スティーブ・ジョブズとベニシアの言葉。
何もかもやりたくないとき、誰かに頼りたいとき。
そして変化で、不安で潰されそうなとき。
言葉は、いつもよりも特別な意味を持つことがあります。
ここに、二人の言葉があります。
私は毎朝鏡に向かって、「もし今日が人生最後の日ならば、今日するつもりでいたことをやるだろうか?」と自問してきました。そして「ノー」という答えが何日も続くようならば、何かを変えるべき時が来たと気づくのです。
幸せは、その人の目の中にある。
彼の有名なスティーブ・ジョブズと、
ハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスの言葉です。
それぞれ置かれた環境も地位も違っていて単に比較することはできませんが、どちらの言葉にも、人生に対する強い信念もしくは捉え方を感じることができます。
スティーブ・ジョブズは、私がまさに今見ている画面のように、人生の無駄を無くし、毎日をベストな日にするための日々を。
一方、ベニシア・スタンリー・スミスは、自分の思い次第に幸せになれる日々を語っています。
・・・毎日を人生最後の日だと思って生きていれば、いつかその思いが正しいとわかる日がやってくる。
ジョブスが17歳に出会ったこの言葉が、おそらくその根源にあったかもしれません。
世の人は、毎日自分にベストを尽くして完璧を求めアップルとiphoneを作り上げたスティーブ・ジョブズの言葉として認識し素晴らしい、正に人生の名言だと思うかもしれません。仕方ありません。言葉はそういうものですから。彼の死後出版された「スティーブ・ジョブス」という自伝が大ヒットしたことでもその影響力が分かります。
余談ですが、最も売れた伝記を著した実績のあるウォルター・アイザックソンにジョブズ本人が直接執筆をお願いしたという事実もまさにあの言葉通り。
でも、なぜか最近、私はジョブズの言葉に疲れを感じてしまいます。
それは若くない(自分の判断)がゆえに感じるやる気の無さによるものなのか、
強い信念を持たずに適当に生きてきた自分が否定されることへの拒否反応なのか、
それとも、ただ単に彼の人生に対する失望感からくるものか分かりませんが、
毎日ベストを尽くして素晴らしい製品を作り上げることって恐らく人類にとっては素晴らしいことかもしれません。日本の田舎に住んでいる私さえ毎日iPhone画面を見ていますから、その影響力は凡人の私は想像もできないものでしょう。
でも、便利で速くて全てが繋がっている生活によって、
私は不便だけと楽しい、遅いけど確実な、繋がっていないけど信じ合える生活を失いました。
一時期、私はこのiPhoneさえあれば全てが解決されると信じていました。
メールとネット検索、そして全ての情報をポケットに収まる小さいデバイスで解決できる。
iPhoneを手に入れてから、私は「知らないものへの不安」も「無知な自分をさらけ出すリスク」も、「世間知らずと言われること」もなくなりました。
・・・逆に、知らないものは徹底的に探して結論を提案する性格で周りから時々褒めてもらうことも。それによってさらにアップグレード性能を求め、その繰り返しを続ける。
「より速く、より新しく、より多機能に」
・・・アップル社のホームページのキャッチコピーのような言葉がそのまま私を代弁していました。
素晴らしいデバイスが人生の無駄(時間も)を無くすと信じて10年。さて、
私の「人生の無駄」は、本当になくなったでしょうか。
私の人生はより効率でベストな人生になったのでしょうか。
野菜栽培の方法を検索してはその中から育てやすい野菜の苗だけを買うこと。
家事をできるだけ家電に任せて残りの時間にコーヒーを飲むこと。
おもちゃレビューの中からデメリットを考慮し、後悔しないおもちゃを買うこと。
見たことのないものをワン・クリックで次の日に発送してもらうこと。
アレクサに大きな声で「シンカリオンを再生して」って叫ぶこと。
・・・私の人生は、本当に良くなったと言えるのでしょうか。
土を触って試行錯誤して辿り着いた経験も、子供と一緒に家の掃除をすることも、
子供と一緒に衝動買いで失敗したおもちゃも、ゆっくり何かを待つことも、
そしてテレビではなく子供と会話することは、決して「人生の無駄」ではありませんでした。
得るものがあれば、失うものもある。
・・・人生の中で必ずと言って良いほど、対面する言葉。
得るものがあるからといって必ず失うものがあるとは思っていませんが、私は得ることだけに集中し、その代わりに失う可能性のある「価値のあるアナログ」に気づくことができませんでした。
・・・小さいスマホの画面をみることで、子供の素敵な笑顔をみることができないという「もったいないこと」を・・・
無駄な時間の中にある隠れている人生の意味を・・・。
少し長いですが、ジョブズは晩年こんな言葉を残しています。
(略)・・・他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。
しかし、いま思えば仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、お金と富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。
病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。
私がずっとプライドを持っていたこと、認められることや富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
・・・(略)・・・
今やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。
神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。
私があの世に持っていける物は、愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。人生には限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。全てはあなたの心の中にある、全てはあなたの手の中にある。
・・・(略)・・・
死の間際に悟る人生の意味。
自分だけの世界で全てを勝ち取った人生を送ってから、晩年ベッドの上での僅かな時間で悟った人生の意味って・・・。それっぽい言葉すら、私には自己満足の言い訳にしか思えませんでした。
その影で長い時間辛い思いをしてきた家族と仲間と・・・晩年の自分。あの言葉はもし彼が生きていたら、世に出てきたでしょうか。
今も新しい人生の目標を掲げてひたすらそれを求め続けていたかもしれません。
・・・そして思う、ベニシアの言葉。
インドへ行く前、私が求めていた幸せを庭にたとえて話してくれた人がいました。「その庭は外の世界にあるのではなく、あなた自身の内側にある」と。心の声を聞くということを、心の中に庭をつくるという言い方で私に教えてくれました。
生涯を通じてどんないい事や悪い事があったか、また何をやり遂げたかで人生を評価する人が多いけれど、
わたしは日々の生活がどれだけ満たされ幸せであったかで、人生を評価したいと思います。
- Venetia Stanley-Smith(ベニシア・スタンリー・スミス) -
人生の答えは、有名な人の名言ではなく、
あなた自身の内側にあるかもしれません。