韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

洗濯機と芸術。

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ゴォー

ゴォー

特別なことは何一つない、
平凡…日常…という言葉以外、
何とも表現できない、
そういう平日の昼前。

洗濯機の音が…
澄み切った朝の空を背に、
騒々しく響き渡る。

うるさい…

その言葉を口にするや否や…
あの美しい空と空気は…
一瞬にして不快感と嘆きに
埋め尽くされる。

そういえば…

あの音は…
息が詰まりそうな、
静かな美術館の中で
偉大な作品を眺めるとき…
ちょうどポケットで鳴り響く
あのアラームの音に...

そう、あの軽々しい音は...
偉大で高尚な芸術とはかけ離れた、
平凡で浅はかな日常を...

また「芸術 vs 日常」といった具合に…
そうやって常に目の前の何かを、
区別し眺める自分(価値観)という存在や
その特有の窮屈さと不快感を、
気づかせてくれるシグナルに似ていた。

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素晴らしい芸術。
美しい自然。

入場料や手間と引き換えに、
美術館の中で見上げられる何か。

高価なフレームに飾られ、
巧妙に配置された何か。

数千万、時には数億という...
日常とはかけ離れた数字で
評価され、崇められる何か。

歴史的遺産…
人類の宝物…

ありとあらゆる言葉で
褒め称えられるアートや
芸術と呼ばれる何か。

…そう、誰もが頷き、絶賛し、
その実物を観たがり、集まる…
あの有名な名画を眺めるとき…

またそれと同じように自分の中で、
価値ある何かとして崇める
自然を眺めるとき…

本当に…私たちが眺めているのは…
目の前にあるその何かだろうか?

それとも…
自分が描くイメージ…
必死に感じとろうともがく…
何かの感情や感傷だろうか…

…そう、
もしかしたら私たちは…
画家や作品への偏見から、

誰かの評価や数億の価値…
ありとあらゆる情報という
知識で作られた自分のイメージから…

またそのイメージを、
実際に感じてみたいという期待から…
何かを眺めていないだろうか?

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芸術…
教養…

それっぽい言葉に酔いしびれ、
期待や高揚感に胸を膨らませて
軽々しく出かけた美術館で、
私たちが出会うのは…

高尚なものとは程遠い、
少しも偉大ではない…
芸術、アートという言葉と
無数のイメージに酔いしびれた、
平凡な自分の姿ではないだろうか。

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芸術。


いかなる知識も、偏見も、

いかなるイメージも持たずに…
何かを眺めること。

知識を見せびらかしたり、
誰かの評価を褒め称えたり、
批判し、その言葉に縛られて
何かを眺めないこと。

また自分の苦い経験から
その反動として見出した
ちっぽけな価値観や思い込みで…
子供や誰かを導かないこと。

画家の名前…
作品のタイトル…
知的好奇心や教養人としての
理想や条件として眺めないこと。

そう、それは…
目の前にある何かを、
知識や経験、誰かの言葉を全て忘れ…
まるで初めて赤ん坊を眺める時のように…
…眺めている自分すら忘れて眺めること。

もし芸術というものがあるならば、
それこそ…芸術ではないだろうか。

…ぎこちない動作で、
何かを表現することに
無我夢中な子供の瞳と、
その奥に映された一枚の画用紙こそ…

今ここで…
自分がその全てを眺めていることに、
その計り知れない価値に気づくことこそ…

専門家の言葉や無数の教育理念…
何も持たずに何かを眺めることこそ…
...本当の芸術ではないだろうか。

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ゴォー

ゴォー

洗濯機の音に合わせて流れる雲。

…何気ない言葉に、
全身で笑う子供の背中。

自分はこれ以上いったい…
何を探し求めていたんだろう...

と気づき、そのバカバカしさに、
つい笑ってしまう自分を眺めることこそ、
...生きるという芸術ではないだろうか...


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♬いつかまた微笑みあえる日がくるまで 阿部芙蓉美

 

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