韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

(日記) 不在と父親

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2018
2019
2020…。

いつからだろう。
正確には覚えていないけれど、

年末のカウントダウンで感傷に浸ることも、除夜の鐘で目標や意志を改めることも、全て無くなっていた。それは今年からいきなりというより「… 振り返ると、そうなっていた」に近い感覚だった。

自分の記憶と感情は、過去の映像で編集された恒例の思い出番組みたいに、都合よい記憶と感情だけが思い起こされていた。

派手な映像と音楽。その無意味な祭り騒ぎが、過去への感傷がまた新しい願望として正当化されていくのを、ただ覆い隠しているように見えた…。

「3!2!1!… ハッピーニューイヤー!」

歓声を上げる群衆を背景に新年を伝えるアナウンサーの複雑な表情。テレビの前・部屋の中・夜中のコンビニ・神社の一角・高い山々の頂上… ありとあらゆるところに、その「何か」は存在していた。いや、正確に言うと「そう感じている自分がいるだけ」だが。

…。

正確には覚えていないけれど、
「… 振り返ると、父親はいつも不在だった」

彼が家にいるときはそれは長い旅行の休息か、それともその長い旅の前日だった。だから、私の幼年時代に父親との記憶はない。

無責任な行動や浮気、返す当てもないローン、念願のマイホームを担保にした消費者金融、数えきれないほどの督促と喧嘩…。

40年前の80-90年代の世界がそうだったように、私の幼年時代は決して明るいとは言えない、薄暗く湿った感触のような思い出で埋め尽くされていた。

それから、ちょうど父親が今の私の年齢になったとき、突然彼は「良きパパ」を演じはじめた。

彼は十年以上の空白は気にもせず、料理をしたり、キャンプやプールにつれて行ったり… まるでこれまでのことを挽回するかのように振る舞った。しかし、それは表面的にとどまり、決してその深くに存在する「空白」を埋めることはできなったし、その方法も彼は知らなかった。

そして、彼は最後まで一度も「父親とは何か」と真剣に問うことなく、それについてあらゆる知識から学ぼうともしなかった。ただ唯一彼が信じている「自分の中の父親」という役割への羨望が、間違っていることに気づくことも、またその無知による愚かさを、ありのまま知覚することもできなかった。

自分の人生と相反するその説教と行動に、常に「二重性」を感じていた子供たちにとって、その行動がその空白を埋める手段になることは決してなかった。

にもかかわらず、彼は世の父親がそうだったように、常に「強い父親」「揺ぎ無い信念を持つ男」であろうとした。その願望が、ただ自分が描く幻にすぎないということに気づくこともなく...。

「彼がその無知から逃れることはない」
そう気づいたとき、私は心の中で「父親」を捨てた...。

やっと手に入れたマイホームが家族の意思とは関係なく、しかも暴力的な手段によって失われたとき。私は片手にローンの督促状を、片手に離婚届けを持って冷静に母に向かって離婚を話していた。彼にこれ以上家族が振り回されたくないと誓ったとき、私はまだ18歳の高校生だった。

「父親の不在」

貧困層にとって日常は生計との闘いそのものだった。離婚後、非行に走る弟を母親が必死に説得する日々が続いた。


「何があっても、あなたは諦めない」
苦労の深さだけ家族の絆は深かったが、絆と貧困はそれぞれ違う現実として互いに無関係に存在していた。

「結婚式」

私は、自分の結婚式に「親として二人で祝ってあげたい」という母の願いを伝えるために、パートナーと一緒に15年ぶりに父親の新居を訪れた。

彼は、15年前と同じく彼自身が置かれた立場や状況を把握することが出来ず、相変わらず幻の中で今と過去を解釈していた。

私の話に、再婚相手との同席が当たり前だと語るその姿は、昔も今も何一つ変わっていなかった。そして、私はデジャヴのように「これが父親との最後の日になる」と気づいた。

彼は、その正当化と執着が、パートナーやこれから生まれる孫… ファミリーという大切な絆、その全てを失くしていることに気付いていなかった。

きれいな部屋とリビング、こまめに管理されている透明な水槽の魚。時々再婚相手と笑顔で話を交わしている彼を、私は決して動揺せず、何の感情も起こさずに静かに見つめていた。

その父親と呼ばれた彼の頭の上に、聖母マリアが赤い涙を流しながら私を悲しい目で見つめていた。

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「父親とは何だろう?」

ケヴィン・ハート(アメリカの俳優・コメディアン)が言っているように、子育てを決めるのは「その環境」である。

間違った子育てを繰り返しているのは、親本人が間違った子育てによって育ったからである。しかし、だからといってそれを言い訳にし、自分の行動を正当化したいと思うなら、それこそ間違いであることを、果たしてどれぐらいの親が自覚できるだろう。

多くの父親が、自分に閉じこもったままちっぽけな視野で人生を見、ひとかどの者・野心家になろうと社会的・道徳的「成功と願望」を追い求める。それに「時間・金・エネルギー」を注ぐことを「信念」や「人生哲学」と呼び、またそれを揺ぎ無く貫くことを「人生のロマンや価値」と見なしていないだろうか。

ルーティンな長時間労働と無意味な飲み会。ゴルフやその他数えきれない付き合い。「人脈」や「ネットワーク」という響きの良い言葉で覆い隠された「合法的な趣味」の数々。その陰で家族との絆が壊れ、妻や子供が傷ついていく。さらに、この全てをありのまま見つめようとせず、狭い視野の中で、それでも自分は「マシな父親だ」と思いたがる。しかし、あらゆる暴力においてもっとも危険な行為は、行為者のその「無知」「無自覚」ではないだろうか。自覚の無い暴力は、防ぎようがなく、ただただ繰り返されるだけである。父親にとってその無知こそ、暴力で犯罪である。

 

前科者であることは恥ではない。

犯罪者であり続けることが恥だ。

- マルコムX (1925 – 1965)-


「良き父親になろう」
「尊敬される父親・夫でありたい」


洒落たポーズや写真で育児を語る有名人の記事を読む時間はあっても、子供の不満話をじっくり考えるほんの少しの余裕もない父親。

子供やパートナーと向き合うことなく、育児マニュアルやベストセラー…〇〇専門家が語る答えを探すことだけに精一杯である父親。

現実をありのまま見つめず、解決すべき問題やミッションとして捉え、解決する方法やその手段を崇拝する父親。

問題集に挑む受験性のように、あらゆる実例から導かれた、解決のポイントを、我が子に適用させることだけに夢中な父親。

そういう父親であり続ける限り、問題解決のための答えを探し続ける限り、その答えは、社会的成功者が語る二頁足らずの記事の中にも、テーブルを囲んで親子の話を聞いているその専門家の言葉の中にも、あらゆる育児手引書やあらゆる団体の中にもあり得ない。

大事なのは「答え」ではなく、
また「答えはない」という性急な結論でもない。

それはただ、子供や妻の話に本当に向き合い、耳を傾け深く気づくこと。そしてその気づきから「正しい問い」を見出すことである。

「正しい問いがあるとき、答えは既にその問いの中にある」ように…。

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参考映像「ドキュメンタリー」
ケヴィン・ハートのやらかした!?
父(シーズン1 エピソード2)
https://www.netflix.com/jp/title/81010817