韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

【抜粋】傾聴

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なたはどのようにして耳を傾けていますか?

思い込みを持ちながらですか?

思い込みや野心、願望や恐怖、それに心配ごとを介して、耳を傾けているのですか?...

 

自分が耳にしたいこと、満足のいくこと、喜ばしいこと、耳に心地いいこと、差し当たり苦悩を和らげてくれることだけを耳にする、そういう態度で耳を傾けているのですか?...

 

自分の願望というスクリーンを通して聴いているならば、その時、当然のことながら、自分の声を聴いています。そう、自分の願望に耳を傾けているのです。

では、別の聴き方は、あるのでしょうか?

 

相手が言っていることだけでなく、通りの雑踏や鳥のさえずり、路面電車が通る音、休むことを知らない海の音、ご主人の声や奥さんの声、それから赤ちゃんの泣き声、そういったこと全てに、どのようにして耳を傾けたらいいかを見出すことは、大切なことではないでしょうか?

 

自分の願望を介して、私たちは物事に耳を傾けているわけですが、聴くことが重要性を持つのは、自分が耳にしているものを通して、自分の願望を投影しない時だけです。

 

こういう諸々のスクリーンを通して、私たちは物事を聴いているわけですが、それらを脇にやって、真に耳を傾けることはできるでしょうか?...

「四季の瞑想 J.クリシュナムルティ」

 

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ず初めに、傾聴するとはどういう意味かを話し合うことは無駄ではないかもしれません。

あなたがここにいらっしゃるのは、明らかに、語られていることを聴き、そして理解するためであり、ですから、私はどのように傾聴したらいいかを見出すことが重要だと思うのです。なぜなら、理解は傾聴の仕方にかかっているからです。

 

私たちは、話を聴きながら、語られていることについて、自分自身と話し合い、それを自分自身の特定の意見、知識、そして性癖に従って解釈するか、それとも、少しも解釈しようとする気を交えずに、ただ注意深く聴くだけでしょうか?

 

では、注意を払うとはどういう意味でしょうか?

注意と集中とを区別することがきわめて重要だと私には思われます。

では、いかなる解釈も、反対も、容認も交えない注意を払いつつ傾聴すること。それによって、語られていることをそっくり理解することができるでしょうか?

もしも人が完全に注意を払って傾聴することができれば、まさにその注意がとてつもない効果をもたらすのです。

 

確かに、二通りの聴き方があります。

人は、表面的に言葉に付いていき、それらの意味をつかみ、叙述されていることの表面的な意義を把握することができます。

または、人は叙述されていること、説明を聴き、それを内面的に把握する、すなわち、語られていることに自分が直接自分自身の中で経験していることとして気づく、ことができます。

 

もしも人が後者を行うことができれば、すなわち、もしも説明を通じて語られていることを直接経験することができれば、その時にはそれは大きな意義を持つだろうと思います。多分、あなたは傾聴していくにつれて、それを実際に行えるようになるでしょう。

「静かな精神の祝福 J.クリシュナムルティ」

 

* BGM : 眠っているあいだに | ビューティフルハミングバード