韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

子どもの毎日から学ぶもの。

毎日 「何かのために」

大きな声で何かを伝え、

何かを調べて何かを考え、

何かの結論に至っては、

何かの行動に移す・・・こととその繰り返し。

 

「ああ。疲れた・・・」

そして毎日のように嘆く言葉とともに

また「何か」を探し始める。

 

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常に「何か」に追われている

自分を見つけて時々、

「だめだな。これじゃ・・・」

自分の姿を気にするけど、

 

これもまた、

いつもの「何かのために」という

行動パターンの一部。

 

ブログでも仕事でも生活でも、

私はまさしく、その「何かのために」

常に「何か」に向かって怒っている。

 

「既存の価値観」

「不条理な社会のシステム」

だと、言い聞かせているけど、

その中には「そうではないもの」が

多く存在する。

 

「そうではないもの」・・・

それは、自己中心的な「私のエゴ」が

決して語ろうとしない、認めようとしない。

「私(のエゴ)に反対するもの」

 

「物事に対する私の意見に反対するもの」

「教育観や人生の価値観に反対するもの」

「私の上に立ち、従わせようとするもの」

 

つまり、それは、

「私を否定し、傷つけようとするあらゆるもの」

 

「自分を傷つけようとしている」

勝手に考え、勝手に結論に至っては、

その相手や言葉、あらゆる対象を

拒否しようとするもの、傷つく前に

「何か」に声を荒げ、戦わせるもの。

 

「自分が大事」

「自分は正しい」

と思いたがる私のエゴによるもの。

 

私を「守るための」

知識という偏見・先入観・思い込み・・・

手段を選ばず頑なに、

自分を守ろうとするもの。

 

そのエゴが安全だと思ったとき・・・

心に余裕ができて初めて・・・

他人の話を少し聞いてあげようとするもの。

 

そして、そういう自分に気づいては、

「なんて!素敵なんだ!」と

自分を褒めたがるもの。

 ・・・

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「こどもの遊びに付き合うこと」

「庭を歩く猫をみること」

「目的もなく散歩をすること」

「本を読みながら頬笑むこと」

 ・・・

 

「何かのために」ではなく、

「エゴ」によるものではなく、

「ただ感覚を見つめること」

「そしてその感覚に従うこと」

 

すると、

大きな声で何かを伝える必要も、

何かを調べて考える必要も、

何かの結論に至る必要も、

何かの行動に移す必要もなくなる。

 

「スローライフ」

「ミニマリスト」

「ゆるい生活」

「頑張らない自分」・・・

 

トレンドや言葉に反応し、

その言葉を、もう一つの

何かのために」としないこと。

 

「そうだ。こうしなくちゃ・・・」

「こうならなくちゃ」と思うのではなく、

「何の目的もなく」

「何かのために」を忘れ、

今、自分が感じることに従うこと。

そして、そういう知覚すら忘れ、

心で見つめるとき。

 

目を光らせながら笑っている、

子どもの輝く顔に。

溢れるほど心が満たされている

ことに気づくとき。

 

「幸せ」と言われる感覚は、

「幸せのために」

「何かのために」からではなく、

言葉や考え、目的といった

それら全てを忘れた瞬間、

偶然そこにあった...

ことに気づくことなのかもしれない。

 

そう。・・・子どもは、

その素晴らしい毎日を通して、

それを遥かに超える「何か」

常に教えてくれているのだと...。