子育ては自分を治癒する最後のチャンスかもしれません。
「自伝的記憶」とは、自己の生活に関わる記憶のことですが、幼児期は幼児期の中で終わるのではありません。幼児期での経験は記憶としていろいろの形で貯蔵され、幼児期から老年期に至るまで長い間に必要に応じて想起され引き出されます。それは、その時の「今の自分」を位置付ける形で新たに再構成されてゆきます。このことは、一生を通して、自分の中で「幼児期」そのものが成長し続けていく過程に他なりません。
– 岡本 夏木 (幼児期 :子どもは世界をどうつかむか) –
・・・自分の中で「幼児期」そのものが成長し続けていく過程に他ならない・・・
前回記事の最後にも触れましたが、子育てをしていると不思議だなと感じる瞬間があります。
上手く説明できませんが、子供の姿に自分の幼児期を重ねることが・・・たまにあります。たとえば、長男のパズルに思いっきり付き合おうとするとき、ふと昔親と遊んでもらえなった自分を重ねたり、子供のイヤイヤ連発に「それなら置いていくからね!」って冷たく言い放すときもそうです。
「あ・・・。昔同じこと言われたな・・・」って。
でも、記憶というのは面白いことに「否定的な出来事や思い出」は色鮮やかに・・・4Kレベルの鮮明さで残ってしまいます。
それで、親に否定された幼児期の自分が常に無意識の中で存在し、類似体験がある度に悲しい記憶と感情を引き起こしてしまう。それはまるでウイルスから自分を守るくしゃみ(?)のようなもので、ときには自己防衛的(傷つかないように)な役割を果たします。
もう二度と同じ感情は味わいたくない!という自分を守るための必死の行動。
でも、子育てをしていると、時々自分の幼児期にある無意識と同じシーンに遭遇することがあります。そのとき不思議にも記憶は30何年の時間を一瞬で越え、暗い感情と共に当時のシーンが綺麗に頭をよぎります。
「あ。そういえば、だめ!一言で相手もしてくれなかったよな・・・」って。
「・・・すごい!パパも一緒にやっていい?」
「いいよ!じゃ、これやってね。」
幼児期での経験は・・・その時の「今の自分」を位置付ける形で新たに再構成されてゆきます。このことは、一生を通して、自分の中で「幼児期」そのものが成長し続けていく過程に他なりません。
パズルを片手にいつの間にか、
自分の中の暗い感情が少し弱っていることに気づきます。
何気ない日常に。
やさしい言葉がけに。
救われる(治癒)のはもしかしたら、
自分(30年前の子供)なのかも知れません。
幼児期―子どもは世界をどうつかむか (岩波新書 新赤版 949)
- 作者: 岡本夏木
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