韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

【抜粋】新しい心で人生と出会う

f:id:olewakbh:20200722133407j:image

 

私たちの多くが熱心に受け入れ、当然と思っていることの一つが、信念の問題であるように思われます。何も信念をこぎおろそうとしているわけではありません。

私たちがしようとしているのは、なぜ自分たちが信念を受け入れるのか、その理由を掘り出すことです。


そして信念を受け入れる動機、原因を理解できれば、自分たちがなぜそんなことをするのかが理解できるばかりではなく、ことによったら、それから自由になれるかもしれないのです。

政治的並びに宗教的信念、国家主義的信念、その他様々なタイプの信念が、いかに人々をバラバラにしていることか、いかほどの対立、混乱、敵意を生み出していることかーこれは紛れもない事実ですーは分かります。しかし、それでも私たちは信念に見切りをつけようとしません。

ヒンドゥー教の信仰があり、キリスト教の信仰があり、仏教の信仰があり、数えきれない程の宗派、国家の信条があり、様々な政治的イデオロギーがあり、そしてその全てが戦い合い、相手を自分の方に引き込もうとしています。

信念が人々をバラバラにしているということ、偏狭さを生み出しているということが手に取るように分かります。


では、信念なしに生きることは可能でしょうか?
信念とのつながりの中で自分自身を注意深く観察できさえすれば、それを見出すことは可能です。

一つの信念も持たずに、この世の中で生きていくことは可能でしょうか?
信念を変えるのでも、一つの信念を別の信念に置き換えるのでもなく、あらゆる信念からすっかり自由になり、その結果、一瞬ごとに新たなる心で人生と出会うことは可能でしょうか?

あらゆる物事に、一瞬一瞬、条件づけをもたらす過去の反応を交えずに新しい心で出会い、そうすることによって、自分自身とあるがままとの間の障壁となる累積的な影響を受けないようにする力を持つこと、つまるところ、これが真理なのです。

【四季の瞑想 クリシュナムルティの一日一話(2月13日)・こまい ひさよ 訳】