韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

毎日。何回 … 時計をみていますか?

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毎日。何回…時計をみていますか?

 

… 形の異なる針を目で追う度に、

異なる時間に追われていることに気づきます。

 

無数の締め切りや出勤、そして登校...。

デートや誕生日そして新年のカウントダウン…。

 

... 限られた時間と特別なイベント、そして楽しい約束に至る...あらゆる出来事と無数の約束には、必ずと言ってもいいほど、「時間」が関わっているように見えます。

 

… オフィスや学校の机に座ること。

… 彼氏と別れ家に帰ること。

... 残った誕生日ケーキをどうするか悩むこと。

… 新年の特別番組が終わること。

 

いつの間にか、

あの「時間」が「過去」として記憶されていること。

その数百・数千、数えきれない「過去」に私たちは生きています。

 

そして私たちは、

「時計の針」に「時間」に追われながら…

あの「過去」から絶え間なく、

 

「自分に快楽を与えてくれるもの」

「自分を傷つけないもの」

「より安心できるもの」

「効率よく、金銭的にためになるもの」等を探します。

 

そういう私たちにとって「時間」とは、まだ過ぎていなくても、まだ経験していなくても… 何も新しくなく、依然として「過去」でしかないのではありませんか。

 

… そういう意味では、四十、五十… 八十。

年齢は違っても、過去に生きる人にとって「時間」とは、単なる「過去」の連続に過ぎないのではないでしょうか。

 

その「時間」の中では、

眩しい夕焼けや色鮮やかな庭の花も、過去に経験したもの、繰り返される日常の一部に過ぎず、何も新しくなく、少しも素晴らしくないと感じているのではないでしょうか。

 

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しかし、子供にとって「時間」はどうでしょうか。

 

庭の花に毎日かけるその「優しい声」

生まれて初めて見るかのような「輝く目」

昨日喧嘩した友達と手を繋いで「スキップする足」

全てを忘れ、庭の蝶を追いかける「後ろ姿」

 

… 子どもにとって「時間」は「過去」ではありません。それは、言葉では言い表せない「その何か」… 決して「過去」と「未来」に縛られない「その何か」です。

 

蝶を追う「大きく輝いている目」を見たことがありますか?

何度も同じことを聞いては喜ぶ、その無垢さに気づいたことがありますか?

 

「過去の楽しみ」や「未来への期待」からではなく、「今」を精一杯生きる、その「輝き」こそ、私たちが忘れ、失ってきた、あの「時間」あの「何か」なのかもしれません。

 

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…「今」あなたの「時間」は、どこにありますか?

 

 

このブログも、溢れるネット情報も、そして数えきれない専門書も...

それら全ても、また「過去」に縛られた「時間」の中でしか存在しないことに気づくとき。

 

そのとき、あなたの「時間」は、今どこにありますか。

 

...。