韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

そこそこA氏のお話。(前編)

 

そこそこA氏は、そこそこの大学を卒業し、そこそこ頑張って就職し、そこそこの会社で、そこそこのやりがいを感じながらそこそこの夢を持って仕事をしました。

 

そこそこの結婚相手もできて、そこそこのマンションでそこそこの暮らしも始めました。

 

そこそこのタイミングで結婚をし、そこそこのタイミングで子供が産まれ、産休をとりました。

 

そこそこではない育児は大変でしたが、

旦那もそこそこ手伝ってくれたので、

 

「頑張れば、認めてくれる人がいる!」

「頑張れば夢も育児も両立できる!絶対あきらめない!」

キャリアーウーマンとして覚醒したA氏。

 

そうなんです。意志もそこそこ持っていたA氏は、人生で一番頑張りました。

 

産休と育休後、そこそこのタイミングで復帰したA氏は、今度はそこそこではない全力で仕事をし、全力で家事と育児をしました。

 

すると、そこそこの給料が入ってきて、そこそこ仕事も育児も両立できるような気がしました。

 

しかし、そこそこだった仕事と風向きは、

時短と共にそこそこではなくなり、そこそこ肩身の狭い思いをしましたが、それでもA氏は全力で頑張ります。

 

そこそこ不当な人事異動でも、そこそこおかしい仕事配分でも、そこそこ帰りづらい雰囲気でもそこそこ不当な昇進でもA氏はまた頑張ります。

 

すると「そこそこA氏」は、いつの間にか「全力A氏」になっていましたが、社会は「そこそこのまま」で止まっていることに気づき始めます。

 

「おかしい」

「私が何か悪いことをしたわけでもないのに・・・」

「どうして毎日がこんなに大変で、こんなに怒っているんだろう」

「どうしてこんなに時間が足りなくて、どうしてこんなにつらいんだろう」

 

「全力A氏」は、全力で考えましたが、その答えを見つけることはできませんでした。

 

そしてそこそこの旦那から返ってくるのは、「そこそこの返事」だけ。

全力A氏は最後の希望を託して、全力のタイミングで二人目を妊娠します。

 

。。。

 

そして6年間全力でぶつけてきたA氏は、

子供が小学校に入ったとき、

そこそこの夢をあきらめました。

 

それからそこそこのバイトを探し、

そこそこの生活をし、

そこそこ家事をこなします。

 

そこそこだった旦那はそこそこの管理職となり、そこそこ帰りも遅くなり、ついにそこそこではなくなりましたが、そこそこA氏は気にしませんでした。いや気になりませんでした。

 

そこそこではない、かわいい子供たちがいましたから。

 

そこそこの学校に進学した子供たちが自分で物事が決めれるようになったとき。

そこそこA氏はそこそこではない、幸せな人生について考えるようになりました。

 

「どこで間違っていたんだろう」

「どうして私の人生はそこそこの人生になったんだろう」

 

でも、そこそこのテレビ番組でも、そこそこの近所付き合いでも、そこそこの旦那からもその答えを見つけることはできませんでした。

 

・・・

 

「そこそこA氏の話は・・・後編に続く」