韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

(日記) 慣れと沈黙

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の隙間から漏れ出る日差し。

青い葉っぱの上で輝く朝露。

今にも消えてしまいそうな透明な月。

 

穏やかで激しいその空き地には、

夜明け前の静けさが…

人が決して作り出すことのできない

沈黙が充満していた。

 

しかしそれは…

輝く朝露や透明な月への感傷でも、

そうやって自分が見たいものに集中し、

特定の何かを見つめることではなかった。

 

またそれは…

数えきれない昨日から探し出せるものでも、

自分のちっぽけな知識から見つけ出せる

ようなものでもなかった。

 

それは決して…

慣れることのできない何かであり、

静けさという言葉でしか言い表せない

何かであり、

 

そしてその言葉さえも…

全て無意味であることに気づくとき、

そのとき初めて訪れる、

静けさであり、沈黙であった。

***
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慣れること。

新しい環境に適応すること。

新しい人間関係に溶け込むこと。

 

未知の何かと対面するとき、

人はその何かに慣れることに

多くのエネルギーを注ぎ込んでいた。

 

未知の何か。

経験したことのない何か。

知らない、そして不慣れな何か。


その不確実性に

その不予測性に

その不安定性に…

 

人は決して…

その何かをありのまま見つめようとせず、

そこから不安と恐怖を感じ、常により確かで、

より安心できる何かへ逃げようとしていた。

 

また、不安と恐怖に居場所を失った思考は、

それらに「問題」や「ストレス」という

名前を付けては、ありもしない幻を

作り上げていた。

 

そして人は、その幻と自分とを分離させ、

まるで別個に存在する一つの事実のように

それを眺め、その解決に、それからの逃避に

苦心していた。

 

しかし思考は、自分を苦しめているのは、

他ならない自分自身であることに…

自分と苦しみは別個ではないことに...

死ぬまでそれを繰り返していることに…

その果てしない悲しみと虚しさに

気づかなかった。

***

 

慣れること。

不安と恐怖が自分に問題となるや否や、

それを解決するための目標が現れるや否や、

そこには常に、その目標から得られる

何かの結果や報いが、そしてそのための

努力あった。

 

しかし、その目標が達成されたとき、

その努力が終わるとき…

人は、決してそこにとどまることなく、

その穏やかで静かな平穏を保つことなく…

 

新たな恐怖と不安を見つけ出し、

新たな問題とストレスを抱えて

自分を苦しめはじめる。

 

そしてその繰り返しが...

「生きること」「人生である」と

何度も自分に言い聞かせていた…。

***
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がつくと、

その空き地は、黄色い輝きで溢れていた。

あちらこちらに咲いた雑草と花は、

まるで子供のように陽光に喜び、

生き生きしていた。

そしてその上を、心地よい鳥のさえずりが

行き交っていた。

 

あの月と同じように…

思考が、その姿を消したとき、

 

そこには相変わらず…

決して慣れることのない

全く新しい静けさと沈黙があった。

 

そして…それが「人生」かどうか…

…それが「生きること」かどうかは

 

…単なる言葉に過ぎない、

無意味さ、そのものでしかなかった。

 

 

* 寝れない夜に feat.yama | くじら

 

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