韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

(日記) 昨日と思考

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7:56

始発の電車と

色褪せた古いシート。

 

腕時計を睨む車掌と

スマホを睨む車窓の人。

 

四角いマイクから響く

丸く引き締まった声。

 

その声に合わせて蠢く

膨らんだお腹と

緩んだベルト。

 

そしてこの全てを見下ろす

キジバトの短い鳴き声。

 

昨日と違う今日が、

今から始まるというのに…。

 

あの古いシートのように

昨日が、自分の頭の中で、

ギシギシと音を出していた。

...

不愉快な事・愉快な事、

出来たこと・出来なかったこと... 。

 

それら全てについて

思い巡らすその思考が

まさに時間そのものとなって

自分をさらに思考へと導く。

 

「キーン... 」

 

過去の記憶でしかないその思考が、

浅薄な動きに合わせて飛び交う度に

忘れていた耳鳴りが聞こえてきた。

 

そこから逃げようとすればするほど、

まさに... その逃避が、

その思考、その束縛としての時間を

さらに際立たせるだけだった。

 

そうやって昨日の出来事や

それらへの感情だけが、

より大きくより色鮮やかになっていく。

 

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8:01

その全てとは無関係に、

... 古い電車は、

昨日ではない新しい朝を、

キラキラ輝く川と色鮮やかな木々、

それらに喜ぶ鳥たちの羽ばたきの

素晴らしさを、ゆっくりと映していた。

 

しかし私はその全てに気づくことなく、

昨日の中で、そして本の中で、

必死に昨日を追いかけていた。

…。

 

私の頼りない膝の上で

彼は力強い言葉で言った。

 

思考は時間であり、

時間が存在する限り、

新たなもの、

計り知れないものへの知覚も、

その時間による束縛からの自由もないと。


その言葉に頷きながらも、

私は背中で輝くあの眩しい朝に、

気づくことができない。

 

... 生は超時間的なるものが

ある時にのみ意味がある。

 

さもなければ、生は悲嘆であり、

葛藤であり、そして苦痛である。

 

思考は、人間のどのような問題も

決して解決できない。

 

なぜなら思考それ自体が、

問題だからである。

 

知識の終わりが、

知恵の始まりである。

 

知恵は時間の問題ではない。

それは経験、知識の継続ではない。

 

時間の中の生は、混乱であり、

そして不幸である。

 

しかしあるがままのものが、

超時間的なるものであるとき、

そのときに至福がある。

 

「クリシュナムルティ、

生と覚醒のコメンタリー(時間)」

 

... 9:00

四角いモニターを睨む人々。

そしてその全てを見下ろす人。

 

新しい日付とともに、

今日も、もう一度

昨日が始まろうとしていた。