韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について、クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)の言葉から気づく日常を書き残しています。コメントや批評全てご自由に。

あなたの「偏見」を聴かせてください。

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© 2015 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved.

*映画: her 世界でひとつの彼女より。

*好きな映画ですが、本文とは関係なさそうです;;

 

【※注意:前書き必読】

この記事は、どうしてもツイ(140字)に収める自信がなくて逃げるようにパソコンに向かっている自分を自分が見つめながら、苦笑いで書いているそんな内容の記事であって、

…と訳分からないことを言いながら、そのすっきりしないもしくは怪しい詐欺話に引っかかるかもという警戒感を抱かせながらもとにかく読ませるために、ゆるいタイトルを偽って間違って知らないうちにクリックさせる裏の意図がばれないようわざとピリオドを入力しない前書きによる「このくだらない前置きは一体いつ終わるのか」という疑問が、ただでさえ少ない読者をもなくしてしまう可能性を意識せざるを得なくなった焦りを逆手にとって他の記事にもこのような前置きがあるかもという誤解をわざと招くようなウザさを演出することで、同情でももう一回クリックしてしまったら私の勝ち。

(はぁ、はぁ、最後は呼吸混乱状態...。思考=言葉の私としては夜中のマラソンのような前置きでした;;運動は苦手なのでもう二度としません。お騒がせしました。それでもすっきりしないもやもやの方がございましたら、コメントにご意見を残してください!😆)

 

そんな前置きは、置いといて(置いとくなら最初から置くなということですが、そういう自虐孤独漫才も本当に置いといて;;;)

 

今日は「偏見」について思うことを書いてみました。

 

もし途中で眠くなったり、イラっとしたり、嫌な上司の匂いがして「胃がきりきり」してきたら、スマホの画面はそのまま(焦り;)で「吉澤佳代子」の「胃」をお聴きください。

きっと、彼女の可愛い歌声が鎮痛薬となるでしょう。

 

「吉澤佳代子」の「曲名:胃」

(患者様へ ※記事閲覧前後で1日2回服用(?)をおすすめします)

https://music.amazon.co.jp/albums/B01BCMPRH0?do=play&trackAsin=B01BCMPVVC&ref=dm_sh_1aYusrqfcRpK70sPAKLfP8G3i

 

 「偏見」という言葉があります。

その「偏見」という言葉を書く前から頭に思い浮かぶもの。

それは皮肉にも彼自身(偏見氏のこと;)の意志とは関係なく、読み手の「偏見」が最初から反映されていると感じます。

 

そうです。

最初から「偏見」を「偏見の目」でみている自分がいます。

私たちは、こうやってブログをみる(?)時もその書き手に対する偏見を頼りに、ブログを読み、理解してます。

 

書き手が専門職であればあるほど、多くの読者を持っていればいるほど、そして多くの「いいね(ここでは★ですが)」があればあるほど、読む「価値のある記事」もしくは「良い記事」だと思ってしまう偏見を持っています。

(⇦結局、自虐を拒否してしまった書き手の「読み手」への露骨な心理攻撃?)

 

しかしそれは裏返すと私たちは偏見がないと他人へ近づくことができないことかなとも感じます。

 

こんな物騒な世の中、そして同じネット時代。

何の情報もなくありのままの姿をそのまま受け入れることなんて...。

下手すると詐欺に遭ったり、クソ(?)記事に大切な時間と感情を奪われるかもしれません。

 

...その通りです。

 

私たちは物騒な現実からも、そして目に見えない、さらに物騒だと思い込むネットからも自分の身を守らないといけなくなりました。

そしてそういった日常を毎日送らないといけません。その毎日によってさらに強くなる偏見と偏見そして偏見。

 

その偏見はある意味、

自分を守る盾でもあるのかなと思ったりします。

 …。

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© 2015 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved.

*映画: her 世界でひとつの彼女より。

*本文とは関係なさそうでも無い?

 

しかし、ふと気づくのです。

いつの間にか自分が…

偏見を守ろうとしながら、

「あなたを守ろうとしている」ことを、

... いや、「あなたを理解しようとしている」ことを…。

 

そしてその偏見が自分に言うのです。

「この人とは何か通じるものがある」

「この記事を書いた人の話がもっと聞きたい(願望露出?)」

「まるで私の鏡のよう...」

 

フェミニズム・男らしさ・こどもの習い事・育児について…。

 

私は、数多く(これで24記事:数えたりはしないで下さい;)の記事で「偏見」について、そしてそれがいかにいけないことなのかを熱心に語りました。

 

偏見に訴えるその記事をもう一度読み返して、やっと自分の言葉に隠れていた「偏見」に気づきます。

...

自分が訴えたかったのは、もしかしたら「偏見」に気づいていない「自分」だったのかな...って。

 

それで時には強い口調で、

時には自虐の笑いを使って、

そう...、誰よりも知っている、

「自分への撫で方」で言い聞かせていたのかな…って。

 

そして自分はまるで「偏見に囚われていない人を演じる」ことで、

「自分への気づき」を少しでも遅らせたかったのかな...って。

それは、気づく自分が怖い。またそういう自分として見られるのが怖いという「偏見」だったのも気づかないまま... … …。

 

 

★ご覧の通り、私に読者は2名(感謝しかありません)しかいません。

そして一日閲覧数も多くて20程度の貧弱なブログです。🙇‍♂️

それにもちろん私は特定分野に詳しい専門家でも、育児に長けたベテランでも何でもありません。それをどう考えるか=どんな偏見を持つかは、これを読む方の自由=自分次第です。

 

しかし、

その理由が同情であれ、検索の間違いであれ、私のブログとこの記事を読んでいる方を「閲覧数1」という数字の「偏見」でみないこと。

 

たとえ1日の閲覧数が「あなたの1」で終わっても、その価値に喜び、そして感謝への気持ちを感じる素敵な「偏見」が自分にできればなと思うそんな日です。

 

「偏見」は「自分」でもあること。

そして自分を見つめることは「あなた」を見つめることでもあること。

それに気づく不思議な夜、「あなたと自分の偏見」そしてその「距離」について考えます。

 

But with you my dear
I’m safe and we’re a million miles away

でも あなたと一緒なら
何も心配ない100万マイルかなたでも。

*映画: her 世界でひとつの彼女より。

 …。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。(*^^*)

 

※あなたの大切な偏見をお聴かせ下さい。今ここでいつも待っています😇