韓国人パパの人生と育児 with 哲学

育児と人生について日常から気づくことを書き残しています。思考の軸は、インドの哲人クリシュナムルティ(J. Krishnamurti)。5年目ブロガー。21年冬Amazonペーパーバック出版。これからもぼちぼち続けていきたいと思います。コメントや批評全てご自由に。

親はつい…

f:id:olewakbh:20211123165644j:image

ぱっと見。
そう、ぱっと見それは...
何の楽しみも感じられない、
退屈で無意味な遊びだった。

何の変哲もなく、
それで眺めていると…

つまらないという言葉が、
口から漏れそうな…
どこにもありそうな公園で...

娘は、誰一人...
気にすることなく、
またそういう自分すらも
気にすることなく…

ガチガチに固まった砂の上に、
何かを描いては消し、
また何度も小さい指で
キラキラ光る小石を
並べ直していた。

その姿はまるで...
おうちのどこか…
娘だけが知っている、
落ち着くどこかに座って...
心地よく何かに没頭している
その時の姿に似ていた。

その公園のど真ん中で、
娘は家と同じように、
舞い上がる砂と土は、
全く気にもかけずに…

小さい足を大きく広げ…
心地よく何かを描いたり、
小さな砂山を作っていた。

静かに…
そして少し感傷的に…
その姿を眺めていた僕が、
何を描いたのか、どこに使うのかと…
ついつい口を出すと...

突然...
娘は瞳を大きく見開き、
どうしてそれを聞くのか、

どうしてそれに説明が必要なのか
…と
言わんばかりにじっと僕を眺める。

そしてその目を見て初めて…
目の前のものを言葉で眺め、
説明し、
それを理解したと…
そう思いたがる自分の姿に…
はっと気付かされるのである。


f:id:olewakbh:20211123171356j:image

...
「これはね〜」

溢れ出す言葉。

そこには...
おそらく先程までは、
存在もしなかった名前や役割が、

その全てから成る、
生き生きした何かが…

まるで魔法のように、
膨らんだ口元と指先から…
真っ白な砂と小石の上に
優しく舞い降りてくるのである。

...

おうちに帰ろう!

僕の声に娘は...
その全てには
最初から
何の興味も無かったかのように、
僕の手を引っ張っていく…。

そう、それは確かに...
何の楽しみも
何の特別感も、
感じられない
退屈で無意味な…

ありふれた日常だった。

***

f:id:olewakbh:20211123233333j:image

親はつい...
子供のこととなると…
派手で遊びごたえのある
特別な出来事やイベントに…
いつもの日常とはかけ離れた
体験や思い出作りに...ムキになる。

予算や日程、利便性や効率...
時間と努力に見合うだけの価値を、
ひっきりなしにスマホや何かで確認し、
最善の選択を…子どもへの最善の思い出を、
買うことに…ついムキになる。

それから...自分の行動を、
親としてのその選択を、
子どもがどう感じたか...
どう評価しているのか…
聞き出すことに…

そう、自分の苦労が…
そのために払った時間と努力が…
決して無駄ではなかったことを、
その選択が最善であったことを、
何度も自分に言い聞かせることに...
必死になってしまう。

f:id:olewakbh:20211124010209j:image

もしかしたら子育ては…
自分の姿に気づく...
鏡のようなものかもしれない。

子供に何かを与えたいと思う、
その気持ちの裏にある自分の喜びに… 

こうなってほしい…
もしくはその反対を願う、

その願望に隠れている自分の傷に…

子供の些細な言葉や行動に涙を流す、
無数の昨日の中にある自分の過去気づく鏡。

そう、それは...
何の楽しみも何の特別感も、
感じられない
退屈で無意味な、

ありふれた日常の...
その本当の姿を映し出す...

何の変哲もないのに、
ただ眺めているだけで…
美しいという言葉が口から溢れ出す、
生き生きした何かを気づかせてくれる
...鏡なのかもしれない。

...

♬ 湯布院の朝・寺尾沙穂

 

lcpam.hatenablog.com

いったいこのブログは...

f:id:olewakbh:20211110220126j:image

なぜこんなブログを書き続けるのか?
と聞かれたら...
何と答えたらいいだろう。

なぜクリシュナムルティの言葉を
引用したり、それに似ている記事を
発信しているのか?
と聞かれたら...
おそらく答えられない...と思う。

その動機や目指している目標は?
と聞かれたら...
それも…おそらく答えられない...と思う。

ただ気がついたら...
こうなっていたとしか...(笑)

目標やこれからのことは何も考えず、
その都度、書きたいことだけを
ただ書いていたら...としか
言いようがないと言ったら、
無責任と言われるだろうか。

月何件...何かの目標を立てたことも、
広告や収益への窓口にするつもりも、
読者数を増やしたいとも思わず、
そういった全てを何も考えず...ただ...

自分が考えたことを...
同年配の親、学生、子供、お年寄り...
どんな対象も意識することなく...
ただ...何となく書いていたと言ったら...

きっと、僕はブログ運営のうも知らない、
無知で自己流で非効率で…やる気のない、
ネット初心者と言われるだろうな…(笑

だから...
初めてここを訪れた人は...
何の方向性もなく、
何となく上から目線で何かを語る…
曖昧で押し付けがましいその内容に…

きっと…戸惑うか、
得体の知れない違和感に襲われ…
急いで違う場所に飛び移るだろう(笑)

そして…こう言うのかもしれない。

…いったいこのブログは、
何が言いたいのだ?と。(笑)


f:id:olewakbh:20211110220213j:image

... 実を言うと、
何も言いたくないし、
何も意図していないし、
何の目標も、何の動機も持っていない。

ならば... 一人で、
机に座ってノートにでも
書いていればいい話じゃないかと、
そう言われれば…
全くと言っていいほど、
そのとおりである。
...
にもかかわらず、
エネルギーを注ぎ、
育児や家事の合間をぬって
短い睡眠時間を犠牲にして
真夜中にパソコンと向かい合い、
写真と言葉を並べているのだから...
なおさら、不思議でしかない。

...感じたままの何かを、
少しでもそれに近い質感で
伝えられるようにと…
悩み、ためらい、苦心する
自分と向かい合っているのは...

もちろん全て...
自己満足のためである。

そう、ブログは自己満足である。
(あ、スッキリした…笑)

それ以上も、それ以下でもなく、
ただの自己満足でしかない。

f:id:olewakbh:20211110220156j:image

気高い何かを発信しようが...
洒落た言葉を並べ、
知性豊かな自己イメージを
アピールし、宣伝しようが...

日常で感じた何かや
その中にあふれる葛藤と矛盾を、
どれほどリアルに描写しようが...

時には、ロマンチックで、
感傷的で曖昧な言葉で、
美や平和や愛を語ろうが...

その全てが…
それを感じる「今」という、
まさにその瞬間から離れ、
パソコンの中で…
写真や言葉になるや否や...

そこには、必然的に…
あの瞬間の中で生き生きと
確かな質感で存在していた
あのリアリティーも、
あの愛も、あの美しさも...
何もかも全て…消えてなくなるのである。

そこには、ただ...
無数に点滅する…しかし実際は
何も存在していない画面上に
浮かび上がった単なる、
眩しいピクセルの集まりが…

何度も繰り返し眺める、
自己満足のための書き残しが...

その全てから作り上げられた
誰かに見せたい自己イメージが...

愛や平和...力強く何度も語る、
その全てとは何の関係も持たない...
ただ画面の中で虚しく点滅し続ける、
リアルとは無関係な幻想があるだけである。

にもかかわらず、
僕はここで何をしているのだろう?

そう自問していると…
何かがとてつもなく
バカバカしく感じられ、
自分の姿が恥ずかしくなって…
思わず…つい笑ってしまうのである。

f:id:olewakbh:20211110221407j:image

そう、自分が作り上げたイメージを
見せびらかし、その言葉に心酔し、
そこから生まれる何かの満足を、
繰り返し味わうために...

それっぽい理由や動機を
見つけて満足することもまた....
もう一つのイメージ作りでしかないことに…

その全てが…
自己満足を維持していくための、
プロセスでしかないことに気づいては…

自分のちっぽけさに、
その無知で厚かましい姿に…
ぞっとし、思わず、後ずさりしてしまう。
....

f:id:olewakbh:20211110221438j:image

生きる目的や意義。
人生の目標。
幸せへのステップ。

もしかしたら...
人生と言われる人の生も…
その中で行われるあらゆる営みも、
全て自己満足でしかないかもしれない。

もし人が…
もう一つの信念や思想としてではなく、
本当に…自己満足のバカバカしさを…
自分が、自分を満足させるために…
絶えず何かを繰り返していることを、
その無意味さを観ることができれば...

本当に…自分の力でその全てを眺め、
その中にある葛藤や矛盾を、
その危険性を感じ取ることができれば...

人は絶えず目標を掲げ、
それを繰り返し達成しようともがき、
生きる目的や意義を見出そうと悩み、
苦しんだりはしないだろう。

幸せや希望という…
響きの良い言葉に惑わされたり、
他人や世間に振り回されたりせず…

その全ての外側で、幸せとは何かを…
誰にも頼ることなく…自分の力で、
真剣に問い始めるだろう。

そしてそのとき…
他人のことや自分の葛藤に
消えていったエネルギーが、
今現在に向けられていることを…

それで…その溢れるエネルギーが…
自分という存在の窮屈さを、
その取るに足らないちっぽけさ
を…
見出し、暴くかもしれない。

f:id:olewakbh:20211110221512j:image

もしあなたが、
この無意味で無駄な記事を、
本当に…真剣に眺めたならば…

好き勝手に読み飛ばすことなく(笑)
何か別のことを考えながら、
適当に眺めたりしないで…
本当に...その中に入って
何かを感じたのならば...

私たちはきっと...
こう問うかもしれない。

いったいこのブログは、
何が言いたいのだ?と。

...(笑)


♬ 酒場の唄・Saho Terao

f:id:olewakbh:20211110221539j:image

【抜粋】もしもあなたが…

f:id:olewakbh:20211106045158j:image

もしもあなたが、
パン屋やカメラ店、書店、野外のレストランなど、たくさんの店が並んだ小さな町の街路を通り抜け、橋の下を過ぎ、 婦人洋服店のわきを通って、別の橋を渡り、製材所のわきを通り過ぎ、それから森の中へ入って水の流れに沿って歩き続けるときに…

自分の目と感覚をすべて完全に覚ましつつ、しかも精神に一閃たりとも思考をはさむことなく、通り過ぎてきたそれらすべてのものを見つめるならば、分離のないあり方とはどういうものか、お分かりになるだろう。

その流れに沿って一、二マイルほど歩きながら、しかも再び微塵も思考を働かせることなく、急な流れを見つめ、そのざわめきに聞き入り、その色彩を見、灰緑色の山を伝わって下ってくる流れを見、さらに再び一切の思考、一切の言葉を交えずに、木々を見つめ、枝を通して青空を見、そして緑なす葉群に目をとめるならば…そのとき、人と草の葉との間に空隙がないということがどういうことかお分りになるだろう。


f:id:olewakbh:20211106045007j:image

もしもあなたが、
またもや思考を何ひとつ働かせず、明るい紅色から黄色や紫まで想像しうるあらゆる色の花々が咲き乱れ、夜来の雨できれいに洗われた草が青々と豊かに生えている草原を通り抜けるならば、そのとき、あなたは愛とは何かが、お分かりになるだろう。

青い空、空高くいっぱいに風をはらんだ雲、あるいは空にくっきり輪郭を見せている緑の丘のつらなり、鮮やかな草としぼみかかった花をごらんなさい。これらのものを昨日の言葉を何ひとつはさむことなく見つめ、精神が完全に静まり返り、思考によって何ら乱されることなく沈黙し、そして観察者がまったくいないとき、そこにはユニティがある。

それは人が花や雲、あるいは広々とした丘のつらなりと文字どおり合体するということではなく、むしろそこにあるのは自分と他者との区別のない全的な非在感である。


f:id:olewakbh:20211106044942j:image

市場で買った日用品を運んでいく婦人、黒い大きなシェパード犬、ボール遊びをしているふたりの子ども...

もしもあなたが、
これらのものをまったくの無言のうちに、一切の判断、一切の連想をはさむことなく見つめることができれば、そのときにはあなたと他者との間のいさかいに終止符が打たれるのである。

言葉や思考を介在させないこのような状態は「私」と「他者」の区別が存在する領域や境界を持たない。精神の無量の広がりである。

それは断じて想像上のものでもないし、空想の翼に運ばれているのでもなく、あるいは待望されていた何か神秘的な体験といったものでもなく、それは目の前の花にとまっている蜜蜂や自転車に乗った少女、あるいは家にペンキを塗るためにはしごを登っている人と同じくらい現実的なことなのであり、そのときには分離状態の精神が引き起こすあらゆる葛藤に終止符が打たれるのである。

それは観察者としての目を変えずにものを見、言葉の価値づけや昨日の基準を変えずにものを見ることである。

f:id:olewakbh:20211106045222j:image

愛のまなざしは思考のまなざしとは違う。
一方は思考がついていけない方向に至り、 他方は分離と葛藤と悲嘆に行きつく。悲嘆の方からはついに愛に至ることはできない。両者の間の距離を作り出すのは思考であり、思考はどうあがいても愛に至ることはできないのである。

小さな農家のわきを通り、草原を通り抜け、鉄道に沿って戻っていくと、昨日はもう終わったのだということに、人は気づくだろう。

生は思考が終わったところから始まるのである。

 

【クリシュナムルティの瞑想録(大野純一訳)】

 

lcpam.hatenablog.com

 

(旅行記) 分かち合うこと。

f:id:olewakbh:20211102084027j:image

何年ぶりだろう...

思い起こすこともできないほど
久しぶりの独り旅。

...

デニムズボンに当たる…
強かで温かい朝日に、
閉じていた目を開けると…

山と海の間々にぎっしり
埋められた街並みが、

その上にポツンポツンと
置かれた雲の質感が、

自分を隠しきれずに
その間できらめく太陽が…

...薄く曇ったプラスチック窓の中で
果てしなく広がっている。

そして気づくと…
大きな瞳を輝かせながら、
その全てを無邪気に眺める
見慣れた誰かの面影が、

照らされた陽光と共に
輝く息子の横顔が、

あの雲のように…
確かな質感で生き生きと感じられる。
...

分かち合うこと。

それは...

見慣れない場所、
素晴らしい景色を眺め、
感じる喜び以上に...

目の前で広がる何かに…
鋭敏で無防備な姿勢で
その全てをひたすら眺める…
無邪気で無垢な誰かの姿を感じる
もう一つの喜びでもある。


f:id:olewakbh:20211102083232j:image

友人の思いやりで、
訪れたある老舗のレストラン。

丁寧に作られた料理を眺め、
その味を感じるとき…

その味(テイスト)を、その価値を、
より強烈により鮮明に感じさせるのは…

言葉にはできないその何かを、
分かち合う人々のお陰である。

色とりどりの自然に囲まれ、
優しい食材を挟んで向かい合い、
真剣に…時にはふざけた話で、
盛り上がるときの何かを...

最初で最後になるかもしれない
そのかけがえのない瞬間を...

同じ場所や同じ時間の中で
分かち合うことは...

テーブルの上に並べられた、
どんな料理やどんな話よりも...
人生というもののテイストを、
生きることの質感を与えてくれる
もう一つの喜びでもある。

目的や動機なしに…
何の方向性も持たない思いやりは、
その質感の中にいないと...
決して感じ取ることができない。

そしてふと…
何の意図もなく何の努力もなく、
自分が…その質感に包まれている
ことに気づくとき…
そこに現れる安らぎのような何かを、
あなたは感じたことがあるかもしれない。

...
ベビーカーを揺らすやさしい母親の手。

若い女の子の愛らしい仕草に、
敏感に反応する中年男性の笑み。

おたかくとまって自分の存在を主張する
ある女性の服と目つき。

そして気づくと、
...しなやかに茂ている木々の間で
赤いタワーを眺める、
息子の無邪気な背中が...

色鮮やかなケーキに、
夢中な娘の小さな手が...

テーブルの向こうで、
確かな質感で感じられる。

f:id:olewakbh:20211102084029j:image

分かち合うこと。

溜め込んだ言葉や思考、
目新しい景色や珍しい何かを
独り占めし、写真やSNSで
分かち合うことではなく、

それでシェアという名の
自己満足や承認欲求への
手段としてではなく、

安らぎと安心の中で、
本当に何かを分かち合うとき…

自分や私たちという区別は、
そうやって境界が作り出す
苦しさや悲しみは薄くなる。

そしてその区別に、
果てしなく使われていたエネルギーが
本当の居場所を見つけるとき、
景色はクリアに、より色鮮やかに変貌を遂げる。

私たちが本当に...分かち合うとき。

性別や年齢、地位や居場所、
数え切れない経験や悲しみを
通り抜ける安らぎのような愛が、

時間や場所を超え、
あらゆるもの全てを
分かち合いたがる愛が...

思考の外側で、静かに...
どんな目的も意図もなく、
それで何の報いも求めず、
しかし確かな質感でそこに現れる。

そこには、
あなたのものでも...
わたしのものでもない、
そして愛という言葉でもない愛が...

あなたのものでも...
わたしのものでもない人の生が、

確かな質感で...
ただそこで、生き生きと存在する。

 

lcpam.hatenablog.com

 

lcpam.hatenablog.com

 

奇跡とリアリティー

f:id:olewakbh:20211020223427j:plain

丸いテーブルと丸い椅子に、
丸く座って景色を眺めていると…

一歩引いたどこかで...
休暇を満喫している
自分の姿を眺める
もう一人の自分がいる。

そして思い浮かぶ言葉。
あ、休みはこうじゃなくちゃ...

今どきの木材で
おしゃれに飾られた
あるカフェの中で、
僕は今日も…
数え切れない自分と出会う。

仕事、仕事、仕事...
そしてほんの少しの休みすら
仕事の疲れを取るための仕事に
なってしまった自分に…

溜め込んだ言葉やストレスを、
それ以上の感情と共に吐き出す
ことに夢中な自分に…

スマホと向き合い、
ありもしない関係を追い求め、
何かの喜びやいいねをみつけようと
もがく無表情な自分に…。

...

日差しにその色を変えていく窓。
音もなく風になびくオリーブの木。

優しく広がる青色の湖の上に、
こぼした宝石のように輝く光。

大人は気にもせず、何かを追いかけ、
喜び、はしゃぎ回る子供の後ろ姿。

過去にも、未来にも…
二度と訪れないその景色が、
今、目の前で…同時に広がっていることに...
その奇跡のようなリアリティーに...

どうして私たちは、
鈍感になってしまったのだろう?

いつもの日常と異なる、
刺激的で暴力的で…注目を浴びる
その何か以外のものに...

どうして私たちは、
いとも鈍感で…いとも無関心に
なって
しまったのだろう?

***

f:id:olewakbh:20211117140658j:image

同じ空間、同じ時間の中にいても...
決して互いが互いを寄せ付けない区別

距離や時間、物理的な区別ではなく、
心理的で内面的な区別

自分を中心に世界を眺め、
常に冷たく利得を優先させ、
絶えず選択し、評価する区別

まるでリアリティーのように
狭いカフェの中に充満している、
あなたと私の間にある、その区別に…
あなたは気づいたことがないだろうか?

…足元に流れる音楽や誰かの笑い声。
無神経に叩くキーボードのリズム。
慎重にスマホを眺める丸い背中の沈黙。

周りの変化や反応に気づき、
その全てを敏感に感じ取ることなく、
ただ自分の中に閉じこもる区別に…

不満や怒り、傲慢や自慢...
常に誰かと戦い、何かを吐き出し、
寂しさと孤独を何かで満たそうと
もがく自分に…あなたは、
気づいたことがないだろうか?
...

f:id:olewakbh:20211021004544j:image

区別があるところには、
必ず葛藤があることを…
葛藤は自分を孤立させる
原因であることを...

ただ言葉の上ではなく、
単なる知識としてではなく、
その危険性と悲しみを…
自分の力で感じ取ることができれば…

それで…戦っているのは、
実体のあるリアルなものではなく、
自分が作り上げた幻であることを…

その幻が自分の中で、
どんどん大きくなって…
抱えきれない苦しみとなって、
それを取り除こうともがく、
自分の姿に気づくことができれば…

それで…
実体のない幻に怒り、イライラし、
何かを認めさせようとすることの虚しさに…

生きるエネルギーが…
目の前で繰り広がるあらゆる輝きを眺め、
美しさや醜さその全てと共にとどまる情熱が…
消えていくことに気づくことができれば…

私たちの人生は、もう少し…
変わっていたのかもしれない。

f:id:olewakbh:20211021004910j:plain

もし私たちが…
日差しを浴びたまま風になびく、
あの一本の木と関係を持つことができれば…

ただその外見やおしゃれな鉢を
眺め、感嘆し、それから…
その思考と共にその全てを片付け、
終わりにするのではなく、本当に…
木そのものを感じ取ることができれば…

カフェの中や窓の外にある、
あらゆるものと本当の関係を持つことが
できるのではないだろうか。

絶えず何かを区別し、苦しむ…
その果てしない悲しみと虚しさに…
触れ合うことができるのではないだろうか。

座禅、宗教、グル、師匠…
顎髭を生やしたり、坊主頭にしたり、
派手か質素な服を纏い、口数を減らし、
静かに座って何かを唱えながらも…
依然として自分と他人とを区別している
誰かの言葉ではなく…

運命、手相、転生...
苦しい人生への慰めや気晴しの手段、
流行りのスピリチュアルとしての
言葉からでもなく…

誰にも、どんな言葉にも
依存することなく…

その全ての外側で、
自分の力で悲しみに触れ合うとき...

f:id:olewakbh:20211021005755j:plain

その悲しみが…その虚しさが…
他ならない自分自身であることに
もし気づくことができれば...

区別の無意味さを感じ取り、
それ以上の葛藤を生み出さない観察が、
生きる目的や意味を追い求めない自由が、
その全てであるが…
そこに生き生きとうごめいていることに…

そしてそれは決して何かの幻でも、
達成すべき悟りや何か高貴な何かでもなく、
窓の外で広がっている、あの日常のように

ただ…ずっとそこにある、
しかし常に新しい今であることに、

その当たり前で、とてつもない事実に…
あなたは気づくかもしれない。

もしあなたが、その事実にただ…
ありのまま触れ合うことができれば…

日差しを浴びてなびく
一本の木の美しさを、
人生というものの美しさを、
あの奇跡のようなリアリティーを…

あなたは…見つけるかもしれない。

 

♬ 追想・寺尾沙穂

lcpam.hatenablog.com

愛の秘密


f:id:olewakbh:20211007003955j:image

優しい黄色の陽光が、
あらゆるものを少しずつ
染めていくある午後。

バッタの飛び交う
黄緑の草原の上を
無邪気に走り出す娘。

足元に舞い上がる、
小さな花びらと葉っぱが
夜空の星のように輝く。

その全ての中で娘は...
転ぶのを恐れることなく、
決して振り返ることなく、
無邪気に…前に向かって走っていく。

その光景は...
荘厳な景色を目にしたとき、
その美に圧倒され、言葉を失う
そのときの何かに似ている。

そして僕は今日も…
それが写真の中に収められない
何かであることに気づいても...
ついカメラを取り出し、
少しでもあの美を…あの感覚を
どこかにとどめておこうと
必死になっている。

***

f:id:olewakbh:20211007005016j:image

時間とマネーに追われる現実を、
教育や子育てよりも成功や効率が
優先される社会を嘆く日常。

短い睡眠や休息から得られた
ほんの少しのエネルギーは...
人間関係や生計の手段に
なりつつある仕事で消耗され、
浪費される悲しみ。

...向き合いたかったのは、
冷たいモニターではなく、
温かい子供の笑顔であることを

手で触って感じたかったのは...
キーボードやマウスではなく、
小さいけれど波動に溢れる、
娘の肩と手であることを…
虚しさと共に気づく悲しみ。

少し早いお迎えに...
跳ね上がって喜ぶ娘を
抱きしめるたびに...

何かが間違っているという知覚が、
言葉にはできない、
締め付けられる苦しみが…
喜びと共に胸の奥から
跳ね返ってくる。

...
f:id:olewakbh:20211007005044j:image

...何が間違っているのだろう?
...私たちは今ここで何をしているのだろう?

答えを必要としない悲しい問いが…
温かい娘の背中に流れていく。
...

しかし子供は...
何の目的も、何の動機も持たずに
無邪気に走り、喜び、生きていた。

それはまるで...
ただそこに咲いている花のように…
生きるために生きている
無数の雑草のように…

自らが命であり、愛そのものとして
ただ今を懸命に生きていた。

そしてその姿を...
僕は何度も何度も言葉を失い、
ただ突っ立ったまま眺める。
...

f:id:olewakbh:20211007005247j:image

そこには独特の感覚がある。

無数の目標を達成したときの喜びや、
努力の末に手に入れた感情の高ぶりとは
全く異なる何かの感覚が…

過去の犠牲や努力を合理化し、
自分を褒めたたえ、結果に微笑む、
あの喜びとは全く異なる感覚が…

「もう一度味わいたい」
「もう少しそれに浸っていたい」と願う、
衝動や快楽とは無縁の感覚が…

もし二度と経験できなくても
決してそれを悔しがらない感覚が…

いつかは失うかもしれないという...
焦りや不安とは全く異なる感覚がある。

そしてその感覚は...
何かの思い出としては記録できない、
全く違う何かであることに気づくとき、

そこには、時間が…
そしてその時間である思考が…
全く存在していないことに気づくとき、

それで...その気づきが、
過去への執着を、未来への不安や期待を…
思考から生まれる悲しみと苦しみを
何もかも全て...持ち去るとき、

無邪気な姿をした愛が…
決して見たことのない愛が…
果てしなく眩しく輝いている。

そのとき、もし僕に...
生きることの意味を、
人生の意味を聞く人がいたならば...

僕はきっとそれは...
愛への理解だと言ったに違いない。

...
あの午後、優しい黄色の姿で
あらゆるものの中にあった愛を…


f:id:olewakbh:20211009170229j:image

♬ 愛の秘密_Saho Terao

 

lcpam.hatenablog.com

【抜粋】なぜ人間は...美しく死ねないのだろう?

f:id:olewakbh:20211003122902j:image

なぜ人間は...
そんなに惨めに、不幸せに、病を負い、老衰し、もうろくし、身体は曲がり、醜いままに死ぬのだろう?なぜ木の葉のように自然に美しく死ねないのだろう?われわれのどこが間違っているのだろう?

多くの医者がおり、薬や手術、または生きる上での苦しみ、楽しみなどもろもろのものがあるにもかかわらず、われわれは威厳と素朴さと微笑のある死に方ができないように思われる。

...子供に算数や読み書きを教え、知識を蓄えさせるに際しては、いずれは対面しなければならない陰鬱で不幸なものとしてではなく、毎日の生活に起きる何か青空や葉っぱの上のバッタを眺める日常生活の一部として、死の偉大な尊厳をも教えなくてはなるまい。歯が生えてきたり、小児の病の不愉快さをすべて味わうように、それは学びの一部分なのである。子供たちには並外れた好奇心がある。


f:id:olewakbh:20211003122819j:image

もし死の本質がわかるなら、すべてのものは死んで塵に帰るのだというような説明をしないで、恐怖心をもたないようにやさしく説明し、生きることと死ぬことはひとつであって、五十歳、六十歳、九十歳の後に死ぬというのではなく、死はあの木の葉のようなものだと感じることができるだろう。

歳取った男や女を見るがよい。なんと老衰し、迷い、不幸で醜く見えることか。生のことも死のことも、実際には何も理解しなかったからではないのか?彼らは生を使いきり、自己、「私」、自我を育て、それに力を添えるだけの絶え間のない紛糾によって、自分たちの生を浪費しきるのである。われわれは、ときには喜びや楽しみもあるが、酒を飲んだり、煙草を吸ったり、 夜更しをしたり、仕事、仕事、仕事でいろいろ紛糾と不幸せの中に毎日を過ごす。

そして一生の終わりに死と呼ばれるものに対面し、それを恐れるのである。死は常に理解されうるし、深く感じとられるものだと思う。子供は好奇心が強いので、死は病や老齢や思いがけない出来事で身体が駄目になってしまうことだけではなく、毎日の終わりはまた毎日の自分自身の終わりでもあるのだということを理解できるよう、導くことができるのである。


f:id:olewakbh:20211003123323j:image

復活というものはありえない。それは迷信であり独断的な信念である。この地上のあらゆるもの、この美しい地球上のあらゆるものは、生き、死に、生まれ来たり、しぼみ去る。このすべての生の動きを理解するには英知がいる。思考や本の英知ではなく、感受性に富んだ愛と慈悲の英知である。

....あらゆる美と色彩を備えたその落葉を眺めると、人の死というのは、それも生の終わりにではなくごく初めから、どんなものでなくてはならないか、たぶん非常に深いところから理解し気づくだろう。


f:id:olewakbh:20211003122745j:image

死とは何か恐ろしいものでも、避けたり延ばしたりするものでもなく、日の明け暮れとともにあるものなのである。それを悟るとき、無限の広がりをもつ想像を絶した感覚が訪れる。

- J.クリシュナムルティ‐

 

lcpam.hatenablog.com

 

(日記) 名刺と関係


f:id:olewakbh:20210901221843j:image

ハイテク・デジタル・AI・DX...

最先端の(マネー)技術をアピールし、
金の卵を自慢するある事業家の説明会。
その一方でハイテクのかけらもない、
高額のランドセルが並ぶもう一つの説明会。

何年も同じままの給与明細書へのため息を
育児や家事への時間で正当化するけど、
「億・副業・投資」という言葉を
思わず目で追いかける日常。

「好きを!仕事に!」

響きのいいキャッチコピーは…
新規会員やフォロワー集めの手段として
表面的で非現実的で虚しい理想として
セミナー用の前置きとして飾られる。

そして気がつくと…
いかにして良いリンゴを育てられるか?
ではなく、
いかにして安いリンゴを高く売るか?
にみんな夢中になっている。


f:id:olewakbh:20210901221912j:image

安心安全。

果てしなく繰り返される政治家の言葉。
その無能さを非難する自分もなお、
生計や日常の中で必死に追い求める言葉。

長時間労働が問われる時代と価値観で、
比較・強調される時間マネー。

幸せは、時間とマネーとのバランスであり、
自分や家族との時間を持つことこそ、
本当の幸せだと高声で叫ぶ誰かの言葉。

しかし時間もマネーも、
幸せというゴールへの手段、
限られた価値観から生まれた何かであることを、
それでその全てを否定する自由から幸せを問う人、
見出そうと人はごくわずかしかいない。

f:id:olewakbh:20210901221958j:image

何かの不満や何かの不自由。
人生のやりがいや気高い社会貢献。

特定の価値観から、何かの不自由から、
その反動から決意行動し、それを貫く人生。

立派なスーツで身を包み、
洒落た写真で紹介される長い経歴の人。
控えめに自分を紹介するその何かと、
それを傾聴する人の何かの中に隠れた悲しみ。

覚悟や努力そしてその全てである運で
物事が進み、成功や安心にたどり着くと、
自分の経験を誰かの前で振り返り、微笑む悲しみ。

成功ストーリーとその正当化が、
語る人にも、語られる人にも
虚しく響き渡る悲しみ。

そして記録され、シェアされ…
どこかのいいねにたどり着いては
埋もれていく虚しさ。

ステータスや知識、
ネットワークや経験。

表面的な違いはあるけれど、
語る人も、語られる人も...
互いが互いを手段として眺め、
比較し、図り、何かのチャンスを狙う関係。
またそこから生まれる葛藤や苦しみも
静かに分かち合う関係。

テレアポ・SNS広告・メルマガ・SEO…

いかにして収益を伸ばすか…
いかにしてより効率的に宣伝するか…
安心安全の生計手段を得るために
自分が好きなことを続けるために
笑顔で名刺を交換する関係。

そうやっていつしか、関係が…
「人脈」という言葉に入れ変わり、
何かを得るための必須条件として
時間とマネーに並ぶ、もう一つの手段として
成り下がった社会に…私たちは生きている。


f:id:olewakbh:20210901222905j:image

***

関係とは何だろう?

もし生きることを、そして人生を、
「関係における行為」と言うならば.. 
今の社会を生きる私たちにとって、
関係とは何だろう?

それは…
何かの目的のために、
自分の信念や経験をアピールし、
それに賛同し、興味を示す誰かと
何かしらの人脈を作ることだろうか?

自分の信念や価値観が傷付かないように
自分に反対する人、そう思われる人を
排除し、無視することだろうか?

またはもし賛同しなくても…
自分の利益になるなら...丁寧な笑顔で
名刺を交換することだろうか?

そういう関係を貫く人生を、
私たちは...いつまで続けていくのだろうか?

… 

にもかかわらず…
学校から帰ってきた子供に、
私たちは何を言っているのだろう?

規則正しい食事や生活の大切さ、
将来への準備や自然との触れ合いを
熱く語りながら、遅れた教育体制や
PTAについて不満を漏らす私たちは...

果たして…子供に、関係や何かを…
教える資格があるのだろうか?

育児も、
ビジネスも、
投資も...
何もかも専門家に頼り…
あらゆるものを彼らに任せ、
自分は安心安全を追い求めながら、

貴方も何かの専門家になりなさい

そうやって子供を条件付け、教育する
その全ての虚しさに、悲しみに…
私たちは向き合っているだろうか?

***

あるセミナーの帰り。
ちっぽけな自分の姿にぞっとする、
ある週末の午後。

みじめな自分から逃げるかのように、
自転車の鍵を急いで探すその背中に...
大きな悲しみが、大きな虚しさが…
激しく突き刺さる。

関係とは何だろう?
そして人生とは何だろう?

...

lcpam.hatenablog.com

 

(日記) 自然と愛


f:id:olewakbh:20210826182651j:image

西へと流れる積乱雲を背景に
黒いトンビがゆっくり飛んでいる。

揺らめく青いユーカリの上で
休む場所を探すアシナガバチ。

無邪気に飛び回るトンボの間を
優雅に突っ切るツバメ。

眩しい金色の夕焼けに
雑草たちは息をひそめ、
久しぶりの陽光を眺め、
ただただ風に自分を任せる。

***

夏、秋、冬、そして春…

何かを終わりと始まりに区別し、
その区別から自然を眺める。

そこには常に…それを表す言葉と、
目の前にある何かとの区別がある。

「夏の終わり」
「新緑の始まり」…

そしてその言葉がその区別が、
人をして無数のイメージを
無数の感情を引き起こす。

そうやって自然は…
好き嫌い、苦手…感情や感傷に、
夏や冬…言葉の持つイメージに、

その輝きを、終わることの無い連続性を、
知覚されないまま…限られ、遮られ、
踏みにじられてしまう。


f:id:olewakbh:20210826182940j:image

365日…20年、40年、80年…
果てしのない時間の中で、

いつの間にか人は…
人生を時間というイメージから眺め、
そして限られた時間を、
より効率的に、よりコスパ良く
費やすことを人生最大の課題のように
取り組んでいく。

そして殆どの教育は…
その取り組み方を称賛し、
少しでも早く、少しでも安定的に…
それを達成するように駆り立てる。

その中で自然は…
まるで聖地を巡礼する信者のように…
訪問先を競い合う観光客のための...
疲れた体や気持ちを治す手段に成り下がる。

またその一方で…
エコや自然保護、持続可能な開発…
気高い信念やボランティア活動の手段として
眺められ、利用され、飾られていく。


f:id:olewakbh:20210826183024j:image

「自然は利用すべきだ!」
「自然は守るべきだ!」

そうやって人は常に…
何かの手段として自然を
利用し、保護し、または無視する。

しかし金儲けのための利用も、
気高い信念の手段としての保護も、
そのどちらも…それを眺める、
「私」や「自分」という主体が
目の前の自然を解釈し、評価し、
それから導かれた結論や信念を貫くための
都合の良い手段として眺めているに過ぎない。

そうやって人は…
自然との関係を失ったまま…
またそういう自分の姿に気づかないまま…
もっぱら自分という主体から眺め続け、
それを「関係」と名付け、微笑む。


f:id:olewakbh:20210826183500j:image

***

土の匂い、
コオロギの鳴き声、
風に揺れる葉っぱの輝き、
そのまわりで懸命に生きる昆虫たち、
産卵場所を探すアゲハチョウの羽ばたき、
そして穏やかに流れる風の質感。

何かの信念や手段からではなく、
それを作り出す自分という主体ではなく、
目の前にあるものを…だた眺めるとき。

信念があって、その次に来る行動ではなく、
信念と行動が…一つとして何の区別もなく、
同時に行われるとき。

無邪気な子供を眺めるように…
自分の知識や経験、
何かのイメージからではなく、
誰かを、ありのまま眺めるとき。

何の努力も、何の抑制もせず、
ただ目の前のありのままに気づき、
それにとどまるとき…

人は…その中でうごめく、
何かのエネルギーを見つけるかもしれない。

そしてそこに…
愛が、関係が花開いていることを…

見つけるかもしれない。
 

lcpam.hatenablog.com

 

(日記) 未来の君へ

f:id:olewakbh:20210803173017j:image

君は、
どうして勉強をしていますか?

どうして子供を育てていますか?
どうして同じ毎日を送っていますか?

この全てについて…君は、
自分に聞いてみたことがありますか?

それは…
夢を叶え、立派になり、
金持ちになるためですか?
それで…生計に困らずに、
もしくは贅沢で優雅な生活を送るためですか?

それで、みんなの言う…
成功や幸せというものを、
できるだけ早く効率よく…
手に入れるためですか?

それは…ただ親だから…
扶養の義務や責任があるから、
自分の親も周りの人も、
皆そうしているから、

そして親にとって子供とは
自分や家族の未来で、
親は決してやり遂げなかった夢を…
より自由でより贅沢な人生を送りたかった
その欲求不満を…自分の代わりに、
やり遂げてくれる存在だからですか?

この全てのことについて…君は、
考えてみたことがありますか?
自分に聞いてみたことがありますか?

そして…どう答えますか?

f:id:olewakbh:20210806152811j:image

既に78億もいるというのに…
ありえない数の人口が毎日生まれる…
この地球に暮らす、一人の人間として。

同じ人類として互いの共存よりも、
国や人種…あらゆる条件を比較し…
互いに反目し合い、非難し、戦い、
殺し合う、この地球に暮らす…
一人の人間として。

個性という自己主張や能力…
誰よりも前に、誰よりも裕福に
人口過剰がもたらした熾烈な生き残りに
終わりの無い比較や競争の中で
今日もそして明日も…生き残るために。

必ずしも幸せではなくても、
それなりの生活ができて、
貧しくて惨めな人生を送らないように。
自分の能力やその優位性をアピールするために
君は勉強をしていますか?

そしてそれを受け入れるように、
この無慈悲な社会に適応するように、
そういう自分の価値観を押し付けるために
子供を育てていますか?

f:id:olewakbh:20210806152908j:image

ビジネスや人間関係を分析し、
誰かを説得し、巧妙に何かを売っては、
その報酬で日々の生活や贅沢をすること。
それを、来る日も来る日も繰り返すこと。

その中で、感じる自己満足や快楽から
何かの不安や惨めさを忘れていくこと。
そして…そのための手段が勉強ですか?

この全てのことについて…君は、
考えてみたことがありますか?
自分に聞いてみたことがありますか?

そして…どう答えますか?

それとも、今日も君は…
この全て…ここに書かれた言葉、
その説教に、違和感や反発を感じて…
冷ややかな目で流し、またいつものように
スマホを眺めますか?

f:id:olewakbh:20210806155253j:image

親が…君を傷つけたから…
学校や社会が君にひどいことをしたから…
ずっと信じていた友人や誰かに
裏切られたから…

それで、その全てがうんざりで…
二度と同じ痛みは感じたくないから…

「もう○○はいい!」
「○○は二度とごめんだ」
その否定から生まれた価値観を…
一生…大切に貫いていきますか?

そしてそれが…君が今日も
同じ毎日を送っている理由ですか?


どれぐらいの人たちが、
自分の傷に苦しみ、もがき、
その反動から誰かを非難し、
そしてそれを正当化しているのか…

そうやって自分が傷つかないように…
誰かを傷つけていく毎日を送っているのか
君は、気づいたことがありますか?

それとも…
君もまた…他の人と同じように
自分のことで精いっぱで…
その気づきには少しも…
興味がないのですか?

電車の中で、
バスの中で、
寄せ合う人波の中で、

改札口をくぐりながら、
流れ行く景色を眺めながら、
同じ服、同じ背中をした
人々と…自分を眺めながら、

その全ての中で、
その何気ない日常の中で…

この全てのことについて…君は、
考えてみたことがありますか?
自分に聞いてみたことがありますか?

そして…どう答えますか?

f:id:olewakbh:20210806155308j:image

♬ そうしていつか イノトモ

 

 

lcpam.hatenablog.com

 

【抜粋】ところで君たちは瞑想について知っていますか?

f:id:olewakbh:20210727145503j:image

ところで君たちは瞑想について知っていますか?

君たちはセックスには興味があるのではありませんか?楽しくさせられることに関心がある。地理や歴史を学ぶことにも興味が湧くでしょう。ときどきかもしれませんが...君たちは多くのことに関心があるのではありませんか?

瞑想は人生の一部です。それは世間の一部の愚かな人々のためのものだとは言わないでください。それは存在の一部であり、それゆえ数学やエレクトロニクスなどについて学ぶのと同様に、それについて学ばなければならないのです。

 

f:id:olewakbh:20210727145909j:image

瞑想するとはどういう意味か知っていますか?

辞書によれば、それは「熟考する」「思いめぐらす」「沈思黙考する」「探究する」ことです。それについて少し話してみましょうか?

非常に静かに坐るか、あるいは横になると、身体がすっかりリラックスするのではないでしょうか?
本当に静かに坐ってみたことがありますか?強いてではなく。なぜなら強いてしたとたんに、万事休すとなるからです。

目を閉じるか、または開けて、非常に静かに坐るのです。目を開けておくと、ものを見始めますから、少々余計に気が散ります。

ですから、事物、木の曲線、葉群、茂みなどを見た後、それらをよく注意して見た後、目を閉じるのです。すると「何が起こっているのか見てみたい」と自分に向かって言わなくなるでしょう。

 

f:id:olewakbh:20210727145710j:image

ですから、まずあたりのあらゆるもの、家具、椅子の色、セーターの色、木の格好を見つめなさい。

見つめ終わると、外を見たいという気持が減じます。あの青空を見終わったから、それでいい、もう見たくないと思うようになるのです。が、まず見なければなりません。

それから静かに坐ることができるのです。静坐するか、あるいはとても静かに横になると、血液が楽に頭に流れていくはずです。

なんの緊張もなくなります。背筋を真っ直ぐに伸ばし、足を組んで坐れと言われるのは、そうすると血液がより流れやすくなるからなのです。屈んでいると、血液が頭により流れにくくなります。

で、君たちも非常に静かに坐るか、横になるかしてみなさい。強いたり、そわそわしたりしてはだめです。もしそわそわしていたら、「そわそわしてはだめだ」と言わずに、それを見守るようにしなさい。

それから非常に静かに坐ったら、自分の精神を観察してみなさい。とにかくそれを見守るのです。それを正そうとしてはだめです。「この考えはよい、これはだめだ」と言わずに、ただ見守るのです。

 

f:id:olewakbh:20210727145648j:image

すると君たちには、観察者と観察されるものがあることが見えてくるでしょう。区別があるのです。で、その区別があるやいなや、葛藤が起こるのです。

さて、観察者なしに観察することができるでしょうか?観察者なしの観察があるでしょうか?

これは良く、それは悪い」「これは好きだが、それは嫌いだ」、あるいは「彼女がこれ、またはそれを言わないでくれればいいのだが」「もっと食べるものがあればなあ」とか言うのは観察者なのです。

観察者なしに観察すること。

ときどきそうしてみなさい。それは瞑想の一部です。ともかくそれを始めること。それで十分です。

で、もし実行してみれば、いかにとてつもないことが起こるかわかるでしょう⋯身体が非常に英知にあふれてくるのです。

 

f:id:olewakbh:20210727145955j:image

いまは駄目にされているので、それには英知はありません。わかりますか?私たちは身体本来の自然な英知を殺してきたのです。

で、その英知が回復すると、身体が「正しい時刻にベッドに行きなさい」と告げるのを見出すでしょう。それを望むのです。それはそれ自体の英知と働きを持っているのです。

ですから、もしそれが怠けたいのであれば、怠けさせるのです。おお、君たちはこのすべてが何を意味するかわかっていませんね!ためしてみなさい。

私は、君たちがここを英知豊かな人間となって出て行ってほしいのです。ただ試験に合格するだけでなく、英知をみなぎらせ、よく気づく、素晴らしい人間に育ってほしいのです。少なくともそれが、君たちへの私の思いなのです。

 

- j.クリシュナムルティ | 学びと英知の始まり(大野純一訳) -

 

 

lcpam.hatenablog.com

 

(日記) 踏切と不思議な午後

f:id:olewakbh:20210706104631j:image

遠くから聞こえる踏切の音。

金色の夕日を切り離す扉。
灰色のマンションに降り注ぐ夕焼け。
...そしてその真ん中を突っ切る電車。

足を組んで本を読んでいる人。
振動に合わせて居眠りをする人。
窓の向こうをぼうっと眺める人。
スマホの中で何かを探している人。
疲れ果てた目で何かを考える人。
空いている席を気にする人。

目の前にいる人が...
全て自分のように感じる感覚。

誰かの言葉や推測ではなく、
思想や理論では理解できない感覚。

言葉や何かの感情からではない、
ただ何となくそう感じる...
不思議な午後。

...

過去や未来。
そのどこかにいる自分の姿が、
目の前で蘇る感覚。

人の表情や行動...その全てが、
記憶や心のどこかで、
既に...経験したかのような感覚。

無数の過去と未来が...
その順番や場所に関係なく、
今、目の前で広がっているような、

それで...目に映るあらゆる人から
自分の姿を見つけ、戸惑い、苦笑いをする、
不思議な午後...。

f:id:olewakbh:20210706104928j:image

***
流れる景色と同じ速度で
自分を眺める思考。

そして自分は...思考がある時しか
存在しないという気づき。

目の前の何かから自分を
見つけている限り、
あの窓の景色のように
思考が流れているという気づき。

今日もあの景色のように、
自分が作り出した速度と視野で、
あの美しさに気づくことなく、
時間に追われ、またもや...
自分自身を眺めている気づき。

過去や未来。
執着や不安、そして...
その不安から生まれる期待。

時間の流れと関係なく、
執着や不安とは無縁の、
ただいつも、そこにあるその何かに...
気づくことはできるだろうか?

窓側から眺める残像のような、
部分的で断片的に気づくのではなく、

視界に入るもの、入らないもの、
まるであらゆるもの全てが
とまっているかのように、
その全てに...気づくことはできるだろうか?

f:id:olewakbh:20210706105028j:image

執着や不安...
あらゆる感情から自由になり、
過去や未来から自由になり、
感情や時間を作り出す自分という
ものから自由になって、

その自由をもって、
その全てに、全体的に...
気づくことはできるだろうか?

それでそこには...
もう執着も不安も期待もなく、
その全てを作り出す自分もなく、

ただ「気づき」だけがある自由を、

目の前にいる自分が...
全て消えて無くなる感覚を、

誰かの言葉や推測ではなく、
思想や理論では理解できない感覚を、

言葉や何かの感情からではない、
ただ何となくそう感じ、行動する、
そういう人生を生きることはできるだろうか。

 

...カン、カン...。

読んでいた本を閉じて、
振動に揺られ、ぼうっと窓を眺め、
何かを考え込む自分が、
あらゆる姿をした自分が...

疲れ果てた目で今日も、
人生の真ん中を突っ切る。

f:id:olewakbh:20210706104755j:image

 

#한국어번역(韓国語翻訳)

lcpam-k.hatenablog.com

 

lcpam.hatenablog.com

 

【抜粋】主体的に見ること。

f:id:olewakbh:20210629213703j:image

エーリッヒ・フロム | 聴くということ

(中略)

今日では、ほとんどの人々がそのような能力を失っています。人々は、ただ物事をいわゆるリアリスティックにしか見ることができません。

これは第一の意味の現実判断能力です。つまり、彼らは世界をよく知っているのですが、それは世界が操作可能であるかぎり、という条件つきなのです。

しかし、彼らは自然のなかのものであろうと、人間であろうと、それをきちんと主体的に見ることができません。

他に何の目的も持たずに、ただ見えたもの、聞こえたもの、動いているものを体験するということができないのです。

したがって、次のように言うこともできるでしょう。

外界の現実を見ることができないのを病んでいると言うなら、それと同様に、主体的に見ることができないのも病んでいると言える、と。

でも、私たちがある人を精神病だとか病気だとか言うのは、決まって外的現実を判断できないときだけなのです。

もしある人が主体的にものを見る能力を持っていないとしても、私たちはその人が病気だとは言いません。しかし、第一の能力がない場合と同様に、病気なのです。

その理由は簡単です。
私だちが病気と呼ぶのは、それが社会的機能を妨害するときだけなのです。病気という概念は、本質的に社会的なものです。

f:id:olewakbh:20210629214902j:image

ある人が精神遅滞だとします。情緒的な面、芸術的な面での精神遅延であり、物事を何一つ理解しようとしません。何も見ることができないのですが、お金の実用的な価値だけは理解しているとします。

すると、こういう人は、現代ではとても賢い人物だということになります。最も成功する人でしょう。

働いているときにかわいい女の子が近づいてきたとしても、チャーリー・チャップリンのように、それに気をとられて、止まらぬベルトの上で機械を放置してしまうなんてことはないでしょう。

何も感じないならば、主体的経験をまったく持たないならば、この社会には最もふさわしい人です。この社会で重視されるのはすべて、実行すること、実利的に実行することだからです。しかし、まさにその理由によって、より健康になるということはありません。

いわゆる、精神病の人といわゆるリアリスティックな人のどちらがより病気なのか、という問いは、未決のままです。

思うに、多くの統合失調症者は、オフィスの内外で無用な商品を売ろうとするより、統合失調症になるほうが幸せなのです。

f:id:olewakbh:20210629212909j:image

このことに関してよい例を挙げましょう。

それは、とても成功しているけれど、妻に完全に支配された男性の話です。

皆さんよくご存じのタイプ、典型的なアングロ・サクソン系の、小柄でかわいらしい女性です。とても控えめで、とてもやせていて、騒がしくしゃべることはほとんどなく、ごくごく目立たない感じの女性でした。

彼女はこの家族を独歳者のように支配しましたが、この罪のない、いわば無害で、ときどき甘く、ときどき甘くなく、しかし実際にはやりすぎの感があるほど謙慮で引っ込み思案な振る舞いによって、その独栽者ぶりを隠したのでした。

その男性は、晩年になり、入院を余儀なくされました。医者たちは、とても賢明なことに、妻が訪ねることを禁じ、息子に訪ねさせました。男性は息子に言いました。

「人生のなかではじめて幸せを感じているよ」と。

うつ病患者として入院していることを考えると逆説的な話ですが、完全に真実なのです。

彼の人生のなかではじめて、彼は自分が自由人だと感じていました。つまり、抑うつになるもならないも、それは彼の自由なのです。この状態が、彼が自由になるための最善の環境だったのです。

退院して回復してしまえば、バタンとドアが閉められます。彼は再び囚われ人となり、もはやその状況に耐えられないでしょう。

- 主体的な現実認識能力を失った現代人 -

 

lcpam.hatenablog.com

ただいま...

f:id:olewakbh:20210528092719j:plain


…笑って

…怒って
…戸惑って
…涙を流して
…また笑って…
そうやって子供と、誰かと…
夢中になっている自分の姿。

どうして笑っているのか。
どうして怒っているのか。
どうして戸惑っているのか。
どうして涙を流しているのか…

…気づく瞬間がある。

遠い過去の記憶。
楽しい思い出や出来事。
思い出したくない傷やトラウマ。
黒板と小さな先生の背中。
荒れた母の手とその上に落ちる涙。

亡き祖父の声と笑顔の写真。
異国で眺めた貧困と贅沢。
そしていつのまにか…
歳をとっている自分に…。

馬鹿みたいな笑い方が、
父に似てきた怒る顔が、
感動や傷で流す涙が、

ありとあらゆる感情が全て…
どこか…自分の中にあるどこかから、
跳ね返ってきていることに…。


楽しい。
悲しい。
苦しい。
あらゆる感情が…こだまのように
ただ戻ってきていることに…


…気づく瞬間がある。

そして何故か…途方もない感情が、
どうしようもない涙が溢れ出す。

f:id:olewakbh:20210528120053j:image

叶えたことと喜び。
叶えなかったことと悔しさ。
楽しい思い出と苦しい思い出。
記憶が呼び起こすあらゆる感情。

そうやって…
いつも意識のどこかで…
記憶と感情を見つけ出し、
笑ったり、泣いたりしている
自分を「私」と言い張るもの。

記憶を選別し、都合よく解釈し、
今という日常の上に広げて…
「良い」「悪い」「正しい」
そう言いたがるもの。

それで常に…
目の前にある今を見ないで、
記憶という過去とそれっぽい
未来で覆い隠すもの。

それは誰?それが「私」?

どこかの国で生まれ、
限られた環境で育ち、
何かを受け入れ、
また受け入れずに…
場所と環境とその受け入れと反動…
その積み重ねでしかない、
…それが私?

それはただ…
過去としての記憶が、
その記憶の積み重ねが、
経験を選び、そうやって…
選んできたものを価値観と呼び、
そこから何かを眺め、蓄積してきた
ただの過去の記憶とその蓄積でしかないのに。
どうして僕はそれにしがみつくのだろう…。

目の前に広がる「今」をみないで…
その記憶と知識を並べて笑って怒って…
涙を流しているのは…誰だろう?

それが私…?

f:id:olewakbh:20210528120109j:image

「私」「自我」「エゴ」…
いくらそれっぽい言葉で飾っても…
彼もただ…もう一つの記憶と
その蓄積でしかないのに…。

それで…
「観察するものは観察されるもの」
という事実を…どうして彼は、
みることができないだろう…。

画用紙に描いた円のように…
自分が描いた「私」という境界線が、
無数の「私ではない」ものを同時に
作り出しているという事実を…。

だから…本当は…
目の前の「今」には、
「あなた」も「私」もいなくて…

ただ…
無数の同じ「人」がいるだけなのに…。


あの不安。
あの感動。
あの悲しみ。
あの嫉妬。
あの恐怖。
あの傲慢。
あの虚栄。
全て他人ではなく、
全て自分なのに…。

どうして今日も自分は…
また誰かに向かって大きな声で
怒ったり、笑ったり…そうやって
夢中になっているのだろう…。

f:id:olewakbh:20210528120941j:image

***
少しずつ夕陽に染まっていく雲。
清々しい風と高い自転車の音。
無数の電線とすずめの鳴き声。
大きな古木を揺らす暖かい風。
記憶や経験…過去や未来…。

そして努力も意識も…
その全てに気づく「私」も
いなくなるとき…。

そこには…
一度も見たことのない「今」が、
過去や未来には存在しない「今」が…
あらゆるところで眩しく輝いている。

そして何故か…途方もない感情が、
どうしようもない涙が溢れ出す。

f:id:olewakbh:20210528120638j:image


「お・か・え・り!!」

娘の大きな声が
目の前から聞こえる。

その声に…
今日も僕は笑っている。

 

(ただ…いま…)


♬遠くまで イノトモ

 

lcpam.hatenablog.com

 

【抜粋】頼らないで生きていく。

f:id:olewakbh:20210526102024j:image

理論や理念に頼らないで生きていく力を、
どのように見出したらいいのですか?

それでは、理論と理念に頼って生きていく力を、あなたはどのように見出していますか? 方式・理想・理念などを使用して生きていこうとする、途方もないエネルギーを、あなたはどのように手に入れているのですか?

あなたはこういうやり方と一緒に生きている。そのエネルギーはどのように獲得しているのでしょうか。しかしそのエネルギーは、心の葛藤のために消耗してしまっているのではないでしょうか。

理想が彼方にあり、あなたという現実はここにある。そこであなたは理想に近づこうとして悪戦苦闘する。そこには分裂・抵抗があり、エネルギーが浪費されている。

だから、あなたがこのエネルギーの浪費を悟った時、理想・方式・概念に引きずり回される愚かさを知り、これらが間断なき葛藤を招いていることに気づいた時、あなたはこれらのことを捨て去って生きていくエネルギーを獲得するのです。

その時、あなたはエネルギーに満ちあふれる。というのは、もはや葛藤のためにエネルギーが浪費されることがなくなるからです。しかしながら、私たちの心は(環境や教育や知識などに)条件づけられているので、そのような生き方を恐れるのです。

私たちは、他のみんながしていることだからと言って、方式や理想という構造を受け入れているのです。私たちはこういうことと同居し、葛藤が生じても(それを)人生の一部として受け入れてしまうのです。

 

f:id:olewakbh:20210526102314j:image

 

しかし、この間の事情が明確に自覚された時、言葉の上で理論的・知的にとどまるようなそういう知覚ではなく、実際にそのような生き方の空しさを自ら体得した時...

私たちは葛藤の無い生話だけが知ることのできる、溢れるエネルギーを経験するのです。その時、存在するのは事実だけとなり、他の幻想は消えています。

その時、あなたには「貪欲という事実」のみが残り、「貪欲であってはならない」という理想(浪費の原因)は消え去っているのです。しかしこの貪欲という事実は、今の世界では...積極的かつ能動的に働く力をもつ存在となっているのです。

ですので、これこそ唯一の事実である。だから、その事実をあなたは全身全霊をあげて注視する時、あなたは…理想、原理、信念に頼ることなく、エネルギーを獲得し、その事実自体に負けずに、自由に生きていくことが出来るようになるのです。

そしてそれが愛することであり、過去と訣別する(過去に死ぬこと)ことなのです。

 - J.krishnamurti (自由への道) -

 

f:id:olewakbh:20210526105016j:image

lcpam.hatenablog.com

 

{(笑)後書き}

「余裕」
「好奇心」
「習慣」
「マナー」
「お返し」
「生計」
「クリック・ミスw」

誰かの記事やリンク...

あなたはどのような気持ちで
それをクリックし、眺めていますか?

毎日数えきれないほど流れてくる
広告や写真付きの近況案内や
深刻な問題提議や....
その他溢れるちっぽけな自慢話を...

あなたはどのような気持ちで
眺めていますか...?

そして「眺める」とは何か...
自分に聞いてみたことが...ありますか?

(笑)

한글 번역 (韓国語翻訳) 
COMING SOON... 

RECENT BOOK & MUSIC
📚 聴くということ(エーリッヒ・フロム)
📚 子育てのパラドックス(ジェニファー・シニア)
♬ 糸(オオタユキ)