韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

「本当の自分とは…」あるJKとの会話。

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JK R:「本当の自分とは何か」…。

ある日の午後、JKの呟き(Twitter)にリプライを送った。

 

lcpam2:

どうして「本当の自分」が必要でしょうか。

どうして人はこうも…「自分とは何か」にとらわれているでしょうか。

時々「問いそのもの」が、そしてその問いへの答えを探し求める行為それ自体が、答えを閉じ込めてしまっているように感じます。

どうして本当の自分が必要でしょうか…。

 

JK R:

自分とは何かに囚われているのは、

自分は紛れもなく自分であるという

ことを確信したいからではないでしょうか。

確かなものなんてひとつもなくて、

せめて自分は自分であることを信じていないと、

信じられるものが無くて不安定で、不安だから、

自分を探し求めるんじゃないですかね。

 

lcpam2:

自分とは何かと問う自分と、

ありのままの自分との間に分離があるとき。

そして、こうありたいと何かへの安心や安定を求めるとき。その分離と求めが不安と葛藤を生み出していないでしょうか。

 

確かなものなんてひとつもない」という事実を前に、安心・安定を求めてそこから逃げることなく、それを観て、その事実に留まることができますか?

もしできれば、何かまた違う視野が生まれ、そしてその視野が自分の知覚全体に影響を与えるかもしれません。

 

大学・正社員・結婚 ... 未来の安心・安定を求めるかぎり、こうありたい・何かになろうと絶えず努力するかぎり、葛藤や悩みが止むことはないかなと。

 

確信を持つことは一つの事実もしくはイメージにとらわれ、それ以上問わなくなること、その過去に満足し安心していることではないでしょうか。

 

私の周りの殆どの人がそうだと感じます。

そしていつも確信やらイメージやらでいっぱいですw 答えを求めずに問い続けることが大事だと感じます。

 

「今」は常に変化し変わっています。

確信や安定も同じく変わるものなら、まぁそれは頼りになるかもしれませんw

 

...。

 

その後、リプライはなかった…。

そう。その日の午後、おじさんの説教が、気持ち悪い迷惑になったのは明らかだった…。

 

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 ・・・・

「あれが、彼の本当の姿なんだ... 。」

誰かを非難するとき、その非難と同時に自分に何が起こるだろう。

 

「悪い」「がっかり」

「みっともない」「だらしない」

自分の思考が瞬時に言葉となり、その言葉が作り出したイメージを通して、誰かを非難・評価し、「あれが本当の姿だ」と言うとき。

… そのとき、私に何が起こるだろう。

 

人は、決してその結論やその確固たるイメージが、自分の偏見や先入観から作り上げられていることを疑わない。そして、絶え間ない自分への疑いや見出しの煩わしさから逃れ、また自己主張という快楽に浸りたがる。そうやって、人は、刻々と変化する対象を、自分の決めつけや結論から判断し、一定の枠にはめていないか。

 

妻や夫・子供・友人・芸能人・政治家… あらゆる対象との関係の中で、一定のイメージが固定されるとき、私はその対象を注意深く観察しようとするだろうか。そこには、貴方と私、対象と私との関係ではない「イメージとイメージとの関係」があるだけである。

 

そして、自分に対しても同じ関係を求めるとき、「本当の自分とは何か」と問うのではないか。

 

カフェでの一息を喜ぶ自分。
スマホの中の政治家を非難する自分。
子供を笑顔で見守る自分。
仕事を失うか怯える自分。
彼氏の愛が足りないと不満の自分。
誰かの言葉に感化の涙を流す自分。
特定の人を助けることで喜びを感じる自分。
エコやボランティアを崇拝する自分。
他人との比較から安心を見つける自分。

… そして、これら全てから「本当の自分」を探そうとする自分。

 

「本当の自分」という言葉と、それを探し求める動きの中に「より高い価値の自分でありたい」という欲望と願望が、「変化しない・確かなものとして」の安心感や快楽があるのではないか。

 

「好き」

「ほっとする」

「これが私の生き甲斐」

「貴方といると幸せ」....


人は、その快楽が大きければ大きいほど、そしてそれが社会的に価値が高いと見なさればみなされるほど、その一部分としての自分に「本当」というレッテルを貼り、そこから安心と満足という更なる快楽を、永遠に求めていないか。

 

どうして本当の自分が必要でしょうか…。

その問いを自分に向かわせていると…

Kのある言葉が頭に浮かび上がった。

 

「… 私は知らない。そして知りたくない」

 

...。

 

追記:

...あなたの「自分探し」はもう終わりましたか?それとも、まだ進行中ですか?

... あるJKとの会話から自分探しについて少し書いてみました。

... 誤解はしないでください。

 

それも、一つのイメージに過ぎませんから。

ありのままを観るとき、そこに本当の関係が生まれるのです。

...。