韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

不安と恐怖

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未知の挑戦に
臆病になっていく。

予期せぬ出来事が...
全て不安やリスクとして
得体のしれない恐怖として
自分に襲いかかってくる。

はたして自分は、
新しい何かに挑戦できるんだろうか
輝くあの場所にふさわしい存在だろうか。
...
次々と生まれては、
消えていく思考が...
経験したこともなく、
決して知るはずもない
未来やそれへの不安を...
大きく膨らませていく。

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その不安は...
目の前に置かれたあの花瓶のように
ものすごい存在感を放ち始め、
やがて巨大な恐怖として自分を圧倒する。

そしてその恐怖に…
その不安と不快感に…
思考は必然的に間違った問いを連れ込む。

あの巨大な恐怖に立ち向かう時間や気迫が、
その全てであるエネルギーが...
はたして今の自分に残されているのだろうかと。

大丈夫。
...きっと大丈夫。

膨らむ不安に慌てた思考は...
自分ができる最大限のこと、
幾千の経験や知識を駆使し、
恐怖に立ち向かおうとする。

それは...誰かに、
世間に認められてきた
記憶や華々しい実績や
もしくは少しは自慢できる
自己肯定感溢れる数々の出来事だったりする。

しかしその思考(行為)こそが...
未知のものを既知のものと比較する
その思考こそが…

古い過去をかき集め、
そこから基準や目標を作り上げ、
それに及ばないかもしれないと思う、
その思考こそが...不安であり、恐怖である。
****

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現実や理想、あなたや私...
葛藤は分離から生まれる。

その内面的な分離こそ、
葛藤を、不安と恐怖を生み出す。

思考の中(内面)で
言葉や過去の出来事を、
眺めているもの(私)は決して…
眺められるもの(悩み)と違う存在ではない。

それは分離できないし、一つのものである。
しかし依然として私は悩みで苦しむ。
私が、即その悩みであることに...気づかないまま…
*****

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九月十四日。

恐怖は存在する。だが恐怖は決して現実ではない。それは進行する現在の前か後にあるものなのだ。進行する現在に恐怖がある場合、それは恐怖だろうか。

それはそこにあり、逃げたりうまく避けたりすることは不可能なのだ。肉体的、もしくは心理的危機の現実の瞬間には、完全にはりつめた注意がある。完璧な注意があるときには恐怖は存在しない。それより不注意という事実が恐怖を生むのだ。事実を避け逃走するときに恐怖は生じる。とすれば、逃避そのものが恐怖であるといえる。

恐怖と、そのさまざまな形態である罪悪感、不安、 希望、絶望などは、関係から生じるあらゆる動きの中につねにある。それは安心感を求めるときに決まって生じる。いわゆる愛と崇拝に、野心と成功に、生と死に、肉体上の事柄と心理的要素の中にそれはあるのだ。

さまざまな形の恐怖が意識のあらゆるレベルに存在している。防御や抵抗や否定は恐怖から起きる。暗闇への恐怖や光への怯え、進むこと、もどることへの不安。 恐怖は安全でありたいという願望ーたしかなもの、永続するものでありたいという願いを秘めた、内的外的な安全への欲求に終始する。

永続性を保つことがあらゆる方面ー美徳や関係、行動、経験、知識、そして外面的、内面的な事柄において求められる。安全を確保し安全でありたいというのは、尽きることのない訴え····恐怖を生みだしているのは、まさにこの執拗な要求なのだ。

だが、外的にも内的にも、永遠なるものなどあるだろうか。…盲目的に、あるいはもっともらしく、内的なたしかさや、持続性、永続性が求められるが、いったい直面できないということが、あらゆる形の希望や絶望を生みだすのだ。思考そのものが恐怖なのである。「クリシュナムルティのノート」一九六年九月パリより

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