(日記) 彼女と幸せ
屋上の見えない建物と建物との間。
小さいベンチに腰を下ろすとどこか懐かしい、清々しいそよ風が、頬に当たって遠くへと消えていく。そして温かい日差しが本の上で、その影を落としながら踊っていた。
その昼、あの激しかった夏が…あのそよ風のように…どこか遠くの、過去のように感じられた。
12:32
ランチ時間でさえ、若いスーツの彼女は真後ろのオリーブ木や行き交う人々に気付くことなく、小さい画面の中で何かを熱心に探していた。
またその角には、紫色ワンピースの中年女性が古い鞄と同じく口を開けて空を眺めていた。
あの素敵なそよ風と日差しとは対照的に、
そこには「人生の重み」がそれぞれの肩に重くのしかかっていた。そして彼女たちにとって「生きること」は、常に「闘い」そのもののように思えた。
...。
「家庭・学校・職場・新しい職場・新しい家庭…」
その繰り返しの中で、彼女たちには常に「常識」と言われる社会の偏見や先入観が、またそれらによって作り上げられた「こうあるべき」「こうしてはいけない」「役割」という無数の束縛が、人生に重くのしかかっていた。
「良い青年」「良い母親」「賢いキャリアウーマン」
時代や流行で言葉やシンボルは変わっても、彼女を取り囲むその「束縛」が、「自由」へと変わることは決してなかった。
しかし、ある日、彼女がそれに気づくとき。それで必死にそこから自由になろうとするとき。社会は彼女に「責任」「役割」「未来」「世間」「我慢」「生計」… ありとあらゆる言葉を突きつけ、それらへの努力を押し付けていた。まるでそれこそ、女性の「人生」で「幸せ」であるかのように…。
その形は違っても、彼女たちは同じ悲しみ・同じ苦しみ・同じ混乱の中で懸命に生きていた。そうやって彼女たちは、少女から青年へ、母親からキャリアウーマンへと、この社会が作り上げたその都合の良い役割に束縛され、そしてその束縛の中に閉じ込められた「幸せ」を本当の「幸せ」だと信じて、懸命にその役割を果たしていた。
… 生き生きとしたあの素晴らしい感受性が、そして「愛」への好奇心と憧れが…いつの間にか「役割」や「偽りの幸せ」に押しつぶされていく。
「部活・就活・婚活・妊活・保活・終活… 」
果てしない「〇活」の中に「成功」「地位」「安心安全」、あらゆる教育が、比較し、競争し、そしてそれを勝ち取ることを美徳として教えていた。
***
彼女は言った。
心配性で自分では何も決められない同僚の彼女がかわいそうだと。
彼女は社会の固定観念にひどくとらわれていて、もしかしたら精神的な何かを抱えているのではないかと、心配そうに同僚について気づいたことを話していた。そしてそのせいで自分の仕事が、自分のストレスが増えたことを強調しながら。
しかしそれを話している間。
その真剣な語りとは対照的に、彼女は同僚の彼女と自分を分離し、何かの「安心」を見出していた。そしてその「安心」が、その比較による「安堵感」が、その話に力を与え、そしていつもの疲れを忘れさせていた。
それが同情であれ、非難であれ、その中に隠れた「快楽」に気づく人は多くなかった。
対象との比較によって見出される、強調される私の「安心」と私の「幸せ」… いくらそれが丁寧で配慮深い言葉で語られていたとしても、そこにもし「私」とその「比較」があるかぎり…そこには常に「快楽」が潜んでいた。
そうやって自分の言葉が「同情」から自己安心という「快楽」へと変わっていく。まただんだんその快楽が薄くなると、違う「より強い快楽」へとその話題を変えていく。
そしてその物語りはその主人公を変えながら、これからも絶え間なく続くに違いなかった。語られる彼女と、語る彼女を分離したまま。
… そう。その形は違っても、彼女たちは同じ悲しみ・同じ苦しみ・同じ混乱の中で懸命に生きていた。
「あなたの無能」「あなたの間違い」…
しかし、決して誰も、彼女の痛みを、自分の悲しみ、自分の苦しみ、自分の混乱として受け入れようとはしなかった。この果てしない束縛の中で生きていく同じ「女性」として、同じ現実に苦しむ自分のこととして受け止め、そしてそれに心から涙を流す人はいなかった。
そこには相変わらず果てしない比較と競争が、それらによって作り上げられた「女性として」の「(私の)幸せ」という壁が、高く立ちはだかっていた。そして、彼女はそれに気づくことなく、その壁の中で、その向こうにある他人の不幸と自分を比較し、そこから絶え間なく自分の「安心」を確認するだけだった。
語られる人と語る人との間に分離がないとき。
貴方の悲しみ、私の悲しみ…ではなく、
「一つの悲しみ」であるとき。
そこから「安心」を見出すのではなく、
「自分自身」を見出すとき。
その時、私は果たして同じ言葉を口にするのだろうか...。
それとも、ただ沈黙したまま…
果てしない涙を、決して「かわいそう」「心配だ」という言葉を付けない「涙」を流すだろうか...。
そのときはじめて…
ずっと忘れていた、生き生きとしたあの素晴らしい感受性が、そして「愛」への感覚がよみがえるとき。
彼女は壁の外で…
彼女に手を差し伸べているに違いなかった。
そしてその「涙」が、その「温もり」が、「愛」であり、「幸せ」であることに気づくに違いなかった。
...。