(日記) 自然と愛
西へと流れる積乱雲を背景に
黒いトンビがゆっくり飛んでいる。
揺らめく青いユーカリの上で
休む場所を探すアシナガバチ。
無邪気に飛び回るトンボの間を
優雅に突っ切るツバメ。
眩しい金色の夕焼けに
雑草たちは息をひそめ、
久しぶりの陽光を眺め、
ただただ風に自分を任せる。
***
夏、秋、冬、そして春…
何かを終わりと始まりに区別し、
その区別から自然を眺める。
そこには常に…それを表す言葉と、
目の前にある何かとの区別がある。
「夏の終わり」
「新緑の始まり」…
そしてその言葉がその区別が、
人をして無数のイメージを
無数の感情を引き起こす。
そうやって自然は…
好き嫌い、苦手…感情や感傷に、
夏や冬…言葉の持つイメージに、
その輝きを、終わることの無い連続性を、
知覚されないまま…限られ、遮られ、
踏みにじられてしまう。
365日…20年、40年、80年…
果てしのない時間の中で、
いつの間にか人は…
人生を時間というイメージから眺め、
そして限られた時間を、
より効率的に、よりコスパ良く
費やすことを人生最大の課題のように
取り組んでいく。
そして殆どの教育は…
その取り組み方を称賛し、
少しでも早く、少しでも安定的に…
それを達成するように駆り立てる。
その中で自然は…
まるで聖地を巡礼する信者のように…
訪問先を競い合う観光客のための...
疲れた体や気持ちを治す手段に成り下がる。
またその一方で…
エコや自然保護、持続可能な開発…
気高い信念やボランティア活動の手段として
眺められ、利用され、飾られていく。
「自然は利用すべきだ!」
「自然は守るべきだ!」
そうやって人は常に…
何かの手段として自然を
利用し、保護し、または無視する。
しかし金儲けのための利用も、
気高い信念の手段としての保護も、
そのどちらも…それを眺める、
「私」や「自分」という主体が
目の前の自然を解釈し、評価し、
それから導かれた結論や信念を貫くための
都合の良い手段として眺めているに過ぎない。
…
そうやって人は…
自然との関係を失ったまま…
またそういう自分の姿に気づかないまま…
もっぱら自分という主体から眺め続け、
それを「関係」と名付け、微笑む。
***
土の匂い、
コオロギの鳴き声、
風に揺れる葉っぱの輝き、
そのまわりで懸命に生きる昆虫たち、
産卵場所を探すアゲハチョウの羽ばたき、
そして穏やかに流れる風の質感。
…
何かの信念や手段からではなく、
それを作り出す自分という主体ではなく、
目の前にあるものを…だた眺めるとき。
信念があって、その次に来る行動ではなく、
信念と行動が…一つとして何の区別もなく、
同時に行われるとき。
無邪気な子供を眺めるように…
自分の知識や経験、
何かのイメージからではなく、
誰かを、ありのまま眺めるとき。
何の努力も、何の抑制もせず、
ただ目の前のありのままに気づき、
それにとどまるとき…
人は…その中でうごめく、
何かのエネルギーを見つけるかもしれない。
そしてそこに…
愛が、関係が花開いていることを…
見つけるかもしれない。