そこそこA氏 (最後で最初のお話)
「どこで間違っていたんだろう」
「どうして私の人生はそこそこの人生になったんだろう」
真面目なそこそこAは、今度は生きることについて
その答えを探しはじめた。
答えのない人生なんて.. いやだ..。
今まで.. 数多くの苦痛と非難と、
理不尽な出来事に耐えてきたのに...。
それは暗いトンネルのようなものだった。
そこそこAは、その先にあると信じる光を目指した。
いつかこの苦痛が終わることを、
いつか自らの意志と感情で生きていける所に辿り着くまで、汚いトンネルに耐えながら進んでいく。
数え切れない、そして絶え間ない苦痛と、
一時的な幸せについて考えれば考えるほど、
それは掴むことのできない、遥か遠くにあるようだった。
あのときの自分の犠牲。
受け入れるしかなかった多くの暴力が。
女性として生まれた瞬間から背負うしかない重みとその重みの違いを妬む悲しみ。
そしてその重みが、さらに重く重なっていくその耐えがたい重みを…。彼女は抵抗し叫びながら、時には諦めながら受け入れてきた「人生という重み」を…。
その重みは彼女から自由を奪い、幸せを奪い、そして人生の意味を奪っていった。それを彼女は、傍観者のように仕方なくただ眺め、受け入れることしかできなかった。その人生と彼女との間にある、「重い沈黙」が何よりその重みをさらに増していた。
しかし、彼女には子どもを立派に育てたという感覚があった。旦那と子どもそれぞれ違う形だとは言え、愛という感覚もあった。しかしこれら全てが「人生の重み」となってトンネルの中に見え隠れしていた。
「... ... ...。」
「…私は…今、泣いているの?」
怒りか感動か分からない涙が、彼女の頬を伝って落ちた。
「涙は愛で、愛は涙であり、苦悩と幸せは一つだ」
「犠牲と報いに囚われている限り、光は幻に過ぎない」
「そうやって光を求めている限り、トンネルは終わらない」
...
「鏡の向こうで、疲れている自分を静かに見つめなさい」
「子供のご飯・仕事の都合・節約・家事…少し遠い未来の不安…何も考えず、ただ観察することで見えてくるものを見てごらんなさい」
「そこに座っている「そこそこA」という名前も、これを読んでいるあなたの名前も...全て言葉に過ぎないという沈黙が見えるだろうか」
「私と(望む)私。私のあなたとあなたのあなた…のように互いのイメージと区別が存在しない一つの沈黙を感じることができるだろうか」
...その声は「トンネルの外」から聞こえてきた。
「...全てを諦めろっていうの?!!
この重い人生をそのまま背負っていけっていうの?!!
私はもう少し…幸せで…もう少し苦痛を感じたくないだけなのに…
それがそんなに贅沢なことなの?!...
それが私が母になり、生まれてきた理由なの?!」
鏡の向こうで皺が波打つ彼女を「そこそこA」は静かに見つめていた。
そして返事の代わりに長い「沈黙」が返ってきた。
そこには「そこそこA」を見ている人と、見られている人がいた…。
彼女は「そこそこA」であり、「そこそこA」は彼女であることを…鏡は「沈黙」で教えていた。
... 薄暗い雲が屋根の端っこにかかる。
雑草がそよ風に気持ちよく揺れていて、
そのリズムに合わせて名前の知らない
鳥たちが微かな日の出を喜んでいた。
どこかのカエルの足跡、目的地のないナメクジ、
蜻蛉の羽の緊張や遠くから聞こえる飛行機のエンジン音…
そして、その真ん中をゆっくりと流れていく自転車。
...その全てはそのままの姿で、眩しく輝いていた。
... いつの間にか、彼女はトンネルの出口に立っていた。
そして「トンネルは振り向くときに現れること」に気づいていた。
...「うわあああ。ああ。ママがいい!!」
末っ子のいやいやに、私はいつもより明るい声で答える。
「は~~い!ママがいくよ!」
黄色い蝶が、ゆっくりと庭を散歩していた。
そして彼女は、あの散歩のように流れる涙を…
感じながら鏡の向こうの...今を生きる。
...。