韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について、クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)の言葉から気づく日常を書き残しています。コメントや批評全てご自由に。

(日記) 傷と愛

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傷。

目の前で動く、あの時計のように、

道端に咲いた、あの一輪の花のように、

実際に存在する、一つの事実のように、

 

人の意識の中で、

日々の日常の中で、

傷は...人生の一部分として

常に自分の居場所を持っていた。

 

「昨日の些細な傷」

「何十年前の深い傷」

「コンプレックス」

「トラウマ」...。

 

...そこには常に

吐き気と違和感が、

不快感と怒りが、

そしてそれらから生まれた

痛みと悲しみがあった。

 

しかし人は...常に...

その痛みと悲しみの反対側、

より居心地よく、より安心できる

どこかを探し求め...できるだけ、

自分の傷から遠く離れたどこかに

それを少しでも忘れさせてくれる

誰かに逃げていた。

 

そうやって人は...

自分とは別々の何かのように

常に離れた場所から、傷を眺める。

 

そのとき、傷は、

癒されるべき何かとして

治癒されるべき何かとして

解決されるべき問題として

常に...人生の一部分として

その居場所を持ち続ける。


しかし人は...

自分や傷という感覚は

全て思考の動きの一つに

過ぎないということに...

そこには、けっして距離も区別もなく、

それで「傷=自分自身」であることに

気づくことなく、そしてその気づきの

必要すら感じることなく、

 

いつも自分と傷を区別し、

その区別がもたらす、痛みと悲しみを

当たり前の事実のように受け入れ、

傷を背負った犠牲者としての

傷ついた被害者としての自分自身に...

今日も涙を流していた。

 

***

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昨日より気高く、

昨日より慈愛深く、

昨日より高いレベルに...

 

「こうあるべき自分」

「これこそ本当の私」

 

毎日、無数に作り上げられる

「自分」「私」というイメージ。

 

自分が描くイメージを通して

夫(妻)や友人や子どもを眺め、

喜び、怒り、涙を流し、

今日もまた無数の傷が作られる。

 

そして人は...

それを関係と呼んでいた。

 

「自分が描く自分」

「あなたが描くあなた」

 

しかしその時、関係は、

ありのままの、変わり続ける刻々の

自分とあなたの関係ではなく、

互いのイメージによるものにすぎなかった。

 

そして人は、自分のイメージが壊れたとき、

「傷ついた」「侮辱された」と叫び、

今日もまた...新しい傷を作り出していた。

***

 

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傷は...

それを作り出した誰かを許すことで、

和らぎ、無くなるような何かだろうか。

 

それは本当に...

人生に欠かせない何か、

癒され、治癒されるべき何かだろうか。


それで...人生とは、

その果てしない痛みと悲しみを

受け入れながら、生きることだろうか。

...

人は、

その痛みと悲しみからその反対側に、

自分を慰めてくれる誰かに逃げることなく、

また「傷」という言葉を付けることなく、

自分に「傷ついた」と言うことなく、

ただ...それと共にとどまることができるだろうか。

 

それで...いかなるイメージも、いかなる傷も

作り出すことなく、生きることは可能だろうか?

...

...自分。

目の前で動く、あの時計のように、

道端に咲いた、あの一輪の花のように、

実際に存在する、一つの事実のように、

 

「自分」という感覚も、ただ...

一つのイメージに過ぎないことに気づく時、

 

その気づきの中で、

自分に、そしてあなたに向き合う時...

 

その時、

あの雑草のように、

関係が、愛が...

静かに、花を咲かせるに違いなかった。

 

 

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