韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

「ブログ」と「チラシ配り」は似ている

 

「ブログは一方通行」

ツイッターは両方」

 

という偏見(?) が定着してしまい、どうしてもツイッター発信がメインになっている昨今です。

 

ツイッター

@lcpam2

https://mobile.twitter.com/lcpam2

←言い訳を利用し、間接広告をする古い手口です。

ご注意下さい。

 

 

信号待ちの横断報道で...ふと、

「チラシ配り」と「自分のブログ」 が似ていることに気づきます。

 

「都会行バス」が一日1~2本あるかどうか(バス停が古くて時刻表がよく見えない;)の田舎、しかもバス停から徒歩16分(距離感が一番難しい; )の「畑のど真ん中」で、

 

「私の話」という「チラシ」 を一人で配っています。

 

「もっと赤く刺激的な言葉を使うべきか」

「論争を招きやすい(突っ込みやすい)口調にするか」

「共感を呼ぶ言葉を慎重に入れるべきか」

「イメージしやすい、優しい(疲れない)画像をどこに入れるべきか」

「一方的な内容で、説教になっていないか」

 

思考が遅い私は、何時間、時には何日間も悩んで記事という「 チラシ」を作り上げます。

 

そして、悲壮な顔で、

パソコンからその「田舎の畑」 に向かうのです。そして到着。

 

風の音と、

ロマンチックな麦の揺れ。

ひょうひょう~動く薄金色のグラデーションと

微かにみえる鯉のぼり。

 

「あ。なぜかビールが飲みたい...」

...あ。景色に酔ってる場合ではない!

 

「あの…。よかったら、私の話を聞いてください...」

 

私の小さい声に、

遠くから腰を丸めて作業していた麦わら帽子のお爺さんがゆっくり腰をあげる。

 

「こんなところで、何しているかい?」

 

初めての声に、つい興奮した私は、

「実は、お話がありまして...。」

と挨拶も忘れチラシを見せる。

 

「愛について。子育てについて、そして私が見ている世界の理不尽さについて...」

畑のど真ん中で私は初めて会うお爺さんに、ありったけの話を並べる。

 

黙々と私のチラシをみていたお爺さんがいう。

「... 全部、どこかで聞いた話だね」

 

「いや、あの!全て私が考えた話なんです」

「全て私が思考して言葉にしたものです!」

「…それが感想ですか?」

「私、今日朝からずっとこんな田舎の畑で大変なんですよ!」

「そんな話を聞くために、ここにいるわけではありません!」

「もう畑はゴリゴリなんです。なのに」…。

 

チラシを握り締めながら、

鬱憤を吐き出す私にお爺さんは言う。

「キミ、その顔がおとうさんにそっくりだな...。」

「それでスッキリしたかい?」

 

それからお爺さんは、

「それで、おとうさんは、もう赦したかい?」

 

「いや、父じゃなく私自信です!」

「彼は赦す必要も資格もないんです!」

「私自信の問題なんです!」

 

「...。」

 

お爺さんは少し悲しい顔で言う。

「彼は何も言っていない。大変だ。忙しい...と言ったのは君じゃないか?」

 

「...。」

 

バスに乗ってパソコンに帰ってくる。

チラシを見たのは何人なのか。

 

腰を丸めてパソコンを睨むその姿を、

「娘を抱っこした麦わら帽子の自分」が

ゆっくりと眺めている。

 

...。

lcpam.hatenablog.com

 

 最後に、前回の記事「子供の習い事…」で初めてコメントを頂きました。

この記事はその思考と気づきによるものです。

akihitosuzuki様 ありがとうございます。

ありがとうございます。