(日記) 責任
「私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。
あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚な言葉で、私の子ども時代の夢を奪いました。
それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。
30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。
あなた方は「私たちの声を聞いている、緊急性は理解している」と言います。しかし、どんなに悲しく、怒りを感じるとしても、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。」
グレタ・トゥーンベリ 国連での演説より
https://video.mainichi.jp/detail/video/6088893757001
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「アジアにおけるように世界中でとてつもない貧困がある一方で、アメリカにおけるようにとてつもない富があります。冷酷さ、苦しみ、不正、愛の感情のかけらもない人生があります。こういったすべてを見て、人はどうしたらいいでしょうか。
宗教はいたるところで、自己改善し、徳を養い、権威を受け入れ、一定の教義や信念に従い、大きな努力を払って適応する必要があると強調してきました。
私は、より気高く、より親切に、より思いやり深くなり、より非暴力的にならなければならない。社会は宗教の助けを得て、自己改善をもたらしてきたのです。それが私たち各々が絶えずしようと務めていることのなのです。
私たちは自分自身を改善しようとしているのですが、それは努力、規律、適合、競争、権威の受け入れ、安心感、野心の正当化を合意しています。そして自己改善はたしかに、一定のはっきりした結果を生じさせます。それは人をより一層社会に適応するよう志向させます。それには社会的意義はありますが、それ以上の意義はありません。なぜなら、自己改善は究極の真実在(リアリティ)を開示することには至らないからです。」
J.クリシュナムルティ 1955.アメリカ・オーハイ