韓国人パパの人生と育児 with 瞑想

育児と人生について、クリシュナムルティの言葉から気づく日常を書き残しています。コメントや批評全てご自由に。

(日記) 集中と大人

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集中しなさい!

親から先生に、

先生から教授に、

教授から上司に...。

 

時間と共に、

自分の年齢と共に、

その語り手は変わっても...

 

彼らはいつも

何かに集中することを

それで何かを達成することを

高声で言っていた。

 

そして気づくと...自分も

彼らと同じように...

自分の子どもに向かって

全く同じ言葉を言っていた。

***

 

り返ると、

その一方的な命令と口調が、

常に、ある違和感と共に、

反発や反動としての感情を

呼び起こしていた。

 

そして私は、その感情から

目の前にいる、大人を睨んでいた。


そう...

幼い自分にとって大人とは、

あらゆる学位や資格と同時に

全ての学びをやめた人であり、

 

自分の職業に甘んじ、

決まりきった、その機械的な

日常の中で、表面的な言葉を

繰り返すだけの人であり、

 

教えるというとてつもない

価値に気づくことも、自らは

いかなる集中もしない人であった。

 

そして、家に帰ると、

生への気づきの欠如がもたらした

あらゆる自己矛盾に気づくことなく、

それがいかに子どもの夢を奪い、

傷つけていくのかに気づくことなく、

 

夫や妻という都合の良い役割や区別から

家事や教育を片方に任せ、

自分は第三者として趣味に没頭し、

その娯楽と快楽を人生の価値や

慰めにしたがる人であり、

 

っぽけなその人生信念を

いつも... 高いところで語り、

その結果でしかない目の前の貧しさを

都合よく他人と比較し、自己合理化し、

 

その貧しさを、その結果全てを

子ども自らの力で克服することに

そのための理想や教育の押し付けに、

熱心な人であった。

***

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人とは何だろう...。

 

それは、それがどんな形であれ、

社会に適応しようともがき、

そのための効率さだけを追い求める

そういう人だろうか。

 

そこから得られた安心と快楽を

人生の価値ややり甲斐とみなし、

それを子どもに押し付ける人だろうか。

 

一定の地位やステイタスに上っては

それ以上学ぼうともせず、

お決まりの安心と慰めの中で生き、

お決まりの給料で気晴らしの趣味を

楽しむ人だろうか。

 

ちっぽけな自分の姿に気づくことなく

常に古い過去の思い出に浸り、

そこから何度も栄光や快楽を見つけ出す、

孤独で虚しい、ありのままの人生から

目をそらし、そういう自分を合理化する

人だろうか。

 

自分が描く狭い理想の将来から、

目に見える学習成果やその能力から、

自分の子育てが正しかったと言い聞かせ、

それを気高く自慢する人だろうか。

 

それが... 彼らの言う「大人」だろうか?

***

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人は言った。

勉強や仕事、あらゆることには集中が、

そしてその積み重ねである努力が必要だと。

 

しかし、

何かに集中することは、

それ以外のことに無関心であること。

意図的にそれらを無視し、脇にやっておく

排除ではないだろうか?

 

「レベルアップ」

「テスト合格」

「何かの達成」

「あらゆる昇進」

「より良い転職」

 

それが小さな趣味であれ、

何かへの合格や成功であれ、

もしくは貧しい人を助けるためであっても、

 

分野や社会的価値に関係なく、

何かの目的から生まれた集中は、

その目的、そしてそれへの努力以外の

あらゆる気づきを、放棄することでは

ないだろうか。

 

集中は一定の結果をもたらし、

またその結果は自分に大きな

快楽や自己満足感を与える。

 

そしてあらゆる結果から

好みのものだけを選び取り、

その集中と努力を褒め称え、

それらを常に正当化する。

 

そうやって人は、

その集中がもたらした快楽と

自己満足にすっかり魅了され、

永遠とそれを繰り返していないだろうか。

 

それこそ、彼らが高声で叫んでいた、

集中というものの正体ではないだろうか。

 

たして彼らは、

特定の目的と意図、そこから生まれた

集中という排除からではなく、

自分の目の前にいる対象を

全体として見つめたことがあっただろうか?

 

資格と同時にそれ以上の学びを終える

のではなく、あらゆる対象から学び続け、

自分自身の姿に絶え間なく、

気づいたことがあっただろうか?

 

その気づきをもって、

ちっぽけな自分の姿を観察し、

その観察から生まれた謙虚さを

知ることがあっただろうか?

 

趣味や気晴らしに逃げることなく、

過去に浸る必要を感じることなく、

自らの虚しさを正当化することなく

ありのままの他人や子供や生徒に

向き合ったことがあっただろうか?

 

子どもに自己満足以上の何かを

見出させ、意図的な集中からではない、

心から好きなことに夢中になることの喜びを

それでいかなる比較も排除もない何かを

伝えたことがあっただろうか。

 

その気づきの中で、

その向き合いの中で、

その見出しの中で、

人生を生きたことが、

一度でもあっただろうか。

***

 

もしかしたら、あなたも...

この長いブログ記事の中で、

自分に響く言葉だけに集中し、

「そうだ」「そうではない」と

第三者として、部外者として判断し、

 

秒後にはスマホを閉じ、

またいつもの日常に、その大人ごっこに

戻るのではないだろうか。

 


なたは... 今、大人ですか?

それとも、まだ大人ごっこに夢中な、子どもですか?

...

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