韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について、クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)の言葉から気づく日常を書き残しています。コメントや批評全てご自由に。

...不思議である。

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⚠ もしいつもの思考で読まれますと...
退屈と難解という問題が現れますので、
くれぐれもお気をつけください。

…不思議である。

いつものように…
モニターの前に座っていると、
目まぐるしい画面のように
問題というやつが次々と...
その姿を現す。

それはいつも自分の外側に存在し、
あらゆる要因が複雑に絡み合っていて…
どうしようもできないものがもつ、
その特有の不快感を伴って現れる。

何度も解決し片づけたと思っても、
今度はその解決そのものが…
新たな問題を引き起こし、
またもや…その解決に苦心する。

ある問題は…それを事前に
予想できたにもかかわらず、
いざそれに出会すと…
自分が以前と同じように苛立ち、
傷付き、怒っていることを…
そしてそれを永遠と繰り返している
ことに気づくのである。
... 
問題A→苛立ち→解決→問題A-1…
といった具合で問題と解決は、
ひたすらその無限ループを続ける。


だから…
不思議である。


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もし本当の意味での解決…
問題を二度と発生させないという、
全体的で根本的な解決という
立場から考えれば…

無限ループの中で行われる解決は....
その名にふさわしい役割を果たしてなく、
むしろ問題そのものを維持させている
張本人のようにすら思えてくるときがある。

つまり...
問題と解決が一つのプロセスとして、
単なる機械的なフィードバックとして
互いが互いを共存させていることに気づく。

ならば…
解決という行為を行わなければ…
問題をそのまま放置すれば…
それでいいのかというと…
実はそうだとも言い切れない。

もしあらゆる問題を放置してしまえば、
日常生活は処理されない問題に
たちまち埋め尽くされるだろうから。

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例えば…もし自分の子供が
アレルギーであると診断されたとすれば、
日常生活での環境管理はたちまち…
問題として浮かび上がる。

そこで親(保護者)は、
限られた予算と時間の中で、
アレルギー症状を抑えられる
様々な解決手段を探り出し、
何度も悩み、選択する過程を通り、
一定の解決策としてのアクションを行う。

しかし、ここで問題になるのは…
はたしてその解決策というものが、
本当の意味で解決になっているのかである。

もし家の状態を清潔に保ち、
それを効率よく助ける家電や何かを
購入した場合、それらの行動は…
表面的には何かを解決し、
自分(親)なりに何かの行動を行ったという
ある種の満足を与え、その問題に対する
否定的な感情を少しは和らげるかもしれない...

しかしアレルギーから生まれた
問題全体を解決したかというと…
実はそうだとは言い切れない。

返ってそのアクションが…
清潔に保つための掃除や家電維持管理など…
またそれらに使われる時間やエネルギーといった
別の問題を…これまで存在もしなかった
新たな問題を生み出しているからだ。

...
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それで今度は、その視点を変えてみる。

何かの結果を得るための解決に...ではなく、
問題そのものに...ピントを合わせてみる。

つまり、問題を眺める視点を変えるのである。

...そうすることで人は、
問題というやつは、どうして…
いともしつこく発生し、付きまとうのか?

それはどうして…
決して完全に消え去ることなく、
少しずつ違う形として巧妙に現れては、
自分に不快感を与え、苛立たせ…
大切なエネルギーを消耗させているのか?

そして…
それはどうして問題となるのか?
…という問いにたどり着き、
そしてその問いと同時に自ら気づくのである。

問題の本質は…
目の前に現れたそのものではなく、
問題を問題として捉える自分であることを…

ちっぽけな経験や知識、またそれらからなる
偏見や価値観で何かを眺め、解釈し、
それらに嵌らないと…不快感や違和感など
否定的な感情を覚え、どう対処していくべきかを
苦心している自分の姿に気づくのである。

そう、問題を生み続けているのは、
どこか自分と離れたところにある存在…
そうやって独立している個別な何かではなく、
目の前にある何かを…自分というちっぽけな
器で眺め、解釈し、そこから生まれる反応に
…気づかない、自分の思考そのものである。

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だからと言って...
あらゆる思考を全て否定し、
問題だと決めつけているわけではない。

ある宗教のようにありもしない罪を
思考に被せて、思考を犯罪者扱いし、
その罪を償うために何かを信じたり、
そのための儀式や献金を施すといった
子供じみたことを言っているわけでもない。

もちろん思考には、
それなりの居場所があるといった意味で、
普段の日常生活を送るときや仕事などを
効率的に取り組むときの思考は…
全く問題ではない。

問題は、苛立ち、傷付き、怒り…
否定的な感情を伴う状態を、
どうにか避けようともがき
それを自分に与えるものや出来事に
「問題」というレッテルを貼る思考…

そのプロセスや消耗性に気づかずに、
同じ動作を繰り返す機械のように、
自らを激しく消耗させる思考そのものである。

それで大事なのは…
問題を問題として捉えない、
健全な思考の動きを取り戻すことができるか…

しかし…
問題を問題として捉えないことが
思考にはできるだろうか。

つまり...そこにあるのは、
「問題」ではなく、
現にある事実を問題として捉える
「思考」だけであることを…

思考自らが感じ取ることが...

...

そう、思考は決して…
自分の動きの限界に気づくことができない。

奇抜な瞑想法やマインドフルネス....
思考に関するあらゆる手法を
全て取り入れ、いくら丁寧に
その知識を用いたところで、
思考は決して自分自身の限界を悟り、
それを超えることはできない。

それに気づくには…
思考は完全に沈黙しなければならない。

そう、それは…
本当の意味での沈黙をもって
完全にその活動を止めないといけない。

昼夜関係なく頭の中で、
果てしなく繰り返される
お喋りの思考が...

ちっぽけな経験や知識…
数えきれない偏見や思いこみ…
そしてその全てでしかない私という
物差しで何かを眺め、解釈する思考が…

物事を問題と名付け、言葉と同じく、
問題と自分を区別・分離させ、
その解決に苦心する思考が…

その思考自身を常に正しいと思いこみ、
健全で正常な何かであると考え、
それを少しも疑うことなく...
葬儀の前日まで繰り返している思考が…

それで生きる愛や関係、
生きるエネルギーを消耗させ、
自分の人生を機械のように繰り返させている
思考が全て終わらないといけない。

しかし...
依然としてそれができない。

…そう、だから...

不思議である(笑)

♪ 傘の向こう 原田郁子&寺尾沙穂
   (一応…BGMのつもりで…笑)

lcpam.hatenablog.com