韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

(日記) 障害と気づき

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信号待ちの横断歩道。

… 彼は助手席で笑っていた。

 

しかし彼の外見から
思考が「障害」と言うやいなや

 

「大変」
「苦労」
「苦しみ」
「障害をもって生きること」…。

 

常識という偏見と結論、
知識と経験を呼び起こすやいなや

 

思考は瞬時に
無数の言葉とイメージを作り出し、
それを通して対象を見つめていた。

 

… しかし
今、目の前の彼は
それらとは全く無関係に

 

いかなる悩みもいかなる葛藤も
持っていないかのように

 

言葉では表現できない
素敵な笑顔で笑っていた。

 

それはまるで幸せそのものが
まわりに滲み出るような笑いだった。

 

そしてその隣には
黒い肌の大柄の中年男性が
ハンドルを片手に
彼を優しく見守っていた。

 

その優しさに包まれながら
思いっきり笑っていた彼は
突然、横断歩道の前で
微笑んでいる私に気づいた。

 

彼は何か恥ずかしそうに
後ろに隠れたが、そこには
見知らぬ人への警戒感は
全くなかった。

....。

 

「対象への観察」と
「観察から生まれる思考の動き」

 

一秒、一分、一時間、
その時間とは無関係に

 

けっして膨大な経験や時間では
得ることのできない気づき。

 

生まれて死ぬまで
果てしなく繰り返す
「目標への努力」のように

その膨大な時間とエネルギーの
積み重ねのような

何かの結果として得られる
ものではない気づきがある。

...。

 

「観察(思考)するものは、
観察(思考)されるものである。
j.krishnamuruti」


・・・「障害」

その気づきの中で

本当の「障害」は、
笑っている彼ではなく

障害という目で
対象を見つめる、
自分自身であった。