韓国人パパの人生と育児 with 瞑想

育児と人生について、クリシュナムルティの言葉から気づく日常を書き残しています。コメントや批評全てご自由に。

写真コンテストに応募しました。

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#写真について説明して下さい。

 

恒例や安心という言葉が、異例や不安に変わっていく日常の中で迎える入学式。


初めての小学生という人生の一大イベントに、子も親も…不安と同時に希望や期待に胸を膨らませるのではないでしょうか。


しかし、すっかり「コロナ」という言葉に慣れてしまった日常で、「自粛」という言葉にも親も子も「萎縮」されてしまったのではないかと思う今頃です。

 

そう、振り返ると、「4月」や「桜」という言葉には、いつも「希望」と「期待」が、校庭のどこかで、咲き乱れる桜の下で、また少し緊張した一年生の小さな肩の上で、眩しく輝いていたのを覚えています。


しかし、いつのまに…その「希望」と「期待」は、慎むべき「何か」、遠慮すべき「何か」として…その姿を消しつつあることに、そのもどかしさに、親は大人は…ついつい寂しい表情になってしまうのではないでしょうか。

 

今回応募した写真は、人生初めてのスーツを着て、入学式予行練習に出かけた息子の後ろ姿を撮ったものです。


憧れのランドセルと桜道、ピカピカのイギリス風スーツに、予行練習や入学式のことは、すっかり忘れて息子は笑いながら踊っていたのを覚えています。

 

また、ランドセルの上で踊る桜の影は…まるでランドセルそのものが、ワルツに合わせて入学を喜ぶかのような、そんな錯覚を呼び起こすほどでした。

 

そういう錯覚も大事にしたいと思い、作品名もシャッターと共に頭に流れてきた、ワルツ「美しき青きドナウ」から、「美しき青きランドセル」としました。

 

…あなたの「希望」と「期待」は、今、どこで踊っていますか?

***

 

#本コンテストへの意気込みをご記入ください。

 

意気込みを聞かれる、これを読んでいる方に、私はこう尋ねたいと思います。

 

「写真に必要なものは何でしょうか」と…。

それは、派手な構図やテクニックによる、一度も見たことのない何かでしょうか。


それは、今は廃盤となった幻のカメラで撮る何かでしょうか。最新テクノロジーで武装した、目が回るような速度と設定で、あらゆる被写体を完璧にとらえる、それでその完璧さをもって何かを伝える何かでしょうか…。

 

それとも、写真とは…
ファインダーを覗き、自分が見たい何か、自分が渇望する何か、自分が探し求めているその何かを、ありのまま自ら眺めることでしょうか。

 

ですので、写真とは、もしかしたら被写体ではなく、被写体を眺める「自分自身そのもの」なのではないでしょうかと。

 

その時、大事なのは、あらゆる数字やコントロールに長けているノウハウやスキルではなく、目の前の何かをありのまま眺めることができる、その無垢さという感受性ではないでしょうか。そしてその感受性こそ、写真に必要なものではないでしょうか。

 

もちろん写真には、特徴溢れる被写体や斬新な構図、その目新しさも大きな魅力であるとは思います。ですが、そこに感受性が無ければ…、被写体を、自分自身をありのまま眺めることが出来なければ、斬新な構図、その目新しさが何の意味を持つのでしょうかと尋ねたいと思います。

 

それで、自分の写真にそういうのがあるかどうか... 私には分かりません。


ですが、それは互いの非難や否定ではなく、ただ…ともに眺める、それでともに見出す、そういう問いではないかと思いました。

 

ありがとうございました。

 

-「さくら芸術文化応援団」応募内容より -