韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

(日記)言葉と「エネルギー」

私たちのほとんどは安定願望から、理想、結果の追求、野心の達成等々からエネルギーを引き出す。たいていの人にとって、それがエネルギーです。

善行を施してまわる人にとって、彼の活動は彼にとてつもないエネルギーを与えますが、いったん失敗すると絶望します。両者は相伴うのです。そのようなエネルギーには常に意気消沈や挫折がつきものなのです。

この種のエネルギーは非常に破壊的だと悟ること。それによって、あなたは意気消沈や絶望や挫折をともなわないエネルギーの発見に乗り出そうとは思いませんか?    

Krishnamurti on education ‐

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畑の上を飛んでいた鳶。

 

久しぶりの休暇。

思考は「1月」「寒さ」「家事」という言葉にとらわれ、一人散歩を楽しむこともなく、何かに追われるように帰宅を急がせる。

 

思わず見上げた空。

その先には、一生届くことのできない空を旋回している鳶がいた。鳶は過去や未来のことでいっぱいである自分が、決して悟ることのできない「自由」の中を優雅に飛んでいた。

 

昼前のカフェ。何かを一生懸命語っている自分。

コーヒーの香りに続く苦みのように…感情に溺れた過去に続く未来の先にあるもの…。あらゆる過去と未来が、真剣に語られるその願望の中で、そして濃い褐色のテーブルの前で、見え隠れしていた。

 

そこには...無数の言葉の後にその言葉を観察する、「私」という観察者がいた。

その観察者は、絶え間なく自分の言葉(思考)に「良い」「悪い」と評価しては、観察を続けていた。そうやって思考は、少しも休むことなく「今」を「今」として見ようとせず、無数の言葉の数だけ無数のイメージを作り出していた。

そして、そういうイメージでいっぱいである「私」は、目の前にある、絶妙な苦味のコーヒー味を感じることができない。

...

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毎回違う夕焼けの色と空気 。

 

「生きる」には「エネルギー」が必要である。

 

食事から摂取する物理的なエネルギーではなく、何かへの喜び、やりがいや快感によって得られるエネルギー。地位や名誉への願望、問題を解決したいと願うあらゆるエネルギー。全ての日常において自分を動かし、導かせているエネルギー。「生きる意味」「人生の価値」と呼ばれるエネルギー。しかし、そのエネルギーは、自分をどこに導くのだろうか。

 

「素晴らしい妻や夫」

「優しくて配慮深い完璧な親」

「〇〇のスペシャリストや専門家」…

自分を導こうとするそのエネルギーとその先。そこには常に「到達点・終着点」としての「未来」が、その過程としての「努力」がある。では、あるべき姿や目標、その終着点の先には…何があるのだろう。

 

達成されたはずのその願望の先、未来が過去になるとき。そのとき、私は「努力」をやめ、未来である「今」に気づいているだろうか。それとも、ただ、私は永遠に来ない、決して過去になることのない「未来」に向けて永遠の「努力」を続けているだけだろうか。それから、それらに「人生の意味」「人生の価値」「自己実現」という言葉を付けることで、その「虚しさ」を正当化したり、自己満足しているのだろうか。

 

「成功した社会人やキャリア」

「嫌なことから解放された自由な生活」

「価値あるボランティア活動」「優雅な老後」…。

 

あらゆる願望と理想、野心の中にあるもの、そしてそれを達成しようとする、そのエネルギーに、私たちは気づいているだろうか。また「自分のため」「社会のため」「善行のため」と、自分も気づかないうちに巧みに「言葉」を変えながら「生きる意味」「生きるエネルギー」を引き出そうとする思考の動きに、気づいているだろうか。

 

 「今」を「過去や未来」と比較し、そこから「こうあるべき」「目標や願望」を絶え間なく作り出していること、また、それを達成しようと努力するエネルギーがどれほど破壊的であるかに気づくことができるだろうか。

 

それが利己心のためであれ、社会貢献のためであれ、「人生の価値や意味」に囚われない人生。

いかなる「願望」「理想」「野心」への努力としてのエネルギーではない、破壊的・絶望・挫折とは無縁のエネルギーからなる人生。

誰からも教えてもらえない、「生」そのものを見出すことができるだろうか。

 

… 玄関の前。鍵を片手に振り向いた空を、鳶は相変わらず自由に飛んでいた…。

 

追記;

ブログを続けて1年と半年が経ちました。

続けること、何かになりたい、読者を増やしたいという目標は全くありません。

 

ただ、その時の今を通して感じること、悩むこと、そして何かに対して反抗・反逆していることを書き残しているだけです。

 

ですので、これから続くかどうか全く分かりませんが、どうかお手柔らかにお読み頂ければ嬉しいです。