(日記) 散歩と瞑想
重い玄関のドアを開けると、思わず手を上げたくなるような日差しが、セミの鳴き声とともに激しく地面に注いでいた。その向こう側には、丁寧に描かれた漫画の1コマのような積乱雲が、不自然に電柱に掛っていた。
娘のおねだりで重い腰を上げて出てきた外は、その思いのせいか、予想よりも遥かに暑かった。湿った風に揺れるアスファルトの陽炎で、目まいがするほどの熱気を感じながらも、不思議にも、娘と繋いだ手は少しもあつくなかった。それはどちらかというと「温かい」に近い気持ちいい熱さだった。
「こっちだよ!こっち!」
「はやく!はやく!」
アスファルトの照り返しが全身に伝わる真夏のど真ん中を、全く気にもせず、三歳の女の子はそのたくましいステップで大人を引っ張っていた。
「クルマ!!」「あ!あぶない!」
その高い叫びと同時に道端に走っていく姿、そしてけっして繋いだ手を離さないその何気ない姿を見た時、「時間」はその意味を失い、止まっていた。
その不思議な感覚に、私が驚きと感動を味わうやいなや、思考は「今しか見れない大切な瞬間」と、それを言語化・記憶化しようとしていた。そしてその言語と記憶が、止まっていた時間を再び流れさせた。
けっして見たことのない青さで透き通っている空、直視できないほど輝く桜の葉っぱ、燃えるように揺れる道路、黒いキジバトの影、遠くのエンジン音、微かな花の香り…その全ての中で娘との10分足らずの散歩は、自分にとって十年もしくはそれ以上に重くリアルに「今」という存在感をもって激しく目の前にあった。
それを感じた時、「三十九」と「三」という数字はその意味を無くし、そこにはけっして記憶や経験として蓄積できない、けっして思考によって呼び起こせないという気づきがあった。
日常での些細な気づき、私と呼ばれる自己(自我)によって呼び起こされることのない、ただ思い浮かぶ、その受動的に訪れる気づき、その気づきが感受性であり、「瞑想」である。
…。
瞑想とは、お寺や寺院やモスクなど特定の場所や特定のやり方を固執することだろうか。また、神のお言葉や特定の霊的指導者の教えに従い、苦しいポーズや断食などを行うこと、そしてそのあらゆる段階的努力をもって、特定の到着点に向かうことだろうか。
ジムに通うように、一時間三千円の座禅コース体験やそういった何かのビジネスとしての物々交換で得られる何かだろうか。
ヨガマットの上で誰かをマネすること、それによってリラックスする心地よさや喜びで感じる癒しや慰め、それを繰り返したいと願うその願望のことだろうか。
それは「そう、この感覚だ。これこそ瞑想だ!」と言うや否や消えてしまう何かであり、けっして特定の感覚を呼び起こしたり、自分の意思によって選択せず、毎回新しい気づきがあるだけではないだろうか。
それは、けっして専門技術のように、トレーニングによって一定のレベル達することでも、学位や資格によって得られる何かの結果でもない。また、「悟り」や「サマーディ」「自己超越」、あらゆる言葉で表現される何かに到達するための理論の手段やノウハウ、また古くからの言い伝えの解釈やその果てしない修正によって得られるものでもなかった。
瞑想が特定の理論や特定の権威に閉じ込められるや否や、それは今という日常から離れ、ちっぽけな理論の一部として、特定人物の自己満足やその「無知の押し付け」としてとどまるだけである。
あらゆる理論やノウハウを疑い、到達点など何も求めることなく、ちっぽけな自分の知識で解析したり、分析したりすることの無意味さに気づき、その気づきをもって自らそれをやめるとき、そのとき自分に何が起こるだろう。
そのとき、目の前に広がる風景、あらゆるものがとてつもなく色鮮やかになり、その存在感と同時に生命力に溢れ始める。その中で「気づき」や「瞑想」という言葉は何も重要ではなくなる。
ただ、自分を引っ張るあの温かい手の感触が、とてつもなく強烈に感じられるだけである。
そして私は思わず、あの小さい手を強く握りしめていた。
…。
青く高いセミの鳴き声を背景に、娘は真夏の日差しより眩しく、そして温かく輝いていた。その時「人生は今をもって全てであり続ける」。
... 「ありがとう」。
言葉ではない何かが、頬を伝って胸の奥に落ちていく。