人生と育児と投資 そして窓の家。

男としてのフェミニズム。育児と家のことなど思考を書いてます。

吐き気注意!「愛」について思うこと。

この内容は、ツイッターでのやり取りをきっかけに少し思考を加えたものです。読み手にとっては、納得しにくいところも多々あるかと思いますが、誤解なく(誤解されても仕方ないと思っていますが)読んでいただけると嬉しいです。

*関連イメージなどありません。途中で休みながら、ごゆっくりお読み下さい。

 

全人類に投げかけるような(?)、とてつもなく大きな問い。

 

 「愛とは何か」・・・

 

もちろん私には知識も視野も資格(?)も備わっていませんが、全人類(何十億単位)の中で1つのサンプル(これの価値は別にして;)として、「愛」について私がしてきた誤解と今も続いている思い込みについて書いてみました。

 

「ときめき」と「性欲」は「愛」なのか?

  

魅力的な異性に出会ったとき、私たちはいろんな形でときめきます。

そしてその人の言動が気になり、その人とのかかわりを増やそうとします。

 

そこで自分の感情を受け入れて(=認めて)素直にその感情に従うこと。そういう自分を大事にしながら、認めてあげることが「愛」なんでしょうか?

 

私はたった数回の恋愛を通してだけですが、2つの「愛」を見てきました。

 

自分が求む「愛」と、相手が求む「愛」

 

 全く違うこの2つは、ややこしいにも

同じ「愛」と呼ばれています。

 

もし自分が求む「愛」が、

「周りの環境の変化に屈しない強い生活力と包容力。疲れている自分を慰め、癒してくれる、なおかつ物事に前向きな母親のそのものに近い愛」だとしましょう。

 

しかし、そんな家父長制の理想ばかり求めていては、魅力的(この表現には個人差がありますが、異性として引かれる性的な魅力のこと)な異性と付き合うことは用意なことではありません。イケメンでもなく、同世代において優位に立つ要素が殆ど見当たらない私のような男性としては、ほぼ不可能に近いです。

>>>この思考自体がかなり男性的な思考であることをつい最近気づきました...。

 

…自分の「愛」を見つけられなくなると、もしくはその可能性が無限に低いと感じると、年齢と焦りと社会から求められる普通の基準(相当高いですが;)、そして最後は自分の意志(男性的な思考)によって、相手の「愛」にしがみ付きはじめます。

 (以下、男性目線です。吐き気にご注意下さい)

 

それは…女を口説くこと。

 

同男性間(ホモソーシャル)で優位に立つことができる「数の暴力(深度や深さではなく、単に経験数だけで優位に立つ構造又はそれを認め合う・・・馬鹿な行為)」をもって。

また紳士を演じることがまるで「男らしい男」の「掟=プライド」を守るかのように「愛」にしがみ付きます。

 ...

自分が求める「愛」はどこから来ているのか。

それを相手に求めている理由は何なのか。

その「愛」によって自分は本当に幸せになれるのか。

 

…「愛」に対する省察も気づきもしない(できない)まま、男は「性欲」と「愛」すら区別できず、自分の「愛」を隠し相手の「愛」を、まるで自分も求めていて、さらにその「愛」を与えることが自分の使命であるかのように演じるのです。

 

そして結婚。

 

時間が経つにつれ、互いが求む本当の「愛」が見えてきたとき。私たちは何かが違うことに気づき始めます。

 

相手から自分が求める「愛」が得られない、

もどかしさと戸惑いと不安。

 

今度こそ、自分が求める「愛」を与えてくれる相手を探そうとします。

 

しかしそもそも自分の「愛」が間違っていたことを、それが思い込みであるという大事な思考を「男のプライド=男性性」が邪魔します。

いや拒否します。

 

「男のプライド」は揺るぎないもの。

決して認めてはいけない「聖域」みたいなものだと思っているんでしょうか。

 

「俺は間違っていない!」

「悪いのは変わってしまった彼女ではないか!」

「あの可愛かった彼女はどこへ行ってしまったんだよ!」

そうです。やっと自己責任の逃げ道を見つけた男は、家事不参加と夜遊びを自己合理化することで、それをさらに行動で訴えるのです。

そしてツイッターに妻が変わってしまったと嘆くのです。

 

 

 「愛とは何か」・・・

答えは私の思考と共に、もしくは年齢と共に変わるかもしれませんが、 

今の私の答えは、「求め合う「愛」すべて」

 

「愛」について悩むことが大事だな…と思う最近です。

 

おしまい。

 

ツイッターでもお待ちしてますw

@lcpam2

https://mobile.twitter.com/lcpam2

コンビニと育児は似ている。

f:id:olewakbh:20190416142739j:image

*四月のジューンベリー

 

...

 

「結局、また悪いのは私ね」

...

 

7時帰りの旦那は、子供に怒るなと言いながら、私に怒る。

... 

 

子供教育とか週末予定とか株利益とかも

いいんだけど。

... 

 

少し休ませて。

少しだけでいいから一人にさせて。

 

それから、

考えてみるから...。

 

 

☆☆☆

日々の育児で夫婦はスタッフ化する。

 

楽しかった日常のルーティンは、その対象が子供になる途端モンスター化する。

 

最大増員2名のスタッフは、互いのシフトを確認しながら必死にルーティンをこなす。

 

しかしこのシフトには最大の弱点がある。

それは、有給がないこと。

いや休暇そのものがないことだ。

 

... 

それが何を意味するのか。

親にならないと分からないのだ。

いや分かる必要がなかったが正しい。

 

あと少しで10連休のゴールデンウィーク

保育園も10連休...。

 

100年に一度の大型連休が、

100年に1度の子育てに重なる。

それを2名いや...時々1名のスタッフで乗り越えないといけない。

 

現実を愚痴っても何一つ変わることはないけれど、こうやって書いてみることで何か新しい思考が出てくるかもしれないというまたもや虚しい期待。

 

「なら産まなきゃいいのに」

「周りに助けてもらえばいいのに」

「結局悪いのは夫婦じゃん」

 

小学校止まりの思考に言ってあげたい。

 

親として愚痴る自己防衛ではなく、

本気で思っている言葉。

 

産んでよかった。でも大変だと。

この二つは常に同時でありながら、

因果関係ではないことを。

 

....

 

「ほら、結局悪いのはあなた達じゃん」

 

...

もしあなたの親があなたを産んで大変だったと口をこぼしたら、あなたは同じことが言えるだろうか。

 

「私、産まなきゃよかったじゃん」って言えるだろうか。

 

...

 

誰も悪くない。

そして誰も悪い人になる必要はない。

 

...

 

悪役なんてない。

それが辛い理由だなんて

今更気づく。

 

...

 

そこそこA氏のお話。(前編)

 

そこそこA氏は、そこそこの大学を卒業し、そこそこ頑張って就職し、そこそこの会社で、そこそこのやりがいを感じながらそこそこの夢を持って仕事をしました。

 

そこそこの結婚相手もできて、そこそこのマンションでそこそこの暮らしも始めました。

 

そこそこのタイミングで結婚をし、そこそこのタイミングで子供が産まれ、産休をとりました。

 

そこそこではない育児は大変でしたが、

旦那もそこそこ手伝ってくれたので、

 

「頑張れば、認めてくれる人がいる!」

「頑張れば夢も育児も両立できる!絶対あきらめない!」

キャリアーウーマンとして覚醒したA氏。

 

そうなんです。意志もそこそこ持っていたA氏は、人生で一番頑張りました。

 

産休と育休後、そこそこのタイミングで復帰したA氏は、今度はそこそこではない全力で仕事をし、全力で家事と育児をしました。

 

すると、そこそこの給料が入ってきて、そこそこ仕事も育児も両立できるような気がしました。

 

しかし、そこそこだった仕事と風向きは、

時短と共にそこそこではなくなり、そこそこ肩身の狭い思いをしましたが、それでもA氏は全力で頑張ります。

 

そこそこ不当な人事異動でも、そこそこおかしい仕事配分でも、そこそこ帰りづらい雰囲気でもそこそこ不当な昇進でもA氏はまた頑張ります。

 

すると「そこそこA氏」は、いつの間にか「全力A氏」になっていましたが、社会は「そこそこのまま」で止まっていることに気づき始めます。

 

「おかしい」

「私が何か悪いことをしたわけでもないのに・・・」

「どうして毎日がこんなに大変で、こんなに怒っているんだろう」

「どうしてこんなに時間が足りなくて、どうしてこんなにつらいんだろう」

 

「全力A氏」は、全力で考えましたが、その答えを見つけることはできませんでした。

 

そしてそこそこの旦那から返ってくるのは、「そこそこの返事」だけ。

全力A氏は最後の希望を託して、全力のタイミングで二人目を妊娠します。

 

。。。

 

そして6年間全力でぶつけてきたA氏は、

子供が小学校に入ったとき、

そこそこの夢をあきらめました。

 

それからそこそこのバイトを探し、

そこそこの生活をし、

そこそこ家事をこなします。

 

そこそこだった旦那はそこそこの管理職となり、そこそこ帰りも遅くなり、ついにそこそこではなくなりましたが、そこそこA氏は気にしませんでした。いや気になりませんでした。

 

そこそこではない、かわいい子供たちがいましたから。

 

そこそこの学校に進学した子供たちが自分で物事が決めれるようになったとき。

そこそこA氏はそこそこではない、幸せな人生について考えるようになりました。

 

「どこで間違っていたんだろう」

「どうして私の人生はそこそこの人生になったんだろう」

 

でも、そこそこのテレビ番組でも、そこそこの近所付き合いでも、そこそこの旦那からもその答えを見つけることはできませんでした。

 

・・・

 

「そこそこA氏の話は・・・後編に続く」

82年生まれ キム・ジヨン 人生の重さについて

 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 …。ああ。

 

電車の中で言葉を失った私は、

ただ流れる風景を見ることしかできずにいました。

 

生きることの重さが…

性別だけで変わってくるという事実と、その事実に向き合ったことも、いや気づくことも出来なかった自分への嫌悪感が風景のように次々と自分を襲い掛かってきます。

 

理不尽な社会と、

見て見ぬ振りをする過去の自分と、

傷つきながら生きてきた彼女たち。

 

当たり前ではないことが、

当たり前のように思ってた時代と

そんな時代にせいにしている自分への幻滅が

走馬灯のように思い出を書き換えていく。

 

 …。あ。…。あ 

 

深くて短い、

言葉にならない重いため息。

 

我慢するしかなかった、いや選択肢すら与えられなかった多くの女性の人生が、

昔も今も、そしてこれからも続くことの重さ…。

 

それは私の妻の重さでもあり、母の重さでもあり、そして2歳になったばかりの娘の重さでもあることを、私は知ろうともしなかった。

 

私は傍観者であり、共犯者。

これからもずっと知らずに生きていったかもしれない…という恐ろしさと、期待すらされない諦めから来る彼女の虚しさを目の前にして、私は混乱しています。

 

一度も生理を経験したことのない男がそれが何十年も続くことの意味を。

妊娠と出産の不安と、仕事と自分の人生への不安を。

そして多くの彼女が当たりまえのように諦めるしかなかった現実と、男という思考の暴力に私はどれだけ真剣に向き合ってきただろうか。

 

泣き崩れている彼女の話を、

どれだけ真剣に聞いていたのか。

 

それが私と未来への不安であることも知らずに、ただ女性だけの感情かのように思い込んで適当に慰めたりはしていなかっただろうか。

 

言葉だけの夢とその場しのぎのジョークで笑い飛ばしていた私を彼女はどんな思いでみていただろうか。

 

…。あ。

 

 

★★★

今日、新しい人生をスタートした妻の生き生きとした姿には、

10年前の彼女でも、2児の母でもない、もう一人の彼女がいました。

 

居場所をみつけ、頑張っている姿に嬉しさとほんの少し寂しさを感じる夫です。

“It’s OK for me” 男らしくない自分の受け入れ方

あなたは「男らしい男」?

週末子供の遊び相手をしただけで、えらそうな顔をする男。 

帰りが遅いのは会社のせい。自分は浮気もギャンブルもしない真面目な父親だと言わんばかりの男。

夜遅くまで働くことが育児家事をしない免罪符だと思い込んでいる男。

子供が生まれたら犠牲は必要。ただそれは自分ではない。暗黙のプレッシャーで妻に専業主婦を強要する男。

子供の隣で平気でタバコを吸う男。

力仕事と運転だけがパパの立派な役割だと勘違いしている男。

 

5秒だけでもいいです。

自分はどれぐらい当てはまるんでしょうか。

 

あなたの間違った「男らしさ」によって、

家族は笑顔になっていますか?

それをあなたは幸せだと思っていますか?

 

 “It’s OK for me”

「格好悪くてもいい」

「男らしくなくてもいい」

「繊細で面倒くさいって言われてもいい」

 

「男らしい」という呪縛から自分を解放することで、「男らしくない自分」ではなく、「それでもいいんだ」というありのままの自分の姿に気づき始めます。

 

ネパール写真家のインタビュー「男らしさに対するネガティブな固定観念」の一部分を紹介します。

引用:A new photo series from photographer Jessica Amity shows that masculinity exists on a spectrum

サイト:https://www.huffpost.com/entry/men-reject-toxic-masculinity_l_5c6efc4ce4b0e37a1ed618ee

 

「UNISEX」「TOXIC Masculinity(男らしさの弊害)」・・・

 

男女平等と育児シェアは当たり前。

不要な固定観念で自分を苦しめる必要などない。

 

世界では、フェミニズムの拡大と性別ではない柔軟な役割分担への認識が広がりつつあります。

「私はそれなりに家事を手伝っている夫」とイクメンぶりを訴える前に、一度視野を世界に向けてみるのはいかがでしょうか。

  

Netherlands, Caspar

f:id:olewakbh:20190402084430j:image

“It’s OK for me to be insecure,”
「私は、不安な気持ちでもいい」

私は常に男性として自信にあふれ、支配的でないといけないと思っていた。

決して不安と恥を感じてはいけない。この男らしいというプレッシャーで、自分の不安をどうしたらいいのか分からなかった。

私は自分の弱さを受け入れることで、不安を理解し、コントロールできるようになった。

 

Lucas, France

f:id:olewakbh:20190402125254j:image

“It’s OK for me to be classified as a sensitive guy.”

「私は、繊細な男として分類されてもいい」

男は、繊細な感情を感じるとそれを無意識的に隠そうとする。まるでプライドを守るかのように。隠さずありのままの姿を見せることができることにプライドを感じるべきだと思う。

 

Dan, U.S.A.

f:id:olewakbh:20190402125249j:image

“It’s OK for me to be passive.”

「私は、手動的に行動してもいい」

私は対立を好まないが、対立することになるといつもタフに対処しないといけないというプレッシャーと促しを感じる。

だれか私に喧嘩を売ってきても私が男性だからという理由だけで戦うべきだと思われたくない。

 

Sam, Australia and the U.K.

f:id:olewakbh:20190402134642j:image

"It's OK for me to acknowledge that when we talk about ‘violence against women,’ we are talking about violence that is being perpetrated by men. "

「私は、男らしさの問題点を指摘する男であってもいい」

男中心のシステムを変える。その際に男が負うべき責任について話していい。

女性への暴力を話すとき、それが男によるものであることを認めてもいい。

 

 Bastien, France

 “It’s OK for me to be open-minded toward the relationships of men and women. Men and women can lead their lives on equal terms."

「私は、男女の関係で心を開いてもいい。男と女は、自分たちの人生を同じ条件で送ることができる」

 

あなたにとって

 “It’s OK for me”は?

 

それは、合理化や言い訳ではなく、完璧ではない自分を認めて受け入れることかもしれません。

 

男らしくなくても人生は十分楽しい。

いや、男らしくない人生の方が、より自由でより豊かで価値のあるものに溢れている気がします。

 

 

今日も何とか逃げ場を必死に探す、自己否定に弱い、30半ばのおっさんの話でした。

 

おしまい。