのは
何とも皮肉なことだろう。

どうして...
私たちの日常に溢れた景色や自然は、
人間は決して作り出すことのできない何かは...

うまく編集された高画質の
ドキュメンタリーの中で、
眺め、楽しみ、笑い、涙を流す、
もう一つの娯楽になってしまったのだろう...

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スローモーションで動く
野生動物の力動感とその物語を、
どうして私たちは…
日常の中で、自然の中で
見つけようとせず、
テレビや小さいスマホの中で…
おやつを片手に
鑑賞しているのだろう…

またその短い鑑賞が終わると、
ほんの少しの余韻すら噛み締めず...
無数の壁に取り込まれた、
息苦しい建物の中に引きこもる、
自然とは無関係な日常を...
そういった人生を送っているのだろう…  

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***
柵の向こうから聞こえてくる
心地よい鳥たちのさえずり。

古い墓の近くで倒されずに
偶然残っていた大きな枯木が…
誰も気にしない公園の片隅で
小さな森をなしている。

音もなく揺れ動く葉っぱの上で、
無数に飛び交う溢れる生命力。

激しい風に息を潜め、
互いを呼び合うあの鳥こそ…
枯木を住処に遠くの空に旅立つ彼らこそ…
あの空…あの天国の主かもしれない。

...

宙に浮く蜘蛛を…
一瞬一瞬変わり続けるその何かを…
まるでそれを眺めるために
生まれてきたかのように...
全身で眺める息子の輝く瞳の中に...

夜空できらめくあの星々が…
果てしなく広がるあのパノラマが…
奇跡のようなあのリアリティーが...

偶然...
そう、いつも偶然...ただそこにある。

🎵 祝いのうた | 森ゆに

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lcpam.hatenablog.com

 

...不思議である。

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⚠ もしいつもの思考で読まれますと...
退屈と難解という問題が現れますので、
くれぐれもお気をつけください。

…不思議である。

いつものように…
モニターの前に座っていると、
目まぐるしい画面のように
問題というやつが次々と...
その姿を現す。

それはいつも自分の外側に存在し、
あらゆる要因が複雑に絡み合っていて…
どうしようもできないものがもつ、
その特有の不快感を伴って現れる。

何度も解決し片づけたと思っても、
今度はその解決そのものが…
新たな問題を引き起こし、
またもや…その解決に苦心する。

ある問題は…それを事前に
予想できたにもかかわらず、
いざそれに出会すと…
自分が以前と同じように苛立ち、
傷付き、怒っていることを…
そしてそれを永遠と繰り返している
ことに気づくのである。
... 
問題A→苛立ち→解決→問題A-1…
といった具合で問題と解決は、
ひたすらその無限ループを続ける。


だから…
不思議である。


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もし本当の意味での解決…
問題を二度と発生させないという、
全体的で根本的な解決という
立場から考えれば…

無限ループの中で行われる解決は....
その名にふさわしい役割を果たしてなく、
むしろ問題そのものを維持させている
張本人のようにすら思えてくるときがある。

つまり...
問題と解決が一つのプロセスとして、
単なる機械的なフィードバックとして
互いが互いを共存させていることに気づく。

ならば…
解決という行為を行わなければ…
問題をそのまま放置すれば…
それでいいのかというと…
実はそうだとも言い切れない。

もしあらゆる問題を放置してしまえば、
日常生活は処理されない問題に
たちまち埋め尽くされるだろうから。

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例えば…もし自分の子供が
アレルギーであると診断されたとすれば、
日常生活での環境管理はたちまち…
問題として浮かび上がる。

そこで親(保護者)は、
限られた予算と時間の中で、
アレルギー症状を抑えられる
様々な解決手段を探り出し、
何度も悩み、選択する過程を通り、
一定の解決策としてのアクションを行う。

しかし、ここで問題になるのは…
はたしてその解決策というものが、
本当の意味で解決になっているのかである。

もし家の状態を清潔に保ち、
それを効率よく助ける家電や何かを
購入した場合、それらの行動は…
表面的には何かを解決し、
自分(親)なりに何かの行動を行ったという
ある種の満足を与え、その問題に対する
否定的な感情を少しは和らげるかもしれない...

しかしアレルギーから生まれた
問題全体を解決したかというと…
実はそうだとは言い切れない。

返ってそのアクションが…
清潔に保つための掃除や家電維持管理など…
またそれらに使われる時間やエネルギーといった
別の問題を…これまで存在もしなかった
新たな問題を生み出しているからだ。

...
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それで今度は、その視点を変えてみる。

何かの結果を得るための解決に...ではなく、
問題そのものに...ピントを合わせてみる。

つまり、問題を眺める視点を変えるのである。

...そうすることで人は、
問題というやつは、どうして…
いともしつこく発生し、付きまとうのか?

それはどうして…
決して完全に消え去ることなく、
少しずつ違う形として巧妙に現れては、
自分に不快感を与え、苛立たせ…
大切なエネルギーを消耗させているのか?

そして…
それはどうして問題となるのか?
…という問いにたどり着き、
そしてその問いと同時に自ら気づくのである。

問題の本質は…
目の前に現れたそのものではなく、
問題を問題として捉える自分であることを…

ちっぽけな経験や知識、またそれらからなる
偏見や価値観で何かを眺め、解釈し、
それらに嵌らないと…不快感や違和感など
否定的な感情を覚え、どう対処していくべきかを
苦心している自分の姿に気づくのである。

そう、問題を生み続けているのは、
どこか自分と離れたところにある存在…
そうやって独立している個別な何かではなく、
目の前にある何かを…自分というちっぽけな
器で眺め、解釈し、そこから生まれる反応に
…気づかない、自分の思考そのものである。

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だからと言って...
あらゆる思考を全て否定し、
問題だと決めつけているわけではない。

ある宗教のようにありもしない罪を
思考に被せて、思考を犯罪者扱いし、
その罪を償うために何かを信じたり、
そのための儀式や献金を施すといった
子供じみたことを言っているわけでもない。

もちろん思考には、
それなりの居場所があるといった意味で、
普段の日常生活を送るときや仕事などを
効率的に取り組むときの思考は…
全く問題ではない。

問題は、苛立ち、傷付き、怒り…
否定的な感情を伴う状態を、
どうにか避けようともがき
それを自分に与えるものや出来事に
「問題」というレッテルを貼る思考…

そのプロセスや消耗性に気づかずに、
同じ動作を繰り返す機械のように、
自らを激しく消耗させる思考そのものである。

それで大事なのは…
問題を問題として捉えない、
健全な思考の動きを取り戻すことができるか…

しかし…
問題を問題として捉えないことが
思考にはできるだろうか。

つまり...そこにあるのは、
「問題」ではなく、
現にある事実を問題として捉える
「思考」だけであることを…

思考自らが感じ取ることが...

...

そう、思考は決して…
自分の動きの限界に気づくことができない。

奇抜な瞑想法やマインドフルネス....
思考に関するあらゆる手法を
全て取り入れ、いくら丁寧に
その知識を用いたところで、
思考は決して自分自身の限界を悟り、
それを超えることはできない。

それに気づくには…
思考は完全に沈黙しなければならない。

そう、それは…
本当の意味での沈黙をもって
完全にその活動を止めないといけない。

昼夜関係なく頭の中で、
果てしなく繰り返される
お喋りの思考が...

ちっぽけな経験や知識…
数えきれない偏見や思いこみ…
そしてその全てでしかない私という
物差しで何かを眺め、解釈する思考が…

物事を問題と名付け、言葉と同じく、
問題と自分を区別・分離させ、
その解決に苦心する思考が…

その思考自身を常に正しいと思いこみ、
健全で正常な何かであると考え、
それを少しも疑うことなく...
葬儀の前日まで繰り返している思考が…

それで生きる愛や関係、
生きるエネルギーを消耗させ、
自分の人生を機械のように繰り返させている
思考が全て終わらないといけない。

しかし...
依然としてそれができない。

…そう、だから...

不思議である(笑)

♪ 傘の向こう 原田郁子&寺尾沙穂
   (一応…BGMのつもりで…笑)

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親はつい…

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ぱっと見。
そう、ぱっと見それは...
何の楽しみも感じられない、
退屈で無意味な遊びだった。

何の変哲もなく、
それで眺めていると…

つまらないという言葉が、
口から漏れそうな…
どこにもありそうな公園で...

娘は、誰一人...
気にすることなく、
またそういう自分すらも
気にすることなく…

ガチガチに固まった砂の上に、
何かを描いては消し、
また何度も小さい指で
キラキラ光る小石を
並べ直していた。

その姿はまるで...
おうちのどこか…
娘だけが知っている、
落ち着くどこかに座って...
心地よく何かに没頭している
その時の姿に似ていた。

その公園のど真ん中で、
娘は家と同じように、
舞い上がる砂と土は、
全く気にもかけずに…

小さい足を大きく広げ…
心地よく何かを描いたり、
小さな砂山を作っていた。

静かに…
そして少し感傷的に…
その姿を眺めていた僕が、
何を描いたのか、どこに使うのかと…
ついつい口を出すと...

突然...
娘は瞳を大きく見開き、
どうしてそれを聞くのか、

どうしてそれに説明が必要なのか
…と
言わんばかりにじっと僕を眺める。

そしてその目を見て初めて…
目の前のものを言葉で眺め、
説明し、
それを理解したと…
そう思いたがる自分の姿に…
はっと気付かされるのである。


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...
「これはね〜」

溢れ出す言葉。

そこには...
おそらく先程までは、
存在もしなかった名前や役割が、

その全てから成る、
生き生きした何かが…

まるで魔法のように、
膨らんだ口元と指先から…
真っ白な砂と小石の上に
優しく舞い降りてくるのである。

...

おうちに帰ろう!

僕の声に娘は...
その全てには
最初から
何の興味も無かったかのように、
僕の手を引っ張っていく…。

そう、それは確かに...
何の楽しみも
何の特別感も、
感じられない
退屈で無意味な…

ありふれた日常だった。

***

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親はつい...
子供のこととなると…
派手で遊びごたえのある
特別な出来事やイベントに…
いつもの日常とはかけ離れた
体験や思い出作りに...ムキになる。

予算や日程、利便性や効率...
時間と努力に見合うだけの価値を、
ひっきりなしにスマホや何かで確認し、
最善の選択を…子どもへの最善の思い出を、
買うことに…ついムキになる。

それから...自分の行動を、
親としてのその選択を、
子どもがどう感じたか...
どう評価しているのか…
聞き出すことに…

そう、自分の苦労が…
そのために払った時間と努力が…
決して無駄ではなかったことを、
その選択が最善であったことを、
何度も自分に言い聞かせることに...
必死になってしまう。

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もしかしたら子育ては…
自分の姿に気づく...
鏡のようなものかもしれない。

子供に何かを与えたいと思う、
その気持ちの裏にある自分の喜びに… 

こうなってほしい…
もしくはその反対を願う、

その願望に隠れている自分の傷に…

子供の些細な言葉や行動に涙を流す、
無数の昨日の中にある自分の過去気づく鏡。

そう、それは...
何の楽しみも何の特別感も、
感じられない
退屈で無意味な、

ありふれた日常の...
その本当の姿を映し出す...

何の変哲もないのに、
ただ眺めているだけで…
美しいという言葉が口から溢れ出す、
生き生きした何かを気づかせてくれる
...鏡なのかもしれない。

...

♬ 湯布院の朝・寺尾沙穂

 

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いったいこのブログは...

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なぜこんなブログを書き続けるのか?
と聞かれたら...
何と答えたらいいだろう。

なぜクリシュナムルティの言葉を
引用したり、それに似ている記事を
発信しているのか?
と聞かれたら...
おそらく答えられない...と思う。

その動機や目指している目標は?
と聞かれたら...
それも…おそらく答えられない...と思う。

ただ気がついたら...
こうなっていたとしか...(笑)

目標やこれからのことは何も考えず、
その都度、書きたいことだけを
ただ書いていたら...としか
言いようがないと言ったら、
無責任と言われるだろうか。

月何件...何かの目標を立てたことも、
広告や収益への窓口にするつもりも、
読者数を増やしたいとも思わず、
そういった全てを何も考えず...ただ...

自分が考えたことを...
同年配の親、学生、子供、お年寄り...
どんな対象も意識することなく...
ただ...何となく書いていたと言ったら...

きっと、僕はブログ運営のうも知らない、
無知で自己流で非効率で…やる気のない、
ネット初心者と言われるだろうな…(笑

だから...
初めてここを訪れた人は...
何の方向性もなく、
何となく上から目線で何かを語る…
曖昧で押し付けがましいその内容に…

きっと…戸惑うか、
得体の知れない違和感に襲われ…
急いで違う場所に飛び移るだろう(笑)

そして…こう言うのかもしれない。

…いったいこのブログは、
何が言いたいのだ?と。(笑)


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... 実を言うと、
何も言いたくないし、
何も意図していないし、
何の目標も、何の動機も持っていない。

ならば... 一人で、
机に座ってノートにでも
書いていればいい話じゃないかと、
そう言われれば…
全くと言っていいほど、
そのとおりである。
...
にもかかわらず、
エネルギーを注ぎ、
育児や家事の合間をぬって
短い睡眠時間を犠牲にして
真夜中にパソコンと向かい合い、
写真と言葉を並べているのだから...
なおさら、不思議でしかない。

...感じたままの何かを、
少しでもそれに近い質感で
伝えられるようにと…
悩み、ためらい、苦心する
自分と向かい合っているのは...

もちろん全て...
自己満足のためである。

そう、ブログは自己満足である。
(あ、スッキリした…笑)

それ以上も、それ以下でもなく、
ただの自己満足でしかない。

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気高い何かを発信しようが...
洒落た言葉を並べ、
知性豊かな自己イメージを
アピールし、宣伝しようが...

日常で感じた何かや
その中にあふれる葛藤と矛盾を、
どれほどリアルに描写しようが...

時には、ロマンチックで、
感傷的で曖昧な言葉で、
美や平和や愛を語ろうが...

その全てが…
それを感じる「今」という、
まさにその瞬間から離れ、
パソコンの中で…
写真や言葉になるや否や...

そこには、必然的に…
あの瞬間の中で生き生きと
確かな質感で存在していた
あのリアリティーも、
あの愛も、あの美しさも...
何もかも全て…消えてなくなるのである。

そこには、ただ...
無数に点滅する…しかし実際は
何も存在していない画面上に
浮かび上がった単なる、
眩しいピクセルの集まりが…

何度も繰り返し眺める、
自己満足のための書き残しが...

その全てから作り上げられた
誰かに見せたい自己イメージが...

愛や平和...力強く何度も語る、
その全てとは何の関係も持たない...
ただ画面の中で虚しく点滅し続ける、
リアルとは無関係な幻想があるだけである。

にもかかわらず、
僕はここで何をしているのだろう?

そう自問していると…
何かがとてつもなく
バカバカしく感じられ、
自分の姿が恥ずかしくなって…
思わず…つい笑ってしまうのである。

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そう、自分が作り上げたイメージを
見せびらかし、その言葉に心酔し、
そこから生まれる何かの満足を、
繰り返し味わうために...

それっぽい理由や動機を
見つけて満足することもまた....
もう一つのイメージ作りでしかないことに…

その全てが…
自己満足を維持していくための、
プロセスでしかないことに気づいては…

自分のちっぽけさに、
その無知で厚かましい姿に…
ぞっとし、思わず、後ずさりしてしまう。
....

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生きる目的や意義。
人生の目標。
幸せへのステップ。

もしかしたら...
人生と言われる人の生も…
その中で行われるあらゆる営みも、
全て自己満足でしかないかもしれない。

もし人が…
もう一つの信念や思想としてではなく、
本当に…自己満足のバカバカしさを…
自分が、自分を満足させるために…
絶えず何かを繰り返していることを、
その無意味さを観ることができれば...

本当に…自分の力でその全てを眺め、
その中にある葛藤や矛盾を、
その危険性を感じ取ることができれば...

人は絶えず目標を掲げ、
それを繰り返し達成しようともがき、
生きる目的や意義を見出そうと悩み、
苦しんだりはしないだろう。

幸せや希望という…
響きの良い言葉に惑わされたり、
他人や世間に振り回されたりせず…

その全ての外側で、幸せとは何かを…
誰にも頼ることなく…自分の力で、
真剣に問い始めるだろう。

そしてそのとき…
他人のことや自分の葛藤に
消えていったエネルギーが、
今現在に向けられていることを…

それで…その溢れるエネルギーが…
自分という存在の窮屈さを、
その取るに足らないちっぽけさ
を…
見出し、暴くかもしれない。

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もしあなたが、
この無意味で無駄な記事を、
本当に…真剣に眺めたならば…

好き勝手に読み飛ばすことなく(笑)
何か別のことを考えながら、
適当に眺めたりしないで…
本当に...その中に入って
何かを感じたのならば...

私たちはきっと...
こう問うかもしれない。

いったいこのブログは、
何が言いたいのだ?と。

...(笑)


♬ 酒場の唄・Saho Terao

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【抜粋】もしもあなたが…

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もしもあなたが、
パン屋やカメラ店、書店、野外のレストランなど、たくさんの店が並んだ小さな町の街路を通り抜け、橋の下を過ぎ、 婦人洋服店のわきを通って、別の橋を渡り、製材所のわきを通り過ぎ、それから森の中へ入って水の流れに沿って歩き続けるときに…

自分の目と感覚をすべて完全に覚ましつつ、しかも精神に一閃たりとも思考をはさむことなく、通り過ぎてきたそれらすべてのものを見つめるならば、分離のないあり方とはどういうものか、お分かりになるだろう。

その流れに沿って一、二マイルほど歩きながら、しかも再び微塵も思考を働かせることなく、急な流れを見つめ、そのざわめきに聞き入り、その色彩を見、灰緑色の山を伝わって下ってくる流れを見、さらに再び一切の思考、一切の言葉を交えずに、木々を見つめ、枝を通して青空を見、そして緑なす葉群に目をとめるならば…そのとき、人と草の葉との間に空隙がないということがどういうことかお分りになるだろう。


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もしもあなたが、
またもや思考を何ひとつ働かせず、明るい紅色から黄色や紫まで想像しうるあらゆる色の花々が咲き乱れ、夜来の雨できれいに洗われた草が青々と豊かに生えている草原を通り抜けるならば、そのとき、あなたは愛とは何かが、お分かりになるだろう。

青い空、空高くいっぱいに風をはらんだ雲、あるいは空にくっきり輪郭を見せている緑の丘のつらなり、鮮やかな草としぼみかかった花をごらんなさい。これらのものを昨日の言葉を何ひとつはさむことなく見つめ、精神が完全に静まり返り、思考によって何ら乱されることなく沈黙し、そして観察者がまったくいないとき、そこにはユニティがある。

それは人が花や雲、あるいは広々とした丘のつらなりと文字どおり合体するということではなく、むしろそこにあるのは自分と他者との区別のない全的な非在感である。


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市場で買った日用品を運んでいく婦人、黒い大きなシェパード犬、ボール遊びをしているふたりの子ども...

もしもあなたが、
これらのものをまったくの無言のうちに、一切の判断、一切の連想をはさむことなく見つめることができれば、そのときにはあなたと他者との間のいさかいに終止符が打たれるのである。

言葉や思考を介在させないこのような状態は「私」と「他者」の区別が存在する領域や境界を持たない。精神の無量の広がりである。

それは断じて想像上のものでもないし、空想の翼に運ばれているのでもなく、あるいは待望されていた何か神秘的な体験といったものでもなく、それは目の前の花にとまっている蜜蜂や自転車に乗った少女、あるいは家にペンキを塗るためにはしごを登っている人と同じくらい現実的なことなのであり、そのときには分離状態の精神が引き起こすあらゆる葛藤に終止符が打たれるのである。

それは観察者としての目を変えずにものを見、言葉の価値づけや昨日の基準を変えずにものを見ることである。

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愛のまなざしは思考のまなざしとは違う。
一方は思考がついていけない方向に至り、 他方は分離と葛藤と悲嘆に行きつく。悲嘆の方からはついに愛に至ることはできない。両者の間の距離を作り出すのは思考であり、思考はどうあがいても愛に至ることはできないのである。

小さな農家のわきを通り、草原を通り抜け、鉄道に沿って戻っていくと、昨日はもう終わったのだということに、人は気づくだろう。

生は思考が終わったところから始まるのである。

 

【クリシュナムルティの瞑想録(大野純一訳)】

 

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(旅行記) 分かち合うこと。

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何年ぶりだろう...

思い起こすこともできないほど
久しぶりの独り旅。

...

デニムズボンに当たる…
強かで温かい朝日に、
閉じていた目を開けると…

山と海の間々にぎっしり
埋められた街並みが、

その上にポツンポツンと
置かれた雲の質感が、

自分を隠しきれずに
その間できらめく太陽が…

...薄く曇ったプラスチック窓の中で
果てしなく広がっている。

そして気づくと…
大きな瞳を輝かせながら、
その全てを無邪気に眺める
見慣れた誰かの面影が、

照らされた陽光と共に
輝く息子の横顔が、

あの雲のように…
確かな質感で生き生きと感じられる。
...

分かち合うこと。

それは...

見慣れない場所、
素晴らしい景色を眺め、
感じる喜び以上に...

目の前で広がる何かに…
鋭敏で無防備な姿勢で
その全てをひたすら眺める…
無邪気で無垢な誰かの姿を感じる
もう一つの喜びでもある。


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友人の思いやりで、
訪れたある老舗のレストラン。

丁寧に作られた料理を眺め、
その味を感じるとき…

その味(テイスト)を、その価値を、
より強烈により鮮明に感じさせるのは…

言葉にはできないその何かを、
分かち合う人々のお陰である。

色とりどりの自然に囲まれ、
優しい食材を挟んで向かい合い、
真剣に…時にはふざけた話で、
盛り上がるときの何かを...

最初で最後になるかもしれない
そのかけがえのない瞬間を...

同じ場所や同じ時間の中で
分かち合うことは...

テーブルの上に並べられた、
どんな料理やどんな話よりも...
人生というもののテイストを、
生きることの質感を与えてくれる
もう一つの喜びでもある。

目的や動機なしに…
何の方向性も持たない思いやりは、
その質感の中にいないと...
決して感じ取ることができない。

そしてふと…
何の意図もなく何の努力もなく、
自分が…その質感に包まれている
ことに気づくとき…
そこに現れる安らぎのような何かを、
あなたは感じたことがあるかもしれない。

...
ベビーカーを揺らすやさしい母親の手。

若い女の子の愛らしい仕草に、
敏感に反応する中年男性の笑み。

おたかくとまって自分の存在を主張する
ある女性の服と目つき。

そして気づくと、
...しなやかに茂ている木々の間で
赤いタワーを眺める、
息子の無邪気な背中が...

色鮮やかなケーキに、
夢中な娘の小さな手が...

テーブルの向こうで、
確かな質感で感じられる。

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分かち合うこと。

溜め込んだ言葉や思考、
目新しい景色や珍しい何かを
独り占めし、写真やSNSで
分かち合うことではなく、

それでシェアという名の
自己満足や承認欲求への
手段としてではなく、

安らぎと安心の中で、
本当に何かを分かち合うとき…

自分や私たちという区別は、
そうやって境界が作り出す
苦しさや悲しみは薄くなる。

そしてその区別に、
果てしなく使われていたエネルギーが
本当の居場所を見つけるとき、
景色はクリアに、より色鮮やかに変貌を遂げる。

私たちが本当に...分かち合うとき。

性別や年齢、地位や居場所、
数え切れない経験や悲しみを
通り抜ける安らぎのような愛が、

時間や場所を超え、
あらゆるもの全てを
分かち合いたがる愛が...

思考の外側で、静かに...
どんな目的も意図もなく、
それで何の報いも求めず、
しかし確かな質感でそこに現れる。

そこには、
あなたのものでも...
わたしのものでもない、
そして愛という言葉でもない愛が...

あなたのものでも...
わたしのものでもない人の生が、

確かな質感で...
ただそこで、生き生きと存在する。

 

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奇跡とリアリティー

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丸いテーブルと丸い椅子に、
丸く座って景色を眺めていると…

一歩引いたどこかで...
休暇を満喫している
自分の姿を眺める
もう一人の自分がいる。

そして思い浮かぶ言葉。
あ、休みはこうじゃなくちゃ...

今どきの木材で
おしゃれに飾られた
あるカフェの中で、
僕は今日も…
数え切れない自分と出会う。

仕事、仕事、仕事...
そしてほんの少しの休みすら
仕事の疲れを取るための仕事に
なってしまった自分に…

溜め込んだ言葉やストレスを、
それ以上の感情と共に吐き出す
ことに夢中な自分に…

スマホと向き合い、
ありもしない関係を追い求め、
何かの喜びやいいねをみつけようと
もがく無表情な自分に…。

...

日差しにその色を変えていく窓。
音もなく風になびくオリーブの木。

優しく広がる青色の湖の上に、
こぼした宝石のように輝く光。

大人は気にもせず、何かを追いかけ、
喜び、はしゃぎ回る子供の後ろ姿。

過去にも、未来にも…
二度と訪れないその景色が、
今、目の前で…同時に広がっていることに...
その奇跡のようなリアリティーに...

どうして私たちは、
鈍感になってしまったのだろう?

いつもの日常と異なる、
刺激的で暴力的で…注目を浴びる
その何か以外のものに...

どうして私たちは、
いとも鈍感で…いとも無関心に
なって
しまったのだろう?

***

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同じ空間、同じ時間の中にいても...
決して互いが互いを寄せ付けない区別

距離や時間、物理的な区別ではなく、
心理的で内面的な区別

自分を中心に世界を眺め、
常に冷たく利得を優先させ、
絶えず選択し、評価する区別

まるでリアリティーのように
狭いカフェの中に充満している、
あなたと私の間にある、その区別に…
あなたは気づいたことがないだろうか?

…足元に流れる音楽や誰かの笑い声。
無神経に叩くキーボードのリズム。
慎重にスマホを眺める丸い背中の沈黙。

周りの変化や反応に気づき、
その全てを敏感に感じ取ることなく、
ただ自分の中に閉じこもる区別に…

不満や怒り、傲慢や自慢...
常に誰かと戦い、何かを吐き出し、
寂しさと孤独を何かで満たそうと
もがく自分に…あなたは、
気づいたことがないだろうか?
...

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区別があるところには、
必ず葛藤があることを…
葛藤は自分を孤立させる
原因であることを...

ただ言葉の上ではなく、
単なる知識としてではなく、
その危険性と悲しみを…
自分の力で感じ取ることができれば…

それで…戦っているのは、
実体のあるリアルなものではなく、
自分が作り上げた幻であることを…

その幻が自分の中で、
どんどん大きくなって…
抱えきれない苦しみとなって、
それを取り除こうともがく、
自分の姿に気づくことができれば…

それで…
実体のない幻に怒り、イライラし、
何かを認めさせようとすることの虚しさに…

生きるエネルギーが…
目の前で繰り広がるあらゆる輝きを眺め、
美しさや醜さその全てと共にとどまる情熱が…
消えていくことに気づくことができれば…

私たちの人生は、もう少し…
変わっていたのかもしれない。

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もし私たちが…
日差しを浴びたまま風になびく、
あの一本の木と関係を持つことができれば…

ただその外見やおしゃれな鉢を
眺め、感嘆し、それから…
その思考と共にその全てを片付け、
終わりにするのではなく、本当に…
木そのものを感じ取ることができれば…

カフェの中や窓の外にある、
あらゆるものと本当の関係を持つことが
できるのではないだろうか。

絶えず何かを区別し、苦しむ…
その果てしない悲しみと虚しさに…
触れ合うことができるのではないだろうか。

座禅、宗教、グル、師匠…
顎髭を生やしたり、坊主頭にしたり、
派手か質素な服を纏い、口数を減らし、
静かに座って何かを唱えながらも…
依然として自分と他人とを区別している
誰かの言葉ではなく…

運命、手相、転生...
苦しい人生への慰めや気晴しの手段、
流行りのスピリチュアルとしての
言葉からでもなく…

誰にも、どんな言葉にも
依存することなく…

その全ての外側で、
自分の力で悲しみに触れ合うとき...

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その悲しみが…その虚しさが…
他ならない自分自身であることに
もし気づくことができれば...

区別の無意味さを感じ取り、
それ以上の葛藤を生み出さない観察が、
生きる目的や意味を追い求めない自由が、
その全てであるが…
そこに生き生きとうごめいていることに…

そしてそれは決して何かの幻でも、
達成すべき悟りや何か高貴な何かでもなく、
窓の外で広がっている、あの日常のように

ただ…ずっとそこにある、
しかし常に新しい今であることに、

その当たり前で、とてつもない事実に…
あなたは気づくかもしれない。

もしあなたが、その事実にただ…
ありのまま触れ合うことができれば…

日差しを浴びてなびく
一本の木の美しさを、
人生というものの美しさを、
あの奇跡のようなリアリティーを…

あなたは…見つけるかもしれない。

 

♬ 追想・寺尾沙穂

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愛の秘密


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優しい黄色の陽光が、
あらゆるものを少しずつ
染めていくある午後。

バッタの飛び交う
黄緑の草原の上を
無邪気に走り出す娘。

足元に舞い上がる、
小さな花びらと葉っぱが
夜空の星のように輝く。

その全ての中で娘は...
転ぶのを恐れることなく、
決して振り返ることなく、
無邪気に…前に向かって走っていく。

その光景は...
荘厳な景色を目にしたとき、
その美に圧倒され、言葉を失う
そのときの何かに似ている。

そして僕は今日も…
それが写真の中に収められない
何かであることに気づいても...
ついカメラを取り出し、
少しでもあの美を…あの感覚を
どこかにとどめておこうと
必死になっている。

***

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時間とマネーに追われる現実を、
教育や子育てよりも成功や効率が
優先される社会を嘆く日常。

短い睡眠や休息から得られた
ほんの少しのエネルギーは...
人間関係や生計の手段に
なりつつある仕事で消耗され、
浪費される悲しみ。

...向き合いたかったのは、
冷たいモニターではなく、
温かい子供の笑顔であることを

手で触って感じたかったのは...
キーボードやマウスではなく、
小さいけれど波動に溢れる、
娘の肩と手であることを…
虚しさと共に気づく悲しみ。

少し早いお迎えに...
跳ね上がって喜ぶ娘を
抱きしめるたびに...

何かが間違っているという知覚が、
言葉にはできない、
締め付けられる苦しみが…
喜びと共に胸の奥から
跳ね返ってくる。

...
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...何が間違っているのだろう?
...私たちは今ここで何をしているのだろう?

答えを必要としない悲しい問いが…
温かい娘の背中に流れていく。
...

しかし子供は...
何の目的も、何の動機も持たずに
無邪気に走り、喜び、生きていた。

それはまるで...
ただそこに咲いている花のように…
生きるために生きている
無数の雑草のように…

自らが命であり、愛そのものとして
ただ今を懸命に生きていた。

そしてその姿を...
僕は何度も何度も言葉を失い、
ただ突っ立ったまま眺める。
...

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そこには独特の感覚がある。

無数の目標を達成したときの喜びや、
努力の末に手に入れた感情の高ぶりとは
全く異なる何かの感覚が…

過去の犠牲や努力を合理化し、
自分を褒めたたえ、結果に微笑む、
あの喜びとは全く異なる感覚が…

「もう一度味わいたい」
「もう少しそれに浸っていたい」と願う、
衝動や快楽とは無縁の感覚が…

もし二度と経験できなくても
決してそれを悔しがらない感覚が…

いつかは失うかもしれないという...
焦りや不安とは全く異なる感覚がある。

そしてその感覚は...
何かの思い出としては記録できない、
全く違う何かであることに気づくとき、

そこには、時間が…
そしてその時間である思考が…
全く存在していないことに気づくとき、

それで...その気づきが、
過去への執着を、未来への不安や期待を…
思考から生まれる悲しみと苦しみを
何もかも全て...持ち去るとき、

無邪気な姿をした愛が…
決して見たことのない愛が…
果てしなく眩しく輝いている。

そのとき、もし僕に...
生きることの意味を、
人生の意味を聞く人がいたならば...

僕はきっとそれは...
愛への理解だと言ったに違いない。

...
あの午後、優しい黄色の姿で
あらゆるものの中にあった愛を…


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♬ 愛の秘密_Saho Terao

 

lcpam.hatenablog.com

【抜粋】なぜ人間は...美しく死ねないのだろう?

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なぜ人間は...
そんなに惨めに、不幸せに、病を負い、老衰し、もうろくし、身体は曲がり、醜いままに死ぬのだろう?なぜ木の葉のように自然に美しく死ねないのだろう?われわれのどこが間違っているのだろう?

多くの医者がおり、薬や手術、または生きる上での苦しみ、楽しみなどもろもろのものがあるにもかかわらず、われわれは威厳と素朴さと微笑のある死に方ができないように思われる。

...子供に算数や読み書きを教え、知識を蓄えさせるに際しては、いずれは対面しなければならない陰鬱で不幸なものとしてではなく、毎日の生活に起きる何か青空や葉っぱの上のバッタを眺める日常生活の一部として、死の偉大な尊厳をも教えなくてはなるまい。歯が生えてきたり、小児の病の不愉快さをすべて味わうように、それは学びの一部分なのである。子供たちには並外れた好奇心がある。


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もし死の本質がわかるなら、すべてのものは死んで塵に帰るのだというような説明をしないで、恐怖心をもたないようにやさしく説明し、生きることと死ぬことはひとつであって、五十歳、六十歳、九十歳の後に死ぬというのではなく、死はあの木の葉のようなものだと感じることができるだろう。

歳取った男や女を見るがよい。なんと老衰し、迷い、不幸で醜く見えることか。生のことも死のことも、実際には何も理解しなかったからではないのか?彼らは生を使いきり、自己、「私」、自我を育て、それに力を添えるだけの絶え間のない紛糾によって、自分たちの生を浪費しきるのである。われわれは、ときには喜びや楽しみもあるが、酒を飲んだり、煙草を吸ったり、 夜更しをしたり、仕事、仕事、仕事でいろいろ紛糾と不幸せの中に毎日を過ごす。

そして一生の終わりに死と呼ばれるものに対面し、それを恐れるのである。死は常に理解されうるし、深く感じとられるものだと思う。子供は好奇心が強いので、死は病や老齢や思いがけない出来事で身体が駄目になってしまうことだけではなく、毎日の終わりはまた毎日の自分自身の終わりでもあるのだということを理解できるよう、導くことができるのである。


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復活というものはありえない。それは迷信であり独断的な信念である。この地上のあらゆるもの、この美しい地球上のあらゆるものは、生き、死に、生まれ来たり、しぼみ去る。このすべての生の動きを理解するには英知がいる。思考や本の英知ではなく、感受性に富んだ愛と慈悲の英知である。

....あらゆる美と色彩を備えたその落葉を眺めると、人の死というのは、それも生の終わりにではなくごく初めから、どんなものでなくてはならないか、たぶん非常に深いところから理解し気づくだろう。


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死とは何か恐ろしいものでも、避けたり延ばしたりするものでもなく、日の明け暮れとともにあるものなのである。それを悟るとき、無限の広がりをもつ想像を絶した感覚が訪れる。

- J.クリシュナムルティ‐

 

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(日記) 名刺と関係


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ハイテク・デジタル・AI・DX...

最先端の(マネー)技術をアピールし、
金の卵を自慢するある事業家の説明会。
その一方でハイテクのかけらもない、
高額のランドセルが並ぶもう一つの説明会。

何年も同じままの給与明細書へのため息を
育児や家事への時間で正当化するけど、
「億・副業・投資」という言葉を
思わず目で追いかける日常。

「好きを!仕事に!」

響きのいいキャッチコピーは…
新規会員やフォロワー集めの手段として
表面的で非現実的で虚しい理想として
セミナー用の前置きとして飾られる。

そして気がつくと…
いかにして良いリンゴを育てられるか?
ではなく、
いかにして安いリンゴを高く売るか?
にみんな夢中になっている。


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安心安全。

果てしなく繰り返される政治家の言葉。
その無能さを非難する自分もなお、
生計や日常の中で必死に追い求める言葉。

長時間労働が問われる時代と価値観で、
比較・強調される時間マネー。

幸せは、時間とマネーとのバランスであり、
自分や家族との時間を持つことこそ、
本当の幸せだと高声で叫ぶ誰かの言葉。

しかし時間もマネーも、
幸せというゴールへの手段、
限られた価値観から生まれた何かであることを、
それでその全てを否定する自由から幸せを問う人、
見出そうと人はごくわずかしかいない。

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何かの不満や何かの不自由。
人生のやりがいや気高い社会貢献。

特定の価値観から、何かの不自由から、
その反動から決意行動し、それを貫く人生。

立派なスーツで身を包み、
洒落た写真で紹介される長い経歴の人。
控えめに自分を紹介するその何かと、
それを傾聴する人の何かの中に隠れた悲しみ。

覚悟や努力そしてその全てである運で
物事が進み、成功や安心にたどり着くと、
自分の経験を誰かの前で振り返り、微笑む悲しみ。

成功ストーリーとその正当化が、
語る人にも、語られる人にも
虚しく響き渡る悲しみ。

そして記録され、シェアされ…
どこかのいいねにたどり着いては
埋もれていく虚しさ。

ステータスや知識、
ネットワークや経験。

表面的な違いはあるけれど、
語る人も、語られる人も...
互いが互いを手段として眺め、
比較し、図り、何かのチャンスを狙う関係。
またそこから生まれる葛藤や苦しみも
静かに分かち合う関係。

テレアポ・SNS広告・メルマガ・SEO…

いかにして収益を伸ばすか…
いかにしてより効率的に宣伝するか…
安心安全の生計手段を得るために
自分が好きなことを続けるために
笑顔で名刺を交換する関係。

そうやっていつしか、関係が…
「人脈」という言葉に入れ変わり、
何かを得るための必須条件として
時間とマネーに並ぶ、もう一つの手段として
成り下がった社会に…私たちは生きている。


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***

関係とは何だろう?

もし生きることを、そして人生を、
「関係における行為」と言うならば.. 
今の社会を生きる私たちにとって、
関係とは何だろう?

それは…
何かの目的のために、
自分の信念や経験をアピールし、
それに賛同し、興味を示す誰かと
何かしらの人脈を作ることだろうか?

自分の信念や価値観が傷付かないように
自分に反対する人、そう思われる人を
排除し、無視することだろうか?

またはもし賛同しなくても…
自分の利益になるなら...丁寧な笑顔で
名刺を交換することだろうか?

そういう関係を貫く人生を、
私たちは...いつまで続けていくのだろうか?

… 

にもかかわらず…
学校から帰ってきた子供に、
私たちは何を言っているのだろう?

規則正しい食事や生活の大切さ、
将来への準備や自然との触れ合いを
熱く語りながら、遅れた教育体制や
PTAについて不満を漏らす私たちは...

果たして…子供に、関係や何かを…
教える資格があるのだろうか?

育児も、
ビジネスも、
投資も...
何もかも専門家に頼り…
あらゆるものを彼らに任せ、
自分は安心安全を追い求めながら、

貴方も何かの専門家になりなさい

そうやって子供を条件付け、教育する
その全ての虚しさに、悲しみに…
私たちは向き合っているだろうか?

***

あるセミナーの帰り。
ちっぽけな自分の姿にぞっとする、
ある週末の午後。

みじめな自分から逃げるかのように、
自転車の鍵を急いで探すその背中に...
大きな悲しみが、大きな虚しさが…
激しく突き刺さる。

関係とは何だろう?
そして人生とは何だろう?

...

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(日記) 自然と愛


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西へと流れる積乱雲を背景に
黒いトンビがゆっくり飛んでいる。

揺らめく青いユーカリの上で
休む場所を探すアシナガバチ。

無邪気に飛び回るトンボの間を
優雅に突っ切るツバメ。

眩しい金色の夕焼けに
雑草たちは息をひそめ、
久しぶりの陽光を眺め、
ただただ風に自分を任せる。

***

夏、秋、冬、そして春…

何かを終わりと始まりに区別し、
その区別から自然を眺める。

そこには常に…それを表す言葉と、
目の前にある何かとの区別がある。

「夏の終わり」
「新緑の始まり」…

そしてその言葉がその区別が、
人をして無数のイメージを
無数の感情を引き起こす。

そうやって自然は…
好き嫌い、苦手…感情や感傷に、
夏や冬…言葉の持つイメージに、

その輝きを、終わることの無い連続性を、
知覚されないまま…限られ、遮られ、
踏みにじられてしまう。


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365日…20年、40年、80年…
果てしのない時間の中で、

いつの間にか人は…
人生を時間というイメージから眺め、
そして限られた時間を、
より効率的に、よりコスパ良く
費やすことを人生最大の課題のように
取り組んでいく。

そして殆どの教育は…
その取り組み方を称賛し、
少しでも早く、少しでも安定的に…
それを達成するように駆り立てる。

その中で自然は…
まるで聖地を巡礼する信者のように…
訪問先を競い合う観光客のための...
疲れた体や気持ちを治す手段に成り下がる。

またその一方で…
エコや自然保護、持続可能な開発…
気高い信念やボランティア活動の手段として
眺められ、利用され、飾られていく。


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「自然は利用すべきだ!」
「自然は守るべきだ!」

そうやって人は常に…
何かの手段として自然を
利用し、保護し、または無視する。

しかし金儲けのための利用も、
気高い信念の手段としての保護も、
そのどちらも…それを眺める、
「私」や「自分」という主体が
目の前の自然を解釈し、評価し、
それから導かれた結論や信念を貫くための
都合の良い手段として眺めているに過ぎない。

そうやって人は…
自然との関係を失ったまま…
またそういう自分の姿に気づかないまま…
もっぱら自分という主体から眺め続け、
それを「関係」と名付け、微笑む。


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***

土の匂い、
コオロギの鳴き声、
風に揺れる葉っぱの輝き、
そのまわりで懸命に生きる昆虫たち、
産卵場所を探すアゲハチョウの羽ばたき、
そして穏やかに流れる風の質感。

何かの信念や手段からではなく、
それを作り出す自分という主体ではなく、
目の前にあるものを…だた眺めるとき。

信念があって、その次に来る行動ではなく、
信念と行動が…一つとして何の区別もなく、
同時に行われるとき。

無邪気な子供を眺めるように…
自分の知識や経験、
何かのイメージからではなく、
誰かを、ありのまま眺めるとき。

何の努力も、何の抑制もせず、
ただ目の前のありのままに気づき、
それにとどまるとき…

人は…その中でうごめく、
何かのエネルギーを見つけるかもしれない。

そしてそこに…
愛が、関係が花開いていることを…

見つけるかもしれない。
 

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(日記) 未来の君へ

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君は、
どうして勉強をしていますか?

どうして子供を育てていますか?
どうして同じ毎日を送っていますか?

この全てについて…君は、
自分に聞いてみたことがありますか?

それは…
夢を叶え、立派になり、
金持ちになるためですか?
それで…生計に困らずに、
もしくは贅沢で優雅な生活を送るためですか?

それで、みんなの言う…
成功や幸せというものを、
できるだけ早く効率よく…
手に入れるためですか?

それは…ただ親だから…
扶養の義務や責任があるから、
自分の親も周りの人も、
皆そうしているから、

そして親にとって子供とは
自分や家族の未来で、
親は決してやり遂げなかった夢を…
より自由でより贅沢な人生を送りたかった
その欲求不満を…自分の代わりに、
やり遂げてくれる存在だからですか?

この全てのことについて…君は、
考えてみたことがありますか?
自分に聞いてみたことがありますか?

そして…どう答えますか?

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既に78億もいるというのに…
ありえない数の人口が毎日生まれる…
この地球に暮らす、一人の人間として。

同じ人類として互いの共存よりも、
国や人種…あらゆる条件を比較し…
互いに反目し合い、非難し、戦い、
殺し合う、この地球に暮らす…
一人の人間として。

個性という自己主張や能力…
誰よりも前に、誰よりも裕福に
人口過剰がもたらした熾烈な生き残りに
終わりの無い比較や競争の中で
今日もそして明日も…生き残るために。

必ずしも幸せではなくても、
それなりの生活ができて、
貧しくて惨めな人生を送らないように。
自分の能力やその優位性をアピールするために
君は勉強をしていますか?

そしてそれを受け入れるように、
この無慈悲な社会に適応するように、
そういう自分の価値観を押し付けるために
子供を育てていますか?

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ビジネスや人間関係を分析し、
誰かを説得し、巧妙に何かを売っては、
その報酬で日々の生活や贅沢をすること。
それを、来る日も来る日も繰り返すこと。

その中で、感じる自己満足や快楽から
何かの不安や惨めさを忘れていくこと。
そして…そのための手段が勉強ですか?

この全てのことについて…君は、
考えてみたことがありますか?
自分に聞いてみたことがありますか?

そして…どう答えますか?

それとも、今日も君は…
この全て…ここに書かれた言葉、
その説教に、違和感や反発を感じて…
冷ややかな目で流し、またいつものように
スマホを眺めますか?

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親が…君を傷つけたから…
学校や社会が君にひどいことをしたから…
ずっと信じていた友人や誰かに
裏切られたから…

それで、その全てがうんざりで…
二度と同じ痛みは感じたくないから…

「もう○○はいい!」
「○○は二度とごめんだ」
その否定から生まれた価値観を…
一生…大切に貫いていきますか?

そしてそれが…君が今日も
同じ毎日を送っている理由ですか?


どれぐらいの人たちが、
自分の傷に苦しみ、もがき、
その反動から誰かを非難し、
そしてそれを正当化しているのか…

そうやって自分が傷つかないように…
誰かを傷つけていく毎日を送っているのか
君は、気づいたことがありますか?

それとも…
君もまた…他の人と同じように
自分のことで精いっぱで…
その気づきには少しも…
興味がないのですか?

電車の中で、
バスの中で、
寄せ合う人波の中で、

改札口をくぐりながら、
流れ行く景色を眺めながら、
同じ服、同じ背中をした
人々と…自分を眺めながら、

その全ての中で、
その何気ない日常の中で…

この全てのことについて…君は、
考えてみたことがありますか?
自分に聞いてみたことがありますか?

そして…どう答えますか?

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♬ そうしていつか イノトモ

 

 

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【抜粋】ところで君たちは瞑想について知っていますか?

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ところで君たちは瞑想について知っていますか?

君たちはセックスには興味があるのではありませんか?楽しくさせられることに関心がある。地理や歴史を学ぶことにも興味が湧くでしょう。ときどきかもしれませんが...君たちは多くのことに関心があるのではありませんか?

瞑想は人生の一部です。それは世間の一部の愚かな人々のためのものだとは言わないでください。それは存在の一部であり、それゆえ数学やエレクトロニクスなどについて学ぶのと同様に、それについて学ばなければならないのです。

 

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瞑想するとはどういう意味か知っていますか?

辞書によれば、それは「熟考する」「思いめぐらす」「沈思黙考する」「探究する」ことです。それについて少し話してみましょうか?

非常に静かに坐るか、あるいは横になると、身体がすっかりリラックスするのではないでしょうか?
本当に静かに坐ってみたことがありますか?強いてではなく。なぜなら強いてしたとたんに、万事休すとなるからです。

目を閉じるか、または開けて、非常に静かに坐るのです。目を開けておくと、ものを見始めますから、少々余計に気が散ります。

ですから、事物、木の曲線、葉群、茂みなどを見た後、それらをよく注意して見た後、目を閉じるのです。すると「何が起こっているのか見てみたい」と自分に向かって言わなくなるでしょう。

 

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ですから、まずあたりのあらゆるもの、家具、椅子の色、セーターの色、木の格好を見つめなさい。

見つめ終わると、外を見たいという気持が減じます。あの青空を見終わったから、それでいい、もう見たくないと思うようになるのです。が、まず見なければなりません。

それから静かに坐ることができるのです。静坐するか、あるいはとても静かに横になると、血液が楽に頭に流れていくはずです。

なんの緊張もなくなります。背筋を真っ直ぐに伸ばし、足を組んで坐れと言われるのは、そうすると血液がより流れやすくなるからなのです。屈んでいると、血液が頭により流れにくくなります。

で、君たちも非常に静かに坐るか、横になるかしてみなさい。強いたり、そわそわしたりしてはだめです。もしそわそわしていたら、「そわそわしてはだめだ」と言わずに、それを見守るようにしなさい。

それから非常に静かに坐ったら、自分の精神を観察してみなさい。とにかくそれを見守るのです。それを正そうとしてはだめです。「この考えはよい、これはだめだ」と言わずに、ただ見守るのです。

 

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すると君たちには、観察者と観察されるものがあることが見えてくるでしょう。区別があるのです。で、その区別があるやいなや、葛藤が起こるのです。

さて、観察者なしに観察することができるでしょうか?観察者なしの観察があるでしょうか?

これは良く、それは悪い」「これは好きだが、それは嫌いだ」、あるいは「彼女がこれ、またはそれを言わないでくれればいいのだが」「もっと食べるものがあればなあ」とか言うのは観察者なのです。

観察者なしに観察すること。

ときどきそうしてみなさい。それは瞑想の一部です。ともかくそれを始めること。それで十分です。

で、もし実行してみれば、いかにとてつもないことが起こるかわかるでしょう⋯身体が非常に英知にあふれてくるのです。

 

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いまは駄目にされているので、それには英知はありません。わかりますか?私たちは身体本来の自然な英知を殺してきたのです。

で、その英知が回復すると、身体が「正しい時刻にベッドに行きなさい」と告げるのを見出すでしょう。それを望むのです。それはそれ自体の英知と働きを持っているのです。

ですから、もしそれが怠けたいのであれば、怠けさせるのです。おお、君たちはこのすべてが何を意味するかわかっていませんね!ためしてみなさい。

私は、君たちがここを英知豊かな人間となって出て行ってほしいのです。ただ試験に合格するだけでなく、英知をみなぎらせ、よく気づく、素晴らしい人間に育ってほしいのです。少なくともそれが、君たちへの私の思いなのです。

 

- j.クリシュナムルティ | 学びと英知の始まり(大野純一訳) -

 

 

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