韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について、クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)の言葉から気づく日常を書き残しています。コメントや批評全てご自由に。

#1〜4 夫婦であること。

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#1 価値観の違い。

この度、価値観の違いで、
離婚することになりました。

...つい眺めてしまう、
有名人の離婚記事の中で、
高い確率で遭遇する言葉。

価値観の違い...

それっぽく聞こえる、
当たり前でありふれたその言葉を
少し注意深く眺めると…
つい少し笑ってしまう自分がいる。

...
違う過去、
違う傷や感情、
違う反動、
違う信念、
違う無数の何か…

ランダムで、
決して予測できない…
数えきれない偶然の、
積み重ねである過去。

そしてその過去からなる、
私やあなたという名前の価値観。

そう...それは...
最初から最後まで、
決して互いに重なることのない過去、
それ以上もそれ以下でもないものなのに…

どうしてそれが、
何かの理由になるのだろう…
便利な言葉だなと感心しつつ…
つい笑ってしまう。

...
もしかしたら...
何かの理由を求める
人々やマスコミに、
彼(彼女)が語りたかったのは…

価値観の違いではなく、
その違いに歩み寄りたくない
自分の価値観だったのかなと
そう思っては…少し笑ってしまう。


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***
#2 夫婦であること。

夫婦であることは、
不思議なことである。

自由があったからこそ、
互いや未来へのイメージを保持できる
そういう余裕があったからこそ、
存在し得た愛と呼ばれた何かは...

…それさえあれば、
何もかも乗り越えられそうな…
尽きることのない自信やエネルギーを
作り出していた愛と呼ばれた何かは...

思い込みとワクワクとの間を
無数に交錯しながら、
居心地良い感情やその反対や
その全てへの依存を作り出す、
あの愛という名の何かは...

やがて…
結婚や夫婦という現実を通りながら、
ただただ繰り返されるルーティンな
日常の荒波に砕かれ、飲み込まれていく。

その嵐の中で、
その激しい荒波の中で、
あれほど信じていた
愛と呼ばれた何かが…
いかに無力であったか、
いかに頼りないものであったかを
嘆き、恨み、自責する日常に…

私たちは…
いつの間にかぼんやりと光る
遠くの明かりを眺め、ワクワクし、
居心地良いあの自分探しを、
真実の愛探しを始める。

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夫婦であることは…
愛という危ういイカダを頼りに、
巨大な波に立ち向かうことに似ている。

決して壊れないと、
そう信じていたそのイカダは…
数えきれない日常に消耗され、
無数の葛藤で傷付いていく。

そして…気がつくと…
その本来の姿が何だったのか、
見当もつかないほど…頼りない姿に
イカダは変わり果ててしまう。

…にもかかわらず、
不思議なことに
私たちは…

それが今どうなっているのか、
その骨組みはどれほどのこっていて、
どこがどう壊れてしまったのか…

じっくりその姿をありのまま眺め、
その眺めるという行動から何かを
なおそうとはしない。

ただ…私たちは、
次の波が来るまでの、
ほんの少しの小波に耐えつつ、
イカダに乗っている自分、
一からそれを作り直す煩わしさから
ほんの少し解放された自分に満足し、
少し楽しく、少し気を紛らせる
何かに夢中になることで、
目の前の波やイカダのことを忘れてしまう。

...

あるべき姿。
夫や妻としての役割。
親としての責任。

カフェの中、
ベッドの上、
互いを眺め、意気投合し、
ときにはじゃれ合い、
ときには真剣に語り合っていた、
あのワクワクする未来は...
そこに横たわっていた愛は…
一体どこに行ってしまったのだろう。

無数に交錯するあの高揚感や
居心地の良いあの空気と気配は…
一体どこに行ってしまったのだろう。

それとも…
そもそもそこに…
愛と呼べるようなものが...
それこそ自分の人生を導く何かであると
そう信じていた「愛」というものが...
本当に存在はしていたのだろうか。

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***
#3 歩み寄り。

…そうかもしれない。

私たちが互いの価値観の違いに、
もはや…歩み寄る必要を感じなくなるとき、

永遠に重ならない線路のように、
それぞれが平行線のまま…
異なる人生を歩んでいることに、
私たちが気づくとき…

その気付きとともに、私たちは…
そこになんの愛も存在しないという
ありのままの事実に向き合う。

結婚。
夫婦。
愛。

愛を信じて結婚し夫婦になること。

そう、愛こそが…
その全てを結びつけられる、
一時的な感情や言葉を超える、
あの偉大な愛こそが…

説明できないそのワクワクや
静かで強力な説得力こそが…

途方に暮れる自分を駆り立て、
人生に意味や意義を与え、
誰かと手を繋いで生きていく勇気を、
吹き込んでくれることを…
そう…私たちは信じたいのかもしれない。


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***
#4 少し笑ってしまう。

異なる価値観の二人が、
夫婦という言葉で結ばられることは、
こうあるべき夫や妻という、
各自のイメージの対立を…

そのイメージへの期待が
大きければ大きいほど、
より大きな葛藤が…
より大きな試練が訪れることをも意味する。

私たちは...愛を得ようと
もしくは…得たその愛を維持しようと、
夫婦になるけれども…

皮肉にも…
まさに夫婦になることで、
愛を…無くしてしまう。

そしてその事実に...
愛なんてもう要らない
そう言わんばかりに...
愛を追い求めない自分を
正当化し、なぐさめる。

子供への愛。
恋人への愛。
兄弟や家族への愛…

そのとき、愛は…
誰から受け取るものとして、
環境や社会的役割の変化によって
やって来る何かとしてのみ存在する。

そう、私たちは…
何かの対象があるときだけ…
愛を語り、追い求めて…
そしてその不在を嘆く。

夫や妻…
子供や誰か、
ものや何か…

そういった対象とは無縁の、
いかなる対象も持たない、
愛があるだろうか?

男女間の恋愛や親子…
ワクワクや特殊な感情の中で、
対象から見出し、感じ取る、
そういったものとは異なる愛が…

それで…
愛することでも、
愛されることでもない、
そういう愛があるだろうか?

誰かの妻や夫だからではなく、
子供の親だからでもなく、

過去の傷やその反動の虚しさを…
価値観というものの窮屈さを…
未来への不安に怯える自分自身を…
眺めることの中にある、愛が…

バラバラに砕かれた、
あのイカダを…
無数に刻まれた傷と悲しみを…
やさしく撫でおろし、
その全てを結びつける愛が…

そして…
目の前にいるあなたを眺め、
少し笑ってしまう愛が。


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♬ 清い正しい美しい・ 阿部 芙蓉美

 

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